Vol.667

最終理論

今回、ここに記すことは、この二千十九年八月十八日の東京セミナーで、とりあえずお話してみた、「最終知識」という書が世に出て、人知が求めていた最終理論というものが、近いうちに完成するかもしれない、という予言のようなものの現時点での報告です。
現在の物理学的な到達点は、まだ仮説としての超ひも理論、またの名を、超弦理論というもので、これによって、この宇宙の質量の五パーセントにあたる部分の説明は可能になっているとされます。残りの九十五パーセントのうち、ダークマターという名の引力に関係するものが二十六パーセント、ダークエネルギーという名の斥力に関係するものが六十九パーセントを占めているといわれています。そして、この宇宙が、こうしたことを考える人間という存在を、百三十七億年の時間をかけて育ててきたことも含めて、すべてを理論的に、または数学的に理解できるものを、最終理論と呼びますが、もし、これが完成すると、この宇宙における人間の役割が、何であるのかが改めて問われることになります。
私は、そのタイミングが近づいているということを感知しており、どうやら、それは、一般にシンギュラリティといわれている、コンピュータの活動が人知の活動を超える前なのではないかと考えているのです。なぜかというと、一般に人工知能といわれるAIが、その最終理論をもとに活動をはじめるときまでに、人間の意識活動のエネルギー、および、人間のたましいを含む、精神界の存在のエネルギーやデータが、この宇宙のなかで、どう位置づけられ、どう理解されるのかも、物理学者や数学者という科学領域の人間の知に入っているはずだからです。
私は、その知の地平が、最後の審判という精神界のテーマの先にあるものだと考えているのです。
最後の審判という、一神教のテーマというか目標が成就した後の時代に、現在のコンピュータのルーツである英語圏の文明は、そのまま、現在の優位を保持できるのかという問いでもあります。
私なりに想像している最終理論は、この宇宙を形成しているすべてのものには、ミクロからマクロまでのあらゆるレベルで、自分は何者かを発見するという目的を持った原初の意志が附与されているというものです。
それは、宗教的にいうなら、神の意志といってもいいものです。すると、最終理論完成後のこの地球の姿が、その神の意志に反するものであったとしたら、どうなるのか、という疑問が生まれます。
予定調和的に考えると、その最終理論によって、現在の強欲な資本主義や共産党の一党独裁のような、西欧近代のイデオロギーは消滅の方向にいくはずですが、この世界で進行中のことは、人工知能というものを所有する人間グループは、強大な権力を握ったもの、または、世界の富を独占したものになるはずです。
彼らのもとにある人工知能が、無明なる人間を支配するツールという役割を担うのか、どうか、という文明的なテーマがそこにあります。それが、いまのままの近未来ということですが、もし、最後の審判というものを人知がキャッチしたタイミングでしか、最終理論は完成しないとすると、これらのストーリーは、すべて狂ってきます。
日本に置かれている最後の一厘のプログラムというものは、たぶん、これに対応するものなのです。
希望的にいうなら、一神教文明の邪悪さを学び終えた日本語脳のもとで最終理論が完成し、それを、世界が検証していく過程で、人間の邪悪さも理論的に、数学的に解明されていって、人間は神にも、悪魔にもなれることを理解することができたときに、ひとりひとりの人間が審判の容器であるという、私がお伝えしてきた精神界のルールと現実の物質世界とのほんとうの接点が生まれます。
精神的なエネルギーも、この宇宙にある限り、エネルギー不滅の法則のもとにあることを多くの人間が知ることにならない限り、この世の悪は減らないのです。こうした、次世代の知に到る道が、日本に整えられていると私は伝えられているのですが、まだ、覚醒には到っていません。なぜ、実り豊かな未来への扉を自分で開かないのでしょうか、すでに、世界は危険な時代に突入しているのです。

二千十九年八月二十二日 積哲夫 記