武漢クライシスがもたらした、日本社会の崩壊 Ⅲ
―いま北米社会で何が起きているかー

 毎朝、テレビをつけてニュースを見ると、刻々と深刻な時代になっています。3月23日朝には、トルドー首相が会見をして「2020年東京オリンピックに、カナダの選手は参加させない」という発表をしました。と同時に、「非常事態になっているので家の中ですごすことをしてください。」付け加えて、毎日会見をして事の大きさを国民と共有して、新しい規制とルールが日々発表されています。住民も困惑と戸惑いがありながらも、その条例に合わせた生活をしています。どれだけ、日本との違いがあるのか? 公衆(パブリック)と個(パーソナル)この対比の中で、どう使い分けて民主主義をしているのか、日本人は考える必要があると思います。

 

「公衆衛生の徹底ぶりは、日本の比ではない」

―北米の各主要都市で、ロックダウンがスタートしているー

 日本では、集団で花見をして飲み食いをしている人やいまだに外食店で飲食をしていますが、各国ではそんなことはしていません。ましてや巨大な施設を使って、格闘技を開催し6000人規模の人が集まることは、いまの世界の常識では理解できないことしています。誤解をまねかないように、先に言います。北米や欧州が正しくて、日本が間違っているということではありません。
 今年は、世界中の至る所で未知のウィルスに苦しみながら、日常生活を奪われ困惑と戸惑いの中で生きています。それは、日本とて同じことです。早く、この状況から脱しなくてはいけないにも関わらず、一部の個人の欲望と私利私欲で行動していることが国益を損なっていることに繋がっている。いま、世界各地は生活の不安感が高ぶっています。前回にも書きましたが、バンクーバーでは飲食店、スパ・理容・美容系の店はすべて営業停止になり、成長産業だったジムの営業も停止になりました。当然、人が多く集まる図書館や映画館は休館され、スポーツ観戦やコンサートの講演なども3月中旬に中止にされました。(カナダは、日本より感染拡散が遅く始まったので、規制は3月20日以降から本格的にはじまりました。)
 唯一、他人との接触が許されている場は、スーパーストアーと外食産業だけです。外食産業も、レストランで許可されているのは、テイクアウトとデリバリーだけで店内飲食は禁止されています。人との接触をしない方法での営業許可になっています。例えば、カフェではお客さんを1人しか店内に入れず、そのお客さんが購入してから、次のお客さんが入り、他のお客さんは外で待っている状態になっています。ファースト・フード店でも店内での飲食は禁止で、テイクアウトだけの営業になっています。ほとんどのレストランは、テイクアウトの営業では商売にはならないので休業にしています。さらに制裁を厳しくしたのは、Vancouver市で、「休業の自粛」ではなく厳罰を発表しました。散髪屋、ジム・ネイルサロン等の人と接するサービス業は完全に営業禁止条例を出し、営業をしていた場合には50000カナダドル(400万円)の罰金になることが発表されました。各州・各市によって、罰則規定がまったく違う上に、毎日条例と発表が変わるので、それを理解するのに翻弄されている現状です。トルドー首相が渡航禁止を発表した週は、他のお客さんとの席の間を2mあければ、店内での飲食を許可していました。しかし、次の週からはテイクアウトとデリバリーの商売だけの条例になり、経営者は法律的なことに振り回されて頭を抱えています。日本のニュースを見ていると、客足が減って厳しいと言いつつも、普通に営業をして狭い中で飲み食いしている人の映像が流れると、北米や欧州の人からは不信と危機管理ができているのか? という疑惑の目で見てしまいます。ましてや、各国では集会や知人との会食も自粛させている中で、何千人ものスポーツ観戦を開催したことは、「日本人は、この武漢肺炎を終息させる気があるのか?」と印象を持たれても、いたしかたないと思います。

 BC州は、さらに3月24日現在、他人との距離を2m間あける条例がスタートしました。(家族以外は、他人との距離はあける条例。バスや電車などの場以外は、人との接触をしない。) ここまで徹して、疾病対策をうっています。日本の対応を見ていると生緩い感じがします。それに、公衆衛生から受ける生命の危機という対応が、日本の行政側にもないと思います。今回の非常事態に対して、日本人の社会モラルと法律の問題に大きな溝があるような気がします。

 これまでは、日本人の社会モラルの高さ、民度の高さで社会を保ってきました。それによって、公衆衛生が保たれた事実があります。個人の財産権と自由の権利が強い社会でも成り立ってきました。しかし、今回のような非常事態の時にどうするのか、いまの日本人の思考では乗り越えられない気がします。今回、白人社会の民主主義を見ていて感じたことは、平常時は個人の自由を最大に尊重して社会を回しますが、緊急事態になった時には、行政側が主導権を握り、国民の生命・財産を徹底的に守る社会体制に豹変させたことです。そして、国民は行政に委ね個人の自由を制限されても、苦言を呈せず公衆の利益をみんなで守るという姿勢があることを、見ることが出来ました。そこには、行政のトップと国民の信頼があり、個人の力ではどうすることも出来ないことは、国家権力や地方行政の力に委ねて安全な社会を確保してもらう。公と個人をちゃんと別けて社会を見る、思考になっていることを実感しました。今回の日本社会を見ていると、非常事態と平常時の境界線がないように思います。
 3月下旬から世界各国が明確に出した方向は、公衆衛生を個人の自由や経済活動よりも、さらに優先順位を上げて個人を規制したことです。それによって、経済活動を捨てても公衆衛生を最重要課題にして、社会を立て直すことをはじめました。その一部が、外出禁止条例や飲食店の営業停止条例などの公布です。ルールを違反した人には、罰金というシステムで治安を守る方に、先進国は一致して向かっています。各国は、公衆衛生を第一にした国家体制にしたことを日本の人たちは理解しなくてはいけないと思います。

先日、小池都知事が「東京都をロックダウン(外出制限)するかもしれない。」と話していましたが、いまの日本の状態で出来るのでしょうか。カナダの主要都市は、個人事業主の営業権を奪うことで、庶民が外出をしてもどこにも行くところがない状況を作りました。会社もレイオフされているので、通勤する人が極端に減りました。学校も休校になっているので、通学する人も減りました。外出しても、どこも開いていない状態になっています。2mの距離をとって人と接するという、ルールが出たので知人とか友人と、いままでの会話などができない状態になってしまいました。いまの日本社会に問われることは、日本人が潜在的に持っている、公衆衛生が絶対的・恒久的安全だと信じている事だと思います。非常事態や状況が変わった時には、いままでの思考をシャットダウンすることだと思います。公と個の境界を理解して、何をプライオリティにしていくのか空間デザインする思考を持たないといけないと思います。
いま行政のトップ(都知事)が、ロックダウン(外出規制)をしても、どこまで個人の自由で、どこからが公の権限を行使するか、明確なガイドラインがないような気がします。何をするのか明確でなければ、住民を混乱させるだけになると思います。公の安全を守る行政のトップは、空気のような条例を出すのではなく、具体的な行為の規制と保証だと思っています。何を個人に責任を取らすのか? トップに立つ人間が決断をして行政側が持つ「公の責任」と「個人の責任」のガイドラインを作ることだと思います。中途半端な個人に采配(自粛要請がガイドラインになっていない。)に任せるのではなく、行政のトップが権力を使って規制することが必要です。
敗戦後の日本の民主主義は、権限がある人に決定させないことが、良いこととしてきました。しかし、今回のような公衆利益は個人の采配では解決できるものではありません。 
いま、行政のトップの問題は、「何を捨てて、何を残すのか?」この決断が出来ないことです。空気のような言葉と感情の雰囲気を作っているだけで、行政ができると思っていることです。今回のことで、日本人は公と個人のガイドラインがないことに気づいたと思います。選挙で選ばれた自分たちの代表に何を権限として委ねるのか。行政のトップと庶民の信頼の関係を、どこで作っていくのか。莫大な費用を使って民主主義というシステムを作っていながら、その機能を100%使っていないならば社会のあり方を考えなくてはいけないと思います。さらに首長は、重責を持っている意識を持たなくてはいけない。危機管理と大きな決断ができる能力がなければ、行政の権限を行使して住民の命を守っていくことは出来ない。今回カナダで、多民族国家の民主主義の本当の姿を見たような気がします。いろいろな利害関係がある社会で、公衆と個人の責任を使い分けながら、上手に社会のかじ取りをしている姿は、いまの日本の政治家は見習うべきだと思う。かつて日本人は、その能力を持っていたのですが、いまは無くなってしまったような気がします。いま日本が問われているのは、世界の1リーダー国として、どのようなモラルで対応をしていくのか。この時期に、花見や、宴会や、6000人規模のスポーツ観戦を許すのではなく、早く武漢肺炎を終結することです。この武漢肺炎が終息できなければ、各国との渡航規制が長引きます。それは、各国の産業の低迷を先のばしすることにもつながっていきます。

 

「見通しのたたない、この状況」

 Vancouverもこのような状態が、10日以上経ちましたが回復の兆しがありません。むしろ、感染者が多くなり、状況は深刻になっています。疾病の拡散(病気)と経済活動の停止(金欠)のどちらかが、庶民の命を奪うのか。行政も個人も瀬戸際の戦いです。
この状況がはじまってすぐに、カナダ人の知人と話したとき「こんな状況ははじめてだ。」と言って困惑は隠せない状態でした。日ごろは、にぎわっている繁華街が、1日にしてゴーストタウンになってしまいました。写真でもわかるように、ほとんどの店が休業をしてしまい、いつ店を開けることができるか、めどが立っていません。(高級レストランとネール・ヘアーサロンが立ち並ぶ一画が、この人の少なさ。すでに、この状態が10日続いています。)銀行までが、窓口をしめATMだけにしてしまった。銀行の窓口の職員も、ほとんどがレイオフになってしまいました。(日本の行員は、高級な仕事で待遇もいいが、ここは普通のオフィスワークと同じ程度の待遇しかされていない。仕事が無くなれば、一部の行員を残してほとんどレイオフされてしまう。) 一瞬にして、文明がタダの箱モノになってしまいました。

 今現在、このような状況が3~4週間続くとされています。人によっては、2~3ヶ月は続くのではという人もいます。現状は、戒厳令に違い状態で人との接触をしないように徹底させています。自宅で家族以外の5人以上の会食・会合は、原則禁止しています。カナダの主要都市は、外出禁止令はでていませんが、その法令が出るのも時間の問題かもしれません。前回も書きましたが、アメリカに追随する国家政策なので、ニューヨークやカルフォルニアが外出禁止令になっているので、最悪の状況はアメリカと同じになるでしょう。
 蛇足になりますが学校の休校は、小・中・高学校は9月まで休校が決まりました。大学の方も、ネット授業にしてしまい、人に触れない形での授業体制になっています。日本では、子供たちを感染から遮断しましたが、北米は大人から子供まで規制を与えて、他人との遮断(ブロック化)をして感染の拡張を防いでいます。(写真、平日の朝の電車とバスですが、まったく人が乗っていません。)

 

「北米の失業者は、この週間でとんでもないことになっている」

-疾病対策と財政政策を同時に動いているー

 北米は、前回も書きましたが終身雇用ではないので、いつでも景気が落ち込めばレイオフにされ、職を失います。職を失った人は、他の会社や他の業種に転職することで、労働者の流動化がスムーズにいく社会になっています。日本のように、40代50代だから転職は難しいということはなく、自分たちの労働条件にあった場を求めて比較的簡単に転職をしています。さらに、能力があれば前職よりも、給料もポジションも上になることは普通にあります。(ローリング・ストーンとは、転がりながら大きくしていく。転職をして、技術を上げていく発想がある。)私の友人も、35歳で料理人の世界では限界を感じて、レストランから大工になった人もいます。北米では、異業種の転職することはさほどハードルの高いことでなく、日常に行われています。 
 しかし、今回は同時多発的で、さらに多業種で大量のレイオフが起きてしまったので、北米では労働の流動化できない状況になってしまいました。それは、何を意味するのか? 大量の失業者が出て、キャッシュが回らない社会になってしまいました。国民生活では、住宅ローンの支払いや家賃の支払いができない人が大量に出て、これからその人たちの救済をどのようにしていくのか? 早急の行政側の財政政策と金融政策が問われています。日本の行政は、国も地方行政も経済政策に対しては明確に出していませんが、カナダ・アメリカは一早く生活保護や経営者の救済保証をすることを発表しました。レイオフをされた人たちの救済処置をとらないと、自己破産をする人と多くのホームレスが出てしまい、社会システムの崩壊につながるからです。それぐらい、待ったなしの状況になっています。
 日本人の感覚では、理解できにくい労使関係と社会システムになっていますが、ここでも公と個の責任が明確にわかれています。北米では、会社経営を守るという観点から、すぐに解雇できるシステムがあります。会社として収益が落ちれば、不必要な労働者を維持しないという発想があります。1人をレイオフして、5人雇用されるのであれば、1人のレイオフはやむをえないという考えです。いっけん冷たい社会に見えますが、6人すべてを失業させるのではなく、1人を切って5人は働いて1人分の失業保険で済ませるという、合理的なシステムになっています。労働者側は、保険がすぐに受けられるので、行政側が生活の保障の受け皿としての機能を果たしています。レイオフというシステム(不法解雇は厳罰があります)が北米の中では、労働者の流動化を推進するシステムになっています。
 話しは戻します。今回は、あまりにも同時に出ているのでどこまで保証するのかが、行政側も戸惑っています。それに加え、いったいどこまでこの状態が続くのかわからないので、緊急処置として大きな補正予算が組まれました。北米の主要都市は、ほとんど機能停止になってしまいました。上の写真でもわかるように、こんな状態のところが北米の主要都市で起きています。
 カナダ政府は、緊急の資金援助として820億カナダドル(6兆1千億円)をコロナ対策費用とビジネス関連の流動支援を発表しました。普通にレイオフされた人たちは、820億ドルとは別に失業保険を手にすることができます。

■ 新しい緊急処置として、自営業者や雇用保険の資格がない労働者に対して、最高900ドル/隔週、最大100億ドルの支援を15週間すると発表されました。(自営業者は、失業保険には入っていないため。)
■ 失業保険の資格がなく、失業に直面している労働者50億ドル支援枠。(転職したばかりで、失業保険の資格がない人達。)
■ 学生ローンの支払いに対する6カ月の無利子の猶予を与える。
■ 納税申告期限を6月1日に延期します。
■ その他

 カナダは、このような経済政策を出し国民の経済活動を止めないように、打ち出しました。アメリカは、トランプ大統領も2兆ドル(220億円)の経済救済対策が決定しました。
 その対応の速さをみていると、日本の行政機関は何をやっているのか全く理解できません。日本は、北米よりかは1ヶ月も先に武漢肺炎で深刻な問題になっているにも関わらず、いまだに国会も地方行政も公衆衛生と財政出動を同時に両輪で回していない現状に驚いています。経済活動の規制をするならば、住民を守る保証をするべきです。100%の保証は出来なくても、最低生活ができる保証はして、失業対策と国民・住民の生活を守る体制を行政はつくらないと、大量の失業者と企業倒産がはじまるでしょう。
 今回のこの状況を、黒田日銀総裁はリーマンショック級以下だと言っていましたが、北米で暮らしていると、そんなことは絶対にありえません。明らかに、リーマンショックよりも景気は冷え込んでいます。なぜなら、普通の人が動くことができないので、リーマンショック時と比べること事態が、ナンセンスで誰の目から見ても違いがわかります。先のカナダの知人ではないですが、「こんな状況は見たことない。」と言っていたように、一夜にしてゴーストタウンになってしまう状況が、北米の各地で起きていることは、何を意味するのか? 日本の主要都市や地方都市で、駅ビルが封鎖されて繁華街の店・レストランが行政によって同時休業を1ヶ月したら、どうなってしまうのか想像してみてください。それに加え、突如、解雇され転職するにも出来ない状況になったら、どうなるか? 普通の常識がある人が考えたら、すぐに答えが出ることです。これが、いまの北米で起きている現実です。

 

「日本が抱える大きな闇」

―歴史と国際情勢の一致―

 いつ見ても、国会議員の体たらくとプライオリティのなさには、怒りを通り越して呆れてしまいます。そして、オールドメディアの真実の歪曲と国際感覚のなさには、無能さを露出しているどころか、外国からの世論操作が入っているのではないかと思うほど、情報の隠蔽と論点のすり替えをしています。いったい、言論空間でめしを食べている人たちは、何を仕事にしているのかわかってやっているのか? これだけ、日本人を間違った方向に導いていることについて、罪悪感を持たないのか不思議でたまりません。今回の例で言えば、国会討論で野党議員が「基本方針を出さないで、イベントの中止とか一斉休校が場当たり的で、国民は迷惑をしている」と批判した議員がいましたが。世界情勢と日本社会に起こる危機に対して、正確に本質をとらえて空間デザインをしているのだろうか。日本は、各国の対応よりも早く「小・中・高」の学校閉鎖をしました。いまは、日本と同じような行動を北米ではしています。
 あまりにも国会議員のレベルが稚拙で、党利党略の政争の具で国会を使っていることに恥と思わないのか。国のまつりごとをプロとしているならば、科学的な検証や医療的な検証や法令的な知見にたって、どのように国民の生命と財産を守っていくのかを第一に考え、何を立法していくのか。他人の命を預かるという立場で、まつりごとをしている姿には見えません。あまりにもくだらない議論に、自分たちの無知さを顧みない人が国の中枢にいることに、日本人は恥と思わないといけないと思います。
 さらに、不思議なことはいまだに森友問題を野党は持ち出し、国会の機能を止めていることです。もうすでにはじまっている、失業問題や事業者の資金繰りの問題を議題に出さないで、財務省の省内問題を国会の機能を止めてやる問題なのか。感染問題も決着がついていないにも関わらず、政権の批判だけをして野党は何を政策提言して実務を遂行しているのか。一般の庶民は、武漢肺炎の中で「手足を縛られた状態で、海に放り出されて泳いでいる」のが日本人の姿です。感染症問題によって、手足を抑えられて動けない状態で、経済活動をしている日本社会がさらに深刻な状態になっていくにもかかわらず、その対策が出ていないで省内問題のプライオリティを一番にしている、あのセンスのなさはどこから出てくるのか? この状況において、政争の具にして党利党略をしている国会議員や地方議員は、自分たちの無能さを知るべきであり、有権者一人一人がその実態をするべきだと思います。
 世界の各国は、世界恐慌が押し寄せてくる波をどう回避するかに動いています。にもかかわらず、世界情勢の空間デザインが出来ない人間が、国のまつりごとに参加している意味がわかりません。これは、野党だけの問題でなく与党にも問題があります。
 仮に、カナダ・アメリカであれば野党やメディアが、国会議員と中国の関係についてすっぱ抜き国益の毀損と外国への癒着を徹底的に暴くでしょう。どれだけの国会議員やメディアが、二階氏を非難したでしょうか。与党議員・野党議員・メディアを含めて、どれだけの親中派が言論社会の中にいるのか、わかった一幕でもありました。
 問題は国会議員だけでなく官僚にもあります。財務省が財政出動になぜ拒んでいるのかが全く分かりません。消費税減税を拒む姿勢もよく解りませんし、いったいこの省は何を誇りに思って仕事をしているのでしょうか。国民の経済活動を行わなかったらお金は流れません。人間の体で言えば血液です。いくら正常な臓器を持っていても、血液が無かったら死を待つだけです。世界に通用する日本人の労働力や産業があっても、血液であるお金が回らなかった自滅するしかありません。そもそも、そこを上手くつけ込んできたのは中国であり外国資本です。そろそろ、日本人はその正体と実態を知らなくてはいけません。そして、国富(国家の財産)の采配を牛耳っていた官僚政治に終焉させ、省益体質から国益体質に変えないと、この国は亡国の危機に瀕して立ち上がることできなくなるでしょう。
 さらに大きな問題は、民間の立ち位置でいながら、拝金主義とイデオロギーで生計と立てているオールドメディアです。一見、庶民の側についている振りはしますが、拝金主義(権力とスポンサーと外国資本に媚びる姿勢)で、風見鶏のように言論をかえていく、オールドメディアの報道ぶりです。外国に忖度をする意図的な報道なのか、時代をとらえていないのかわかりませんが、どこを向いて報道しているのかが全く理解に苦しみます。
 カナダから日本の報道を見ていると、外国に媚びた報道は酷いものがあります。今回の武漢肺炎で明確になったのは、中国で何が起きているのかをわかっていながら、正確な報道をしてこなかったことです。海外メディアは、世界の対応や軍が率先して行動していることを報道し、中国で何が起きているのかを現地取材をもとに、状況と映像を連日のように流していました。
 習近平国家主席が、武漢に外出禁止令(ロックダウン)を発表した時から、徹底的な取材と正確な報道をしました。あのCNNですら、今回に関しては正確な報道をして、何が起きているのかをアメリカ国民の共有の財産にしました。その状況と見比べながらも日本の報道は酷いものがありました。中国に忖度をしてか、現地の状況を正確に報道せずに、重大なことが起きていることを隠す報道をしました。それによって、日本人の見識を見誤ることをずっとしていました。
 それは、今現在もオリンピック中止の報道においても、バイアスのかかった報道をしています。ある局では、オリンピック中止により経済損失の報道を大きく取り上げていましたが。安倍政権の決定で損失したかを印象付けるような報道をしていました。これは、論点のする替えのような気がしてなりません。海外に住んでいたら、オリンピックが開催出来るかどうか普通の常識を持った人ならば、誰でもわかることです。むしろ、最後の最後まで小池都知事が開催にこだわっていたことの方が問題だと思っています。世界の武漢肺炎の状況と開催ができるのか? 国際情勢と国内情勢を照らし合わせたら、都知事の発言がどれだけ無謀なことを言っていたのかが理解できます。そのことに対して、オールドメディアは誰も小池知事の批判をしませんでした。
 仮に、この武漢肺炎が終息しない状況でやった時にはどうなるでしょうか? 世界のトップのアスリートが日本に来るということは、招く側が「人生をかけた選手」の安全を保障することになります。世界のトップアスリートが来るということは、「国家の宝と民族の誇り」が来ることを意味します。豊洲移転のときには、あれだけ安全・安心をうたっていた人が、なぜこの時には話しをすりかえてしまうのでしょうか。
 オールドメディアは、早い時点からできるのか出来ないのかを都知事やJOCに追求すべきだったと思います。それに、IOCは5月に決定すると言っていたことを、安倍首相が前倒しで決定したことでどれだけの、経済の損失を抑えることができたのか。そういった報道は一切なく、中止になったことばかりが取り上げられて、何がプラスになったのか、まったくそこが報じられていません。
 そもそもは、この中止の原因は中国です。その中国に、なぜ日本のメディアは切り込みをしないのでしょうか? 疾病が発生したにも関わらず、隠蔽していた中国の政権批判をしたでしょうか? それに加え、WHOは武漢が閉鎖になっても「大きな問題ではない。」と世界のメディアを使って言いました。この発表で、日本の厚生省は対応が遅れたことは間違いないと思います。いまアメリカ政府は、中国にアメリカの調査団を入れろと押し問答をしています。そこに、なぜ日本のメディアは日本の調査団を送れと政権批判をしないのか? そういう、批判をしながら国益を守る言論空間を作るべきであると思います。いまのオールドメディアは、海外のスポンサーによって報道が捻じ曲げられているのか? 現状はよく解りませんが国益を守る観点から情報を正確に伝えるべきです。
 
 この武漢肺炎ではっきりわかったことは、いまの日本で、まつりごとや言論に携わる人は、国際情勢を察知する能力が極めて低下しているということです。そして、歴史からひも解いて現代版の英知にする力が劣っていることだと思います。国家観と国益を柱にして、「国際情勢を察知する能力」と「歴史からの英知」というツールを使って、難局をどう乗り越えていくのか。今回の武漢肺炎で言えば、アメリカ・カナダはスペイン風邪の歴史からの英知で、対応策を作っています。国家の威信をかけて、国のトップの機関が英知を集約し対応しています。彼らの国策は「国益」「歴史の英知」「国際情勢」を常に、組み合わせながらの国づくりをしています。 
 日本の国会議員の意味をなさない弁論とは全く違います。ものごとを解決していくという立場で、言論と実務と責任をもって、結果を出していくことをしています。活舌がよくパフォーマンスが上手な人は、「青年の主張」の弁論大会に出ればいいのであって、まつりごとに参加してはいけない。
 かつての明治の偉人たちは、「国際情勢」という概念がはっきりしない中で、手探りで情勢を察知する能力を作ってきました。言葉も文化も違うなかで、想像を絶する苦労だったと思います。日本人には、そのDNAがいまも生きていると信じています。今回のことで、日本人一人一人が覚醒して「国際情勢」と「歴史の知恵」から国づくりをはじめていく時代になったことを、意識しないといけないと思います。