そして、そのエネルギーは、大坂の陣で戦った真田配下の霊団の復活という形で動きはじめています。これとよく似た例は、西南戦争で死んだ薩軍の霊団が光の軍団として覚醒し、日本の靖國神社から、アメリカのアーリントン墓地へと展開したというものがあります。いまのアメリカを見れば、改めて、南北戦争と同じ様な、内戦にも拡大するかもしれない対立が、その国内において深刻化していることが分りますが、その動きの原点には、このアーリントン墓地の戦死者たちの覚醒による人間界への働きかけがあるというのが、私の見解です。この流れの延長上で、今回の真田丸の覚醒というものを考えると、西南の役も、西郷の暗殺のたくらみだけでなく、それまで、鹿児島に置かれていた陸軍の弾薬等を生産する兵器工場を、明治政府がこっそり、大阪の地に移築したという事象も関連していたということもあり、ひとつの歴史の流れの一部ということになります。
そして、これが最も重要なのですが、江戸時代においても、大阪は経済、金融の中心地であり、それは、明治から昭和の敗戦まで変わらず、敗戦後の東京への一極集中によって、大阪はその地位を失ったということです。
そして、これから、地球規模の政治と経済の大変動を前にして、大阪の地において、このような動きが出ているということは、天の配剤としか考えられないのです。
なぜか、すべてが東京に移った今日でも、大阪には造幣局だけが残されています。それもまた、天の配剤だとすると、日本経済の復活のためには、平安京の復活と、それに関連した大阪の地の経済の中心地としての復活というプログラムの進行に、この真田丸の動きがあるということになります。
実は、精神学協会の会員のひとりに、どうやら先祖に忍者として、真田の軍に参加していた人物がいることが判明して、その人物と共にある種の霊団が、九度山の旧真田屋敷に、帰還を果たすということが、この二千二十四年の一月の二十七日に起きたのです。それによって、大阪の真田丸の記憶を留める場や神社や仏閣において、大阪復活ののろしとも取れるような波動の放出がはじまっています。
大阪城の落城時に、起きた悲劇の記憶も含めて、江戸から明治、大正、昭和と続いてきた、大阪エリアの封印が、これによって解かれることになります。
それは、たぶん、新紙幣が発行される、この年にはじまるよう用意された、新しい日本をつくるために精神界において用意された覚醒なのでしょう。
真田幸村と共に、あの真田十勇士というものたちも覚醒しているとしたら、この物語を世に出す作者の登場も待たれているということになります。
神紀四年(二千二十四年)二月一日 積哲夫 記