Vol.800+10

槍、光に到る

この二千二十二年五月の十七日の未明に、聖書で、または、アニメのエヴァンゲリオンで知られた、ロンギヌスの槍が、光の宇宙に到ったという報告がありました。
これで、この物語宇宙におけるロンギヌスの槍の物語は終わりました。
どうやら、それは、とおいとおい昔に、光の側のものでしたが、光と闇の戦いの時代に、日本の神々の親のような男神様が、どこかへ運ぶ途中に奪われ、闇の側のものとなり、歴史上ではゴルゴダの丘で、十字架上のイエスの脇腹を刺すという役割を担い、近現代史においては、この槍とされるものを見て、感応してしまった人物としてのアドルフ・ヒトラーを生みました。
たぶん、このロンギヌスの槍の呪いというか、ある種の情報伝達力を持った波動が、この地球上の精神界に存在していたために、日本のアニメ作家も、また、このロンギヌスの槍の物語を再創造したのだと、考えられます。
ここから先は、いまの日本の産業の中で、唯一、世界の先端を走っているように見える、マンガ・アニメ業界のクリエイティビティを支える精神界の話です。
私は、文化史的に見れば、手塚治虫というマンガ家は、近現代の日本文化の新しい地平を拓いた才能の持ち主であったと考えています。
欧米におけるSF作家がそうであるように、クリエイターの頭の中には、未来の情報が投影されます。
人間社会の科学技術的想像力の背景にあるのは、空想や夢想という、人間の脳が持つ固有の回路だといってもいいのでしょう。その情報源となる、ある種の波動に満ちているのが、この宇宙という訳です。そこで、今回、私のもとにもたらされたロンギヌスの槍が、光の宇宙に到ったという情報の意味を正しく開示すると、聖書の時代が終っただけでなく、いまのクリエイターの頭に、情報をインプットしてきた唯物論宇宙の時代も終わったということになります。
いまのマンガ・アニメ業界における主要なコンテンツの元となる精神界のストーリーは、これから急速に枯渇していくということです。別ないい方をすると、新しいモノをつくったとしても、古いモノ、すでに知っているモノの焼き直しに過ぎないモノとして、いまの顧客層から支持されなくなる日が近づいているのです。
世界において、唯一、日本が独占的ポジションを持っていた領域が、役割を終えます。
理由は簡単で、それらの業界のクリエイターの多くが、唯物論宇宙の住人で、頭の中は、死んだら終わり文明の価値観で満たされているからです。
ここから先は、無神論者の頭の中に、創造の女神が降りることはないのです。
その先にあるのは、新しい時代の創造を担うための脳内回路を持った新しいタイプの天才の出現です。
このシン・テンサイ君たちを生み出すのが、精神学にほかならないことが、これから実証されていくことになります。
ひとつの時代の終わりは、急激にやってくるのです。未来は、過去の延長上に想定されるものではありません。
ここから先は、現行人類のたましいに、最後の審判が待つ時空、あるいは、最後の審判の宇宙に到る、最後の物語が投影されるであろうと、私は予測しています。
物語宇宙ですから、その最後の物語を誰かが、語り、演じなければならないのです。それができる人間グループが、私がシン・テンサイと呼ぶモノたちとなります。
彼らは、神の情報を学び終え、ブッダの情報も学び終えたものとして、光の宇宙に到る道を整えることになります。その道筋の安全のために、再び光の側のものとなったロンギヌスの槍が、この宇宙の過去にある暗黒の宇宙をすべて貫いて、光の宇宙に到ったといえるのでしょう。
この物語を作品化できるのが、私のいうシン・テンサイで、彼らの才能は新しい契約によって開花することになるはずなのです。

神紀二年(二千二十二年)五月十九日 積哲夫 記