投稿者「事務局」のアーカイブ

Vol.800+30+16

道徳経と最終知識

精神学を正しく学んで、同時に、自己の研鑽も積むと、何が起きるのか。今回は、二千二十三年の一月十五日に開催された大阪でのセミナーの会場での、ある女性会員とその三歳の男の子の書いた、墨蹟のようなものの報告です。
その女性会員は、有名ではないものの書家であると、ここでは伝えておきます。結婚していて、そのご主人も、書道に幼い頃から親しんで、それなりの力量を持つ人物です。今回、大阪にその書家の女性が、幼い息子を連れてきて、セミナー開催の前に、私にその子が書いた文字ならぬ墨蹟を何枚か見せたのです。
三歳ですから、まだ、文字は書けませんが、なぜか筆は持ちたがるので、試しに書かせた作品とのことでした。
最初の一枚を開いてみた時に、私は鳥肌が立ちました。それは、第一級の禅僧が書いた墨蹟よりも、はるかに強い波動を出す書になっていたからです。その子が書いた何枚かの和紙を私に渡す時に、その書家の女性は、「これって凄くありませんか」といい、「私も主人も、負けているので、一度、見てもらいたくて、持ってきました」と言った理由が、その最初の一枚で理解できた、といえば、その時に私が受けた衝撃が伝わるのかもしれません。
その時、私の頭に浮かんだのは、顔真卿という名で、そういえば、その女性書家が、王羲之のような書を目標にしているということを思い出しました。
そんな途方もない相談を受けた時に、私は、正しくは私ではない私が、返したのが、とりあえず老子の道徳経の全文を書いてみたら、というものでした。
その後、その女性書家は、「最終知識」の全文も書にしています。それは長大な巻物です。
それらのことを思い起こしていると、この幼な児は、それに対する天の回答なのかもしれないというところに到るのです。
ギフテッドという言葉があります。
このニュータイプの子は、その子自身がギフテッドとして生まれただけではなく、その父と母への天からのギフトとして、親も自覚を持つものになるという新しい家族の姿を示していると考えられます。
子供は親を選んで生まれてくるという法則があります。この場合、子供の書いたものの価値を理解する両親が、そこにいて、その才を育てる配慮が約束されています。
親にとっては、自分が求めた芸術的な成果が、自分一代では達成されなくても、次の世代に期待するという人生の目的が明確になっていきます。
さらにいうなら、その両親は、書聖といわれるような、人間が書いた文字には、ある領域にしかない波動があるという、創造の神秘をかいま見たのです。
そこに、次の時代を開く鍵があります。
さらに、精神学的にいうと、書家の女性が、道徳経や「最終知識」を書とする過程で、生まれ変わりのようなことが起き、それこそ、遺伝子レベルでギフテッドの子を産む準備が整えられたと考えることもできます。
現行の文明下では、子供は親にとって負債として経済的な負担をしいるものとなっています。それが、少子高齢化の原因であることは分っていても、いまの社会システムで解決することは困難です。しかし、文明の進化の本質は、次に生まれるものは、今、生きているものより優れたものになるという世代交代への楽観論にあります。
自世代で解決できない問題は、次世代によって解決してもらう、という本来あるべき、教育というものの姿がそこにあります。
人間は、偉大な過去の相続人にもなれるし、滅びの記憶の再現者にもなれるのです。その分岐点が、この二千二十三年という時空で、顕在化することになり、私にそれを知らせるために、三歳児の墨蹟が、その日に届けられた、ということをお伝えするのが今回の光文書の目的です。
いまの地球には、ギフテッドの子らが、多数、生まれているはずなのです。

神紀三年(二千二十三年)一月二十六日 積哲夫 記