フェイスブックⅡ

○○を考える会に再度参加してみて、新しいメンバーとお話しした。
行動派で、さっそくサロンに遊びに来てくれた。
話が合い、その方は「最終知識」を借りて帰られた。
「読むのは一週間かかる」と言っていたが、「私は一か月かかるよ」と答えた。

今度は、私のお勧めの「素晴らしき哉、人生」のDVDをお貸しして、代わりに「宇宙につながると夢はかなう」と「あなたの運はもっとよくなる」と音楽CDを持って来てくれた。

ハウツウものかと思いきや、今の私にぴったりの本だった。
それで、私の直感を優先してみることにした。
電話予約をしたものの、私のツメの甘さで、何時に終わるのかを理解してなかった。旦那には、8時に終わるからと言って出てきた。
よく見ると、10時終了だった。ガ~ン

24日、思いつく友人を誘ったが、やはり私一人行くことになった。夜の7時からなので、最近、連絡を取り合うようになった旧友に会うことになった。
なんと、15~18年振り。セツの仲間だった。彼女とは話がはずみ、聞き上手だと思ったらカウンセラーだった。多少の変化はあったが、明るいし、よく笑うし、面影はまったく変わらず美人だった。

東京駅のいつもの丼もの屋で、ランチを食べると、「もしも女子高生が…」の作者によく似た面構えの男性がいたが、本人かしらと思いつつ、思い出話しからはじまって盛り上がった。
「私の小説を書いてんのよ、それが30万字になるけど、まだまとまらない」
「まだ、増えるってこと? へぇ~、30万字っていったら」
「400字詰め原稿用紙が…」
二人とも大ざっぱだ。
「1000枚か、こんなになるよ」
カウンターの上で、空間を手で押さえる恰好をした。
さきほどの作家似の人の姿も消えていた。
出る時に、話し過ぎて、失敗したなと思った。待ちの人が行列になっていた。

せっかくだから、オフィスにおじゃました。
古いマンションなのだが、南側からの陽射しが落ち着き、風情がある。

「私、お金返してるよね」
「うん」
「ああ、よかった」
そして、なぜ、あの時お金を借りたかを白状した。
「へぇ~」
「そうなのよ、あの時、普通だったらそんな非常識なことをしないのに、そんな風な気持ちになっちゃったのよ」
今、とりざたされているNさんのようだった。これをやったら、運命がよくなる、だからどうしてもやんなきゃ」
飛んで火にいる夏の虫状態、自分に責任がある。

そして、私の波乱万丈の人生をかいつまんで話した。
「ええ~」
「そう、私の人生は、小説のように面白いのよ」ついでに、旦那との馴初めも面白い。
営業成績の棒グラフが、壁を突き抜けて、天井を這った話とか、みんなで記念撮影して、それがボツになった話も。
「本当にぃ~」

私の住んでいる地区の人とのつながりが持ちにくいことを話ししたら、それは、東京の人が地方の会社で働いた時に感じる、中へ入って行けない気持ち、物事が進まない歯がゆさ、かったるさ。考える会の都会から移り住んだ伊豆高原のメンバーも同感だった。
「それは、私が聞いている○○県の人も同じことを言っているわ」
カウンセラーの友人が言った。

私が旦那に感じることは、その土地の人柄そのままで、私がその土地の人と親しくなろうと働きかけても馴染まないのは、よそ者を受け入れない村社会の構図に一因があった。私の人格に問題があるわけでもなく、気に病むことはなかったのだ。
東京の人のキップの良さからは想像もつかない、現金収入の少ない地方人の習性もおおいに関係していた。
つまり、自給自足に近く、お金を使わない暮らしの優雅な人も、本当にない人も、お金を抱え込んで出し惜しみするから、経済が動いて行かない原因でもあった。
「なんだ、そうだったのか~」と納得がいった。
それどころか、日本全体がそうだった。大きな視点から感じることができた。

私が田舎に移り住むことになって、「田舎が好きだ」と言ったら、「あなたは都会が合っているのに」と言われたことが想い出した。
その彼女も地方も経験している都会が好きな人間だった。
「私は、緑のない所では生きられない人」で「自然が好きだ」「たまに都会に行かないと退屈」が正しいのかも知れない。

カウンセラーの彼女が太鼓判を押した。
「あなただったら、いい癒し手になると思うよ。優しいし~」
「そうお~? …実は、私もそう思うの」
自分の力で立ち直ることができたら、きっといい癒し手になれる予感はする。
大好きな、プリンとマドレーヌとコーヒーを頂きながら、だいだい5時間、しゃべりっ放しだったことになる。

自分の人生と自分をすべて肯定できて、大満足だった。

置き土産にフェイス用のセキオイルの説明をして、旦那の富士山のポストカードとともにプレゼントした。

☆☆☆

会場は東中野で、その前に一人でテクテク歩いて行って、韓国料理屋を見つけて腹ごしらえをした。安くて美味しくて、量もあった。当たりだった。
会場へ行ったら、まだ開いてないので、時間潰しに天使の絵が気になったカットハウスへ入った。開演の5分前までにできますか?と聞いてOKだったのでお頼みした。
許可を得て、壁の絵を撮らせて貰った。ここが、看板に天使のマークがなければ入らないし、カットして貰う気にも起こらなかった。

そして、いざ開演。
ところが、ちょっとした有名人である方たちのお話しを聞いても、私の方が素晴らしいという思いが、何度も出て来てくる。私はまた、権威とか、有名人とかの人を無条件にあがめていたことに気がついた。

そして、『病める時もあえて自分を肯定する』大事な言葉を聞いて、確信をして、演目のつなぎ目から抜け出て来た。
友人に宿をキャンセルして、旦那に今から帰るとメールを打った。丁度、予定していた8時だった。

「宇宙につながると夢はかなう」の中の、抜粋。――――――――――――――

その出来事から感じる悔しさ、怒り、寂しさ、悲しさなどを、一度とことん感じてください。その事件からあなたがなにを感じているか、なにがつらいのか、どうなったらあなたの気がおさまるのか、正直に探ってみてください。―――思ってもいなかった醜くて嫌な考えが自分の中にあることがわかって驚くかも知れません。
でもそれでいいのです。
誰でも、傷つけられたときやすごくつらいことがあったときには、いつもの自分では考えもしないような種類の醜いことを考えたり、つらさのあまり、ものすごくネガティブな思考になりがちです。
ですが、人間である以上、誰にでも醜い部分を持っていて当然です。<中略>
ですから、そう感じてしまっている自分を否定しないでください。
ネガティブな感情も含めて、そう感じてしまっている今のあなたをそのまま認めてあげると、そこでその気持ちは解消されます。その気持ちを解消すれば、それに執着することもなくなります。
プラス思考が叫ばれている現代は、「マイナスの気持ちは考えない方がいい」として、自分の感情を抑えてしますことも少なくありません。
私自信の本でも書いている「不安なことは考えない方がいい」というのは、「起きてもいない未来のことを先回りして不安になるのはやめたほうがいい」という意味で、自分の感情にふたをして無理に明るく考えることではありません。
ある出来事からわき出してきた強い感情は、そのたびにしっかりと向き合って味わわなければ、あとから必ず足を引っ張られることになります。

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私は、「手放す」ことの意味が長い間、わからなかった。手放したいのに、方法がわからなかった。
出てきた自分の姿と、醜い感情にびっくりして、あわてて消そうとした。それが、強い自己否定につながって、時間がかかったのだ。

だから、私は、ライブ中、ディスコのように総立ちで叫んで解放する自分を想像して行ったのに、遠巻きにネガティブな過去の私を見つめていたのだ。
「そら、嫌われても当然だった」と。
今の私は、「光の側の人間だ」と。
鏡の裏に闇を残さないことの意味が、やっと理解できた。徐々になくなるのだろう。

家に帰って、旦那に報告すると、「じゃあ、メインはその友達に会って話すことだったんだね」と言われた。そうだっだったのかも知れないと思った。

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