タケのバンクーバー通信

歴史から抹消してしまった国防と国益 87
日本人と日本社会の不一致

 
世界は、どんどん壊れていき北米で暮らしていても、暗い話ばかりが多くなっています。一番の問題は、仕事がどんどんと減っていき仕事をしたくても出来ない人が増えていることです。今回のイランへの戦争介入は、ほとんどの米国人が望んでいなかったことで、トランプ政権と国民の亀裂が深刻な状態になっています。

 アメリカ国民にとって、まったく意味のない戦争であり、巨額の税金を使ってまでする意味があるのか?
 
 多くの人は不信だけが残り、トランプ政権離れが深刻な問題になっています。壊れかけているアメリカ社会を、立て直さなくてはいけないにも関わらず、戦争をしている暇がないというのが、アメリカ社会の実態です。パンデミック以降、庶民生活が悪化の一途で普通の生活が出来ない人が増えていっています。
 その状況にも関わらず、イランとの戦争を始めたことで、ガソリン価格は上がり物価がさらに上がってしまいました。カナダに住んでいても、アメリカ経済に引きずられて、経済は不安定になっています。ガソリン価格だけを見ても、戦争がはじまる前までは1.7ドル/㍑が、2.3ドル/㍑になり1㍑60円ぐらい上がった状態になっています。やっと落ち着いてきた物価も、不穏な空気になっています。
 
 世界が壊れている中でも日本は経済が動き、まだまだ健全な社会になっています。世界でも特殊と言っていいほど、平穏な社会を維持しています。北米は、大学を出てもまともに職に就けない人たちが増えていて、先の見えない社会になっています。さらに、AIの技術革新が若い人たちの仕事を奪い、職業選択の自由はなくなっています。その状況からみると、まだ日本は職業の選択があり、仕事に就くことができる環境なので恵まれています。
 その中で、退職代行サービスのニュースを目にしたとき驚きを隠せませんでした。世界が壊れ、民族浄化が平然と行われている中で、自国民を弱体化している社会の仕組みに、苦笑してしまいました。日本の社会は、何を柱にして学校教育や家庭での躾《しつけ》がされてきているのかが、見えないものになっています。いっぱしの成人になった人間が、自分で意を決したことに、他人を介して退職をするという行為が、個人にとっても社会全体から見ても、何一ついい方向には向かっていません。
 どこか学校教育の限界と日本社会の崩壊が、始まっているように見えてしまいました。

「成人としての未成熟さなのか?」
「社会モラルとしての欠如なのか?」
わかりませんが、これが常識化になっていく日本社会に健全性があるとは思えません。

入社するときに自分の決意で入るのであれば、辞める時も自分の意を決し、意思を相手に伝える行為ができなければ、世の中では生きていけるとは思いません。未成熟な精神は、「自己逃避」と「苦悩からの逃避」は一生その人を成人にさせないでしょう。社会人としての初めての行為が、代行を通して退職したときに、次の再スタートはもっとエネルギーを必要として、「小さな勇気」と「自己責任」の関係が自分の体に宿らなくなるでしょう。

 社会人になるということは、学生時代の経験以外のことを学ぶことであり、理不尽なことや辛いことをたくさん学び、生きる力をつけていくことでもあります。それを経験しながら、人間力と突破力を身に付けて、社会という荒波の中で生きていく英知が自分の体の中に浸透していきます。それが、結果として生きる力になり人間形成を作っていきます。

そのチャレンジできる場を、数日や数時間で決断をして退社してしまうことが、本当に正しい選択なのか?
 さらに企業は、新入社員を採用されるまでに、どれだけの人件費と作業をかけているのかを考えたら、会社にとっても無駄な費用と熟練社員の不信感しか残りません。そこには、良心で繋がる関係ではなくなります。日本社会にとっても、何一つプラスにはなっていません。

 いまの日本社会は、学歴と就職が1つのセットのなった社会構造になっています。そのレールから離脱するということは、大きな代償を負うことと精神育成の場を自ら手放してしまうことになっています。

 かつては、サラリーマン社会から外れるということは、まっとうな職に就けないという証でもあり、どこか欠陥の人間というレッテルをはられました。その人たちの人生選択は、手に職をつけて生きていくしか枠がありませんでした。当時は、転職が悪とされていた時代で、前社で不祥事をした人が転職をするイメージでしかありませんでした。転職するにも、大きな覚悟が必要でした。
平成の初期までは、目に見えない同調圧力と社会慣習があり、個人の自由が許されない時代でもありました。いまは、多様性社会で個人の自由を謳って、いろんな選択ができるようになり、社会の閉塞感や同調圧力は薄れていきました。転職もしやすい社会になり、周りの目を気にしなくてもよい社会になりました。いい社会になったと同時に、その反面、未成熟の人間は自己逃避をしやすい社会になったように見えます。
 自由を謳歌するという言葉は、1歩間違えると全く違うものになり、人を暗黒の世界に引きずり込む、入り口のように見えます。自由を謳歌できる人は、個人の能力と精神の世界が成熟された人の特権であり、未成熟の人の特権ではありません。

個人主義とは対極にある日本民族の価値観
最近、民俗学や宗教学の文献を見ていて感じることは、日本民族の性格は、集団の中で人間形成と成長をさせていく性質を持っているように思います。敗戦後の日本は、北米の個人主義に倣って、日本人の生き方を変えて、どうにか社会を維持してきました。しかし、反動が不登校の増加や退職代行という歪な形になって、社会に現れてきました。どこかで、精神のバランスがこわれているように見えます。

 自己責任が完結していない人間が、個人主義の中で生きていこうとしたら、「自己中心的な人格」と「社会人不適合者」になり、社会の中では生きていくことは出来ません。メディアや学校教育では、多様性社会や個人主義を肯定して、未成熟の人間を大量に作っています。しかし、彼らが北米に来ても社会の中で溶け込むことは出来ません。
 バンクーバーに住んで25年以上経ちますが、多くの日本人は北米の個人主義に耐えられず、鬱や人格破綻して日本に撤退をしていきました。

「日本社会は日本古来の精神と社会の一致をどうするか」
の分岐点に来ていると見ています。
 敗戦後のリベラリズム教育は、個人主義を基調として、責任を持たない個人の尊重をしてきました。この退社代行は、この沿線上にある必然性から出てきた社会現象です。その20代の個人にとっても、明るい未来があるとは思えません。自分の意思を相手に伝えられない人間が、どのように社会の中で生きていくのか? 自分の行動に責任を取れない人間が、相手の好意や良心をくみ取ることが出来るとは思えません。

 日本の集団行動や同調圧力を否定して、社会から離反していた行為が、個人主義を謳歌しているように見えても、多くの日本人は個人主義では生きていけません。本当に、個人主義で生きたいのであれば、北米で生活をするべきです。なぜ、北米で暮らしている日本人が、自分を失い鬱や人格破綻していくのか? その理由は、白人のように自己完結で生活が出来る能力を持っていないからです。日本人の性質は、家族や親せきや友人と集団の中で正義や価値判断を個の精神バランスで、生きていく知恵を持っています。北米の個人主義とは、まったく生き方も死生観も違うものになっています。

 日本民族が、どこまで個人主義の中で生きていけるかは、アカデミックの世界でも明確な指針を出すべきだと思っています。日本人のような真面目で繊細な性格は、集団の同調圧力から人間形成が出来上がっていく特殊な民族観を持っています。いまの日本は、個の自由を重視する生き方を教育の柱にしていますが、責任も持たない未成熟の精神を持った人間は、個人主義の世界ではまったく使いモノにはなりません。(バンクーバーのレストラン業界では、日本人を使うよりも他民族の人を雇った方が勤勉で勤労をする時代になりました。かつては、日本人というだけでプレミアムがついて、どこでもすぐに採用されました。いまワーホリ出来ている日本人は、突如仕事を辞めてしまったり、自分の主張しかしないので、雇用しにくいということをよく聞きます。日本人の最大の武器であった、勤勉さと勤労精神がなくなりつつあります。日本人の武器は、多くを語らず常に結果を出す仕事術が、日本人をプレミアムにしました。その美学が、なくなりつつあります。)

責任を持たない個人主義の成れの果て

 この退職代行サービスは、8050問題とも本質の流れは繋がっているように見えます。中途半端な個人主義が、個人の自立を妨げて親元から巣立ちをさせずに、日本の家族観で未成熟の成人を生み出す歪な社会構造になっています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/8050%E5%95%8F%E9%A1%8C

この退社代行サービスと8050問題は、自立する機会を奪い未成熟の精神しか育たない人間を、大量に出すシステムになっています。本来、家族は良心で繋がる基本的な集団で、日本人のアイデンティティになっています。これが壊れていけば、家族間で憎悪と憎しみが生まれ、日本人の価値観が壊れていきます。自立できる人間をニートにさせることは、日本人の死生観や民族観を破壊することになり、歪な死生観だけが残り良心で人間関係を作る土台を失います。
 先祖を大切にする宗教的価値観の中から、集団で生きる日本人のアイデンティティを作ってきました。集団(家族・親戚)の中で個を育む仕組みが、日本人の死生観の柱になっていました。盆や暮れに家族が集まることは、儀礼を通して個人の精神を育て、価値判断が正常に動いていました。
敗戦後の日本は、北米型の個人主義と拝金主義の社会に書き換えてしまい、コスパ重視の社会にしたことで、核家族と歪な家族観と人間社会をつくってしまいました。教育から家庭にいたるまで、日本の伝統的な価値判断を否定して、日本人の良心的な価値判断を壊してしまいました。それが、「今だけ・金だけ・自分だけ」が社会の柱になり、そのことに多くの日本人はアレルギーとなって、「孤独感」と「不安」がより強くなって、何が正義なのかが解らなくなっています。正常な日本人の価値判断で、「意見を言えない社会」がより閉塞社会にしています。
 
 敗戦後は、非効率と言われ「目に見えない日本の伝統的な価値観」の否定で、日本社会が作られてきました。その揺り戻しが、庶民レベルではじまっています。先祖を弔う儀式や儀礼が、個人の「精神を育成する場」になっていたことに気付きはじめました。実は、この民族観と国家観の取り戻しは世界各地ではじまり、時代の転換がはじまっています。
この退職代行サービスや8050問題は、単純な社会現象ではなく大きな世界の流れの中で出来た現象であるということ。移植した個人主義が、日本人の精神と社会の不一致がアレルギーとして、社会現象になって日本人の価値観を壊してしまいました。文明の衝突は、日常の生活空間から起きています。2026年は、さらに民族観や国家観が問われる時代がはじまります。このレイヤーを通してみないと、社会も自分たちの未来も見えてきません。封印された日本の価値観の取り戻しが、今年からはじまります。日本民族は、他民族よりも早く問題に気づき、自分たちのアイデンティティを取り戻すと見ています。世界は、民族生存のために必死に国の立て直しをしています。民族生存競争の暗黒時代がはじまっています。