歴史から抹消してしまった国防と国益 Ⅺ
―対中政策を明確にして、政治主導の国家へ―

 いまの岸田政権は、何を柱にして国家運営をしているのか全く解らず、安倍・菅政権体制の継承とは違う政策になっています。同じ自民党でありながら国内政策や外交政策が、真逆になってしまった国づくりに驚いている人たちが多いと思います。去年、総裁選で自民党を支持した多くの人は、政策の継続と経済政策を改善してほしいという想いで投票した人が多かったと思います。特に、外交政策においては中国と朝鮮半島から距離を取ってほしいという願いが強かったと思います。しかし、100日過ぎても明確な指針を出さず、外務大臣に親中派を据える奇怪な政治メッセージを世界に出してしまいました。中国・ロシア・朝鮮半島が、日本にとって危険な状況になっているにも関わらず、国防と外交政策を岸田政権はいまだに明確にしていません。日本政治の理解できないことは、令和になっても国内の事情(派閥の勢力図・持ち回り)で人事を決めていることです。その道の専門家やプロが、改革をするために閣僚に従事するのではなく、専門性に乏しい人や世界情勢を理解していない人が、重要ポストに付くという不思議な仕組みになっています。しかも、派閥勢力や議員年数で役職が決まるという、昭和の年功序列の古き慣習の中で日本の政治が動いています。林外相を例にしても、農林水産大臣を務めた人として世間に知られていますが、過去に何の外交で成果を挙げたのか誰も知りません。今回彼は、畑違いの外交のトップに就きましたが、何の政策を改善するのか何も口にしていません。安倍・菅政権で対中政策を露骨にしてきた外交の引継ぎをするのかしないのか、も明言せずそのポストに座り何をしたいのか。 加えて日中友好議連の元会長までした人が、これだけ日中の軋轢がある中で中国と交渉をすることができるのでしょうか? 私ごとですが、外国人と人間関係や自分の主張の折り合いをするときに、一番難しいのが対人の距離の取り方と相手との妥協点を見つける方法です。一度親密な関係になると、日本人は自分の主張を通すために、相手を否定することや対立することがなかなか出来ない性質を持っています。日本人のメンタルや日本の常識では、「相手を傷つけない」とか「相手に失礼がないようにする」という感情がある中で、いままで友好な関係であった人たちと意見をぶつけ、対立の立場になることがなかなか出来ません。
 岸田政権になってから、明らかに政策は違うものになってしまいました。前政権で7年かけて作り上げてきた対中政策は、媚中政策に転換しこれまでの外交体制を壊してしまいました。今回の人事は、親中派を窓口にして中国にすり寄る政策にすることを世界に示してしまいました。その1例は、去年の11月に林外相が討論番組に出たときに、中国の外務局から訪中の打診されていることを明らかにし調整に入ることまで口にしました。そのことに驚いたのは、米国の国務相です。本来であれば、日米の訪日・訪米のどちらかがあって基本姿勢を作った上で訪中をするのが、日米安保を柱とした外交姿勢です。それが、はじめに訪中姿勢を明言したことで、日米の間に大きな溝を作ってしまいました。この行動によって、アメリカは日本の政権は親中路線に舵を切ったと見て、年が明けても日米の首脳会談が出来ていませんでした。この政権が意味不明な行動をすることで、数か月を無駄にして国益や国防のガイドラインが変わってしまったことを、日本人は理解しなくてはいけないと思います。
 去年の選挙で、多くの人が自民党に入れた理由は、中国との距離を取りたいとのことであり、対中政策を明確にして欲しいという願いがあったからだと見ています。しかし、蓋を開けると同じ政党でありながら、まったく逆な政策をして、民意とはかけ離れた国づくりをする政権になってしまいました。これは、世界の政治の常識から見れば政党が変わるほどの政策であり、選挙公約で1つの政策にしてはいけないことでもあります。(台湾で言えば、親中か対中政策で政局が2分します。ヨーロッパにおいても、親ロか対ロで政策がまったく違うので政局・政党は分かれます。それぐらい外交問題は、政局・政党に関係し内政が2分することにも繋がっています。)いまの岸田政権は、自民党でありながら野党のような政策を打ち出し、安倍・菅政権の引継ぎをしないことを表明したと同じです。ここに、政党政治の限界があるような気がします。政党と民意が乖離し、自民党の派閥のパワーバランスで国政をしていることが、日本の国益を損ねていることにも繋がっています。自民党の議員の中に、立憲民主党や社民党と類似する価値観を持ち当選するために自民党に所属するという、選挙がリクルート化し党が定職斡旋の機関になっています。理念や国家観違う人が、同じ党という枠の中で選挙をする政党政治を終わらすべきだと思っています。いまの岸田政権は、戦後の昭和に作られた集大成であり、令和には通用しない体制になっていることを自覚するべきです。その古い体制は、過去に向かって政治をして未来の国づくりにはなっていません。

 

―内需の地固めと民族観―

 新政権の不思議なことは、外交政策でダメならば国内政策は充実をしていると思いきや、コロナ後の日本社会の立て直しをどのようにしていくのか明確にしていません。それどころか、感染対策は地方政治に丸投げをして官邸は責任を放棄してしまいました。本来であれば、官邸主導で2類から5類に感染症を移して、蔓延防止処置を中止する指針を出し、経済政策に舵を切る首相表明を出すべきでした。世界は、オミクロン株が急増しているが経済活動を止めるような政策は打たなくなってきています。(実際、カナダとアメリカの国境は閉めずに、ワクチンを2回接種したものは行き来が出来る状況になっています。普通に、車で来て観光や買い物をしています。この状況を見ると、感染症としての重度の危険は薄れている表明でもあります。)
 この政権になってから、政治家と官僚と既得団体の蜜月した関係が、また復活する体制にしようとしています。安倍・菅政権が、官僚主導の政治を壊し官邸主導にかえて次世代の政治の仕組みにする途中で、政権が変わってしまいました。国民の多くは、自民党に新しい国づくりを期待して、肥大化した官僚政治と既得権の仕組みを変えて欲しいという想いが、選挙の結果になりました。しかし、宏池会と財務省という一部の政治家と官僚の既得権の中でしか、国づくりをしていません。
 これだけ世界が激動している中で、財務省主導の政治運営で世界の荒波を乗り越えられほど単純な時代ではありません。世界は、恐慌の前ぶれの様な状況で混沌としています。いかに内需を回して経済の立て直しと治安の安定化をさせるか、各国の最重要課題とし国を挙げて経済対策にシフトしています。
 その状況であるにも関わらず、日本は感染症対策に舵を切り経済活動を規制する国策をしています。以前から言っていますが、日本は感染による重篤者数や死亡者数は極めて少なく、感染症被害は他国と比べても比較にならないぐらい低い数値できました。しかし、経済的被害は欧州や北米並みに被害と損失を出しています。過剰に経済規制をしたことで、企業倒産を増やし大量の失業者を出しました。その事実受け止めたうえで、官邸主導で国内経済の通常化をさせて、貧困化対策と失業対策に舵を切り内政をしていくべきだと思っています。これから、さらに大量の失業者が出て貧困層が拡大し、日本経済が失速していきます。日本社会が貧困化すれば、必ず中国資本をはじめ外国資本が入り、日本社会をむしばんでいきます。いま、日本では移民政策や留学生制度の枠を広げて、人手の足りない職場に外国人を派遣する政策をしていますが、これは即刻中止にして日本人を雇用するシステムにするべきです。外国人にトレーニングする予算を、日本人の職業訓練プログラムに回して、日本人の雇用対策に充てるべきです。地方の農業や漁業などの人手不足の場所(零細企業の町工場など)においては、事業者・地方自治・国が一体となって日本人のセフティーネットを作ることが急務だと思います。事業者には仕事を提供してもらい。地方自治体には住居や住民サービスを提供してもらい。国は補助金や職業トレーニングをする資金や減税をする仕組みを作れば、日本人で内需を回すことができ外国人を使わない産業構造にもなります。
 2022年は、産業構造の編成だと思っています。都心に集中した産業構造から、地方の産業への移転・生活スタイルの転換時期だと見ています。地方には、大量の空き家と荒廃した街が増えて、人手が必要な場所が大量に出てきます。そういった場所に移住することで、本来日本が大切にしてきた集落文化の復活と、目に見える人間関係の構築で、信頼と労働を柱にした地域社会を蘇らせることができます。さらに、日本人が持っている勤労精神を絶やさないためにも、社会の仕組みを変えていく必要があります。コロナによって、多くの若い人たちが職を失い働きたくても働けない社会になってしまいました。多くの人は心の空洞化になり、社会との接点を失うことで心の闇が深刻なモノになっています。
 行政が出来ることは何か? 働きたい人と仕事と居住空間をセットにした社会を提案し、都会に人口密集する仕組みから、地方に分散化させる移住プログラムを作ることです。国や地方行政が担う責務は、人と場所(地域)をマッチングする町づくりだと思っています。
 これからはじまる世界変動は、いまの日本人の人知では理解できないことが起きると見ています。その1つは、民族の大移動が始まります。家族や一族が安定して定住できる場所を求めて、他民族が国境を越えて民族と文化と居住のシャッフル(バラバラに混ぜる)がはじまります。北米や欧州は、さらに他民族の移動(移民・難民)によって、社会がカオスになっていき国家としての運営が出来なくなっていきます。日本も他人事でなく、外国人移住者(移民や難民)のターゲットになり、安住の地を求めて大量の他民族の流入が来ます。これから世界は、局地戦や治安崩壊がはじまり自国で日常生活が出来ない人たちが増えて、治安のいい場所(衣食住が満ちている場所)を求めて国外に脱出する人たちが増えていきます。まずは、中国人の流入がはじまると見ています。実際に、カナダやアメリカに移住の手続き(正式な移民手続き)をして、いつでも移住できるようにしています。日本でも北海道や地方の土地が大量に買われて、中国人の土地買収がはじまっていると聞きます。
 これから日本人は、他民族が流入したときに自分たちの町の未来を創造する力です。それは、ただ単にきれいごと(人類は誰も生きる権利がある。とか、難民でかわいそう。)を言うのではなく、他民族の生活や文化的背景を知った上で創造することです。いまの日本は、得体のしれない全体主義と平等主義(平らな社会にする主張)によって日本の民族観が壊れています。他民族に日本人と同じ権利と権限を渡すと何が起こるのかを理解しないと、民族の大移動の本質が解りません。
 1つの例ですが、中国人の場合を書いてみます。まず数十人の中国人が、その土地に入居して定住からはじまります。その数年後に、家族や親せきを呼び徐々に人が増えていき10~15年後には、5~10倍に増えてチャイナタウンが出来るほどの人口増加がはじまります。公立の小中学校には、中国人だけの生徒になり日本の税金で中国人の子供たちを育てる社会になっていきます。そのようなチャイナタウンが、地方各地に出来たときに日本人のコミュニティが折り合いを付けながら、中国の集落と共存していくことが出来るのか? 一度、民族の集落が出来ると、その中に日本人が入っていくことは、なかなか出来なくなります。カナダの華僑は、チャイナコミュニティーですべて回す社会システムを作ってしまいます。例えば、1人がレストランをやり、1人が大工をやり、1人が車の整備工をやり、1人が食品の貿易会社をします。そのコミュニティ―で、お金と仕事が回り日常生活が出来るプラットフォームを作っているので、小さな経済圏が出来てしまいます。そして、帰化した次の世代は医者や弁護士や教師や代議士になり、知的専門職や法律と深く関係した仕事に就く人たちが出てきます。更に、お金はそのチャイナコミュニティーから出ていかないので、同胞が豊かになり集落の私腹を肥やす構造になっています。華僑の知恵は、他民族と経済を交わらないことで、一族や同胞で経済基盤を独立させるという独特の世界観を持っています。このような、チャイナコミュニティーが出現したら、いまの日本人の人知では太刀打ちが出来なくなり、その地域だけが治外法権になるでしょう。さらに、帰化すれば参政権を手にすることが出来ます。過疎の場所においては、地方行政を牛耳れると同時に、条例と法律を中華系民族に優位にすることもできます。そうなれば、日本人が虐げられ住むことすらできなくなり、日本人が他の場所に移住する事態にもなります。
 これから、民族の生存競争がはじまるということは、外交的に国益をどのように守っていくのかと同時に、国内でも他民族が流入することで、新たな危機になっているということを政ごとに携わる人は意識しなくてはいけないと思っています。いま、財務省は増税をすることばかり考えていますが、日本の民から経済力を奪うということは、外国勢力を日本の土地に入りやすくさせることにも繋がります。なぜ、日本人に労働支援と居住空間の保証をしていくのか? それは、一人一人が経済基盤を持ち生活空間が満たされていれば、自分たちの地域や町を守ることが出来るからです。
 いまの岸田政権の政策は、非常に危険な国づくりをしようとしています。昭和モデルの国家運営は、高度成長期の国内需要が伸びているときの成功モデルで過去の産物です。この時代に、昭和モデルの政策をすれば日本民族を弱体化させて地域社会から経済基盤まで、すべて壊すことになるでしょう。その空洞化した場所に、多民族が入り込めば合法的な多文化の支配がはじまり、日本人とは相容れない多文化居住地(北米やヨーロッパの様な他民族国家)になっていきます。
 いまの日本の思考は、つねに「どの人達にも権利と平等を与えて、仲良く生きていく社会がいい」というユートピアの世界観を信じていますが、多民族との共生は淡い言論空間では共存はできません。リベラル思想家や学者が、「いろんな文化が入って多様社会こそが次世代の社会の形だ」と言っている人たちがいますが、その多くは実体を知らない幻想の中で生きている人たちです。これからはじまるリアリズムは、文明の衝突がはじまり民族観を持っていない民族から消滅していきます。岸田政権には、財務省主導の国づくりではなく民族のための国づくりをするべきです。この2022年から、「民族観」「国家観」「文明の衝突」この3つが時代を切り開くキーワードになってきます。