Vol.602

大本営の罪と日本の死

明治維新百五十年の今年、明治、大正、昭和、平成と続いた日本が、どうやら構造的な耐用年数を超えたという意味で、ひとつの死を迎えようとしています。
ここへ来て、私に先の戦争を立案し、命令し、敗北に到らしめた大本営というものの罪と罰を記せという天の指示があるので、ほんとうは、日本国民が裁かなければならなかった戦争指導者たちのことについてお伝えします。
普通の日本人は、大日本帝国憲法下において、統帥権というものが、内閣から独立してあり、それは、天皇に直結していたという事実をほとんど知りません。そのために、ミッドウェーの敗北を、時の東條首相が知らなかったという、戦争指導者としては考えられない現実が起きたのです。もし、東京裁判が、近代の法理念で運営されていたならば、この事実をもって、東條首相は無罪だったはずなのです。
そうはならなかった理由は簡単で、あの戦争の指導をした責任を、史実である大本営に置くと、それは、大元師である天皇の戦争責任が問われるからでした。
昭和天皇も、深く戦争責任を感じられていたし、今上陛下もそれを感じられているからこそ、激戦地を訪れ続けてきました。
このように責任をとられ続けるのが、日本の天皇の姿なのです。
これに対し、大本営の面々は、戦後の日本で、その第二の人生を享受しました。ソ連に抑留された大本営参謀もいましたが、帰国後は大阪本社の商社の準トップにまで登りつめました。この人物については、さまざまな疑惑が語られていますが、いまとなっては、死人に口なしの状態です。
千九百四十五年の敗戦の直前に、戦争継続に備えて用意された第二大本営は、軍都広島に置かれましたが、八月六日の広島への原爆投下で、その姿を消しました。それもまた、しくみと天は伝えていますが、この敗戦によって、明治維新という権力奪取によってつくられた、さまざまな特権や利権のほとんどが、当時の支配階級から奪われました。私が、くり返し、日本の神々が、日清、日露には協力したのに、あの大東亜戦争において沈黙を守ったと伝えているのは、当時の日本の神格では、悪神とはいっても、アメリカ合衆国の神格に対抗できないことを知っていたからともいえるのです。現実に、その神格は、二千一年の同時多発テロまで、保持されていました。私が、アメリカが神の息吹きを失ったといっているのは、人知の問題なのではなく、精神界全体のエネルギーの流れの問題なのです。
いまはまだ、過去の遺産によって、その影響力は消えていませんが、次の時代のパワーの源泉たる天命は、すでにありません。
中国にパワーが移るかというと、それは、人間のダークサイドの欲望のパワーの部分だけで、アメリカが持っていた、人間の希望という光の部分はありません。その光の部分は、いま、すべてが日本列島に集められているのです。ところが、その日本列島をダークサイドに落とすために、敗戦利権というもので、富を得て、権力を得たいまの日本の支配階級がいるとしかいえない状況があります。そのルーツを、敗戦責任をかいくぐり、戦勝国の手先となって、戦後秩序を彼らのいいようにつくることに協力した大本営の面々の売国意識に置くことも可能なのだというのが、私の認識なのです。
どうやら、いま進行中の明治百五十年の終らせ方は、日本列島における、死者のたましいの最後の審判そのもののように私には見えています。
残念ながら、西郷隆盛のたましいは、すでに、この地を去っていますが、大河ドラマの人物像が、あまりにかけ離れているところに、いまの日本の時空が、過去のデータとは断続したところにあるということに気付けば、その先の時空には、正しい日本がないとわかるはずです。それを、私は日本の死と呼んでいます。

二千十八年五月二十四日 積哲夫 記


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