Vol.788

西暦の終わりというプログラム

かねてより、精神界では、西暦は二千二十年で終わり、二千二十一年からは、この光文書の日付も、神紀元年という表示を入れるようにしてきましたが、来年からは、その順序を入れ換えるようにとの指示がありました。
二千二十二年とは、私にとっても重要な年で、この世界ではじめるに当って、白山シラヤマヒメに授けられた、オフダをつくる能力が、なくなる、または、不要になる年でもあります。
世界のほとんどの人間には、まだ感知されてはいませんが、すでに、この地上では、一神教の支配エネルギーは、ほとんど消滅しています。では、何が強まっているのかというと、この地球を自分たちの生存の場として、所有しようとする何者かの精神的エネルギーです。精神学協会がこの世に生まれた当初、その、この世を支配したいという強烈な思いを持つ人間グループの背後にいるのは、一神教の悪魔のイメージをまとった意識体でした。
それらの悪魔的意識体にも、一神教の神に由来するものと、人間に由来するものとがあり、その一神教に由来する悪魔の多くが退場した後に残ったのは、バール神やモロク神などと呼ばれる、一神教の神を否定するものたちに由来する悪魔たちでした。それは、実は西洋文明といわれるものの背後にあった、神と神々の戦いの歴史の反映でもあったのです。
私がシラヤマヒメから授けられたのは、オフダに光を宿すノウハウですが、それは、ムスビの力と呼ばれるもので、実は人間のたましいも、このムスビの力によって、人体に宿ることができているのです。ただし、それは現行の人類が聖書の神の物語を地球上で、現実化する期間に、人間のたましいを神と神々のワケミタマで満たすために選ばれた仕組みのようで、聖書の時代が、終わることで、このワケミタマ方式が継続される可能性は少ないのではないかと、私は考えています。もちろん、いましばらくは、人間のたましいは、審判を希求すべき、光と闇の合体物である神や神々のワケミタマでしょうが、次の時代の人間のたましいは、ミクニやミロクの世に生まれると、約束、または、契約されたものたちの座として用意されることになるはずです。
それは、審判後の世界に生きるものたちなので、現行の人類とは、すでに同じものではないはずなのです。これらのことを、現実化するプログラムが、光の側で用意されている一方で、闇の側では、これまでの支配システムを完成させ、最後の審判には到らないような時空を継続させるために、聖書の黙示録的プログラムに、この地球と宇宙を巻き込むためのプログラムを着々と進行させているようです。その事象の中心は、この日本列島ではなく、アメリカと中東とロシアで、ユダヤ的なものとナチス的なものの長い時間をかけて用意されてきた波動戦争とでもいうべきものが、いまも進行中です。ここに、チャイナの記述がないのは、いまのチャイナは、すでに、ある勢力の代理人となっているからです。
精神界から見ると、いまの地球は、聖書的にいうと、黙示録の世で、仏法的にいうと、末法そのものということになります。
日本において、聖徳太子という歴史学界では、存在が疑われていた人物が、波動的に復活し、日本史の聖徳太子とその一族に光を当てることで、古事記と日本書紀の背後にある歴史の闇にも光が当たります。それによって、天皇家と藤原氏の闇にも光が当たり、日本史の正体も見えてくることになるのです。その日本史の背後に、日本の仕組みをつくり、置いた、神と神々の物語があることを正しく知らなければ、日本人の正しい覚醒と神性の復活はないのです。
その先に、いまの地球を支配している邪悪なものたちの正体を見る勇気のある日本人が次々に生まれてくることで、西暦の時代が終わります。
このことに対応する形で、これまで、西暦を表示していたライトとダークのイコンシールの表記が、二千二十二年から変わることになりました。光の宇宙につながるためのツールとしての役割を高めるための変更で、光の側からの指示で、いまテスト中なのですが、これまでのものより、強い光を持つものとなりました。これで、この地球が光の宇宙とつながる道が整ったと、いえるのかもしれません。

二千二十一年(神紀元年)十二月十六日 積哲夫 記


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