Vol.581

国軍への道

日本の死者たちの世界の扉が開くということは、このクニの近代史のすべてが裁きの場に引き出されることを意味しています。私は、かねてからこの近代日本の無責任体質のすべての根源は、あの明治維新のうしろめたさにあったと考えていますが、それは、この平成の世が終わろうとしている今日も、ほとんど変わってはいません。
戦前の日本のシステムの頂点にあったのは、旧制の帝国大学ではなく、陸軍大学と海軍大学という、軍隊の教育機関でした。その頂点がなくなった戦後のシステムのなかでは、東京大学の出身者がこのクニをコントロールしているように見えます。そして、戦後の教育システムのなかでは、文武両道という江戸時代に形成された人材教育の出発点が失われ、マネーをコントロールするものが、すべての頂点に立つというアメリカですらあり得ない価値観が、旧大蔵省の東大出身者たちの暗黙の了解になったのでしょう。
大日本帝国の陸海軍は、敗戦によって消滅しましたが、官僚システムのなかでも、旧大蔵省は、占領軍のもとで、アメリカ支配の先兵となるようにコントロールされ、温存されました。この旧大蔵省が、多くの日本人が第二の敗戦と呼んでいるバブル崩壊から今日まで続く、経済戦争の敗者として現日本をつくったのですが、彼らの組織は、消滅するどころか、財務省としてさらに権力を拡大しました。
私が、もし、いまの時代の独立国としての条件をあげよと問われるならば、完全に自立した国軍の存在と、通貨発行権の国家管理という、ふたつのことを回答したいと思いますが、このクニは明治の時から、それらを手にしたことがないのではという思いもあるのです。先の戦争に負けていまの姿があるのではありません。なぜかというと、戦前の大日本帝国陸海軍は、明治維新の官軍と称する側、つまり薩長の利権として、事実上存在していました。それは、私の考える国軍ではありません。さらに、明治憲法の統帥権を盾にとった政治への関与は、国家の主人は誰なのかということすら理解しない武力集団が、戦前の陸海軍であったとすると、それは現在の大陸における人民解放軍のようなものといえなくもないのです。
通貨発行権の件では、日本銀行は設立時から民間の銀行です。ただし、このクニの歴史では、ほとんど知られていませんが、ある時期、政府通貨を発行したことがあります。ということは、もし、真剣に独立を希求するならば、未完の明治維新というテーマを持ち、このふたつの独立国の条件を整えようとする国民的な意志があれば、それは達成されるかもしれないと考える可能性が生まれます。
私が精神界から伝達されている、明治百五十年のテーマとは、実はこのことなのです。
ここで、西南戦争において、西郷隆盛は陸軍大将という最高の地位であったことを思い起こしてください。
西南戦争で散った、篠原国幹や村田新八が西郷大将のもとで、帝国陸軍を育てたならば、その軍は、少なくとも山縣有朋のつくった帝国陸軍とはならなかったでしょう。
その山縣なき後、陸軍からは長州の人脈の勢力が除かれ、それが結果的には、戦争の道を開きました。その中心にいたのが、陸士、陸大をとび切りの成績で卒業した軍のエリート層だったのです。
日本を滅亡させたのは、明治の日本の教育だったともいえなくはない歴史です。
敗戦後の日本のエリート層は、その明治の教育システムよりさらに劣化した環境で育てられてきましたが、その彼らが、この時代に第二、第三の亡国のストーリーの主役として、登場しています。
この二千十七年に、東大卒で文科省の元事務次官がマスメディアと共に、国家の権力の行使に、忖度という言葉を使う場面が、日常的にあるという宣伝をしたのは、それが現在の官僚の世界の常識であるらしいと、一般人にもわかる手助けをしました。そこにあるのは、国民国家の公僕たる公務員の姿ではありません。国民の権利や生命や財産を正しく守る、国軍も、いまの日本には、その姿はないのです。

二千十七年十二月二十八日 積哲夫 記