No.32

精神学をやるようになるまで、生まれてこの方、私は「いいもの」を見たことがない。
怖いものしか見たことがない。瞼を瞑って、自分を脅かす何かの顔のヴィジョンしか見たことがない。
神だと騙る何かの声しか聞こえない。天使だと名乗る何者かの姿しか心の世界に映らない。何が正しくて間違っているのかも分からない。精神界の右も左も分からない。手探りで間違っては学び、間違っては学びの異界常識。
襲いかかられて刺されれば体に痛みが走るような世界。何かをして憎まれれば体が重く動けなくなる世界。呪いも念も何でもありの、悪意だけしかない世界。
人混みに出れば人の気にあてられてえずき、別の人に会えばひどい頭痛さえ覚えた。

波動が分かると何が良いの?

特に。
あまり良いことはない。
この世のひどさが分かるだけ。
隠れていた世界の醜さがさらによく見えるだけ。

でもそのほうが、ちょっとだけ何とかしなくちゃな、って気持ちがまともに出るんじゃないかと、そんなことを思った。

だから知らなくちゃいけないんだよ。
どれだけひどい世界か知らないでしょう。
だから知らなくていいんだよ。
知ったら耐えられなくて死んじゃうかもしれないから。

どちらも同じことを言っているのだ。
知るということは、担うということ。
知ったことを解決する責任が生じるということ。

解決することが役割でないならば、知らないようにされていてもおかしくはないから。

じゃあなんで精神学をやらなきゃいけないのか。
波動を知らなくてはならないのか。

世界の前提も潮目も時代もすっかり変わってしまった。なのに、いつまでも古くなってしまった時代の常識ばかりで行動しているわけにはいかないからだ。

これからは、未来を作りたいと思うなら、波動の存在を前提にして進むしかない。
よい未来のために、自分にできることをひたすらやり始めるしかない。

そうでなければ、この世界でずっと閉ざされて、また更に地獄の宇宙の繰り返しに参加するはめになる。

そんなことを魂(じぶん)が望んで、この世界に生まれてきたと思うのか。