No.20

「Advent(降臨)」

 

-1-

 

5月19日、水曜日。

 

神軍の援助があっても、悪魔の数が多い。
また、ぽつぽつと強力な悪魔の姿が目立つ。
体格の大きな牛型の悪魔なんかは、切り捨てるにも抵抗が強くて一苦労で、一体一体処理している間に背中から刺されることが常態化した。

 

痛いし、正直処理も追いつかないことが多いし。

 

(ほんと勘弁してってば! いい加減、疲れてきた…!)

 

筋骨隆々、二足歩行の牛型悪魔へ振るった光の剣が、がきっと硬い何かにぶつかる。見れば、そのままだと上下半分に両断されるからって、刃が当たりやすいあたりの脊椎を金属板で補強してきている。黒い毛並みの奥で赤い目が邪悪な光を放っていた。

 

「げぇっ、まじで!? そんな対策打ってきてんの!?」

 

涙ぐましすぎるでしょ! ていうか何の進歩なのさ!

 

相手の肩を駆け上がって頭を切り飛ばすけど、体格差があるので、効率はさらに落ちる。

 

上の方に意識をやれば、そこはもう激戦地だ。

 

靖国神社の英霊の方々、アーリントン墓地から応援にイエスさんが寄越してくれた神軍、そしてこの前参加してくれた西郷さんの薩軍。
三軍入り混じって戦っているんだけど、そこからまだ溢れてくる悪魔の数々、ということになる。

 

向こうは生きるか死ぬかがかかっているし、こちらも時間差で生命に関わってくる危険があるので、本当に血で血を洗うような殺し合いだ。

 

ばたんと味方が近くで倒れて、ぎょっとして助け起こす。

 

「大丈夫ですか!?」

 

――光を当てた瞬間、ぎゃっと叫んで、味方だと思っていたものが塵に返った。
悪魔だった。

 

(こっ、小賢しい罠まで仕掛けてきた!)

 

ええい、どうにか根本的な対策をしないとこのままではジリ貧な気がする!!

 

「うーん、なかなか大変そうだね」

 

傍らから声がするので目線を上げると、なんか涼やかに笑っている黒髪黒目の鼻柱高めな若いユダヤ人男性が約一名。

 

「イエスさん!? アメリカでお仕事されてるんじゃなかったんですか!?」
「君がやろうとしていることの方が死活問題だからって、相手方の戦力の大半がアメリカからこっちに回されているみたいでね。おかげでこちらは暇だったから。来ちゃった」

 

来ちゃった、じゃない! いや、ほんと何してるんですか!? そうか、暇なんですね!?

 

「いやぁ、君は人気者だねぇ」
「ほんと数が多すぎるんですよ、これどうしたらいいんですか!?」

 

K阪沿線の人数が多いせいで、負荷が殺人並だ。元の状態まで状況が戻ってしまった。いや、援軍が来ていてこれだから、もっと悪いまである。

 

浄化と上昇でもうちょっと根本的な解決方法を上に聞くしかないか? でもこの状況で呑気に上がれる!? あいたっ! また背中刺された! 地味にチクチク痛い! 頭も痛い! 脳ぐりぐりしないで!

 

神さま! これ、どうしたらいいんですかー!?

 

 

「  ――、  」

 

 

遠くから、なにかの気配がした。
はっと思い当たる。これ、二日前と同じ、あの神の気配では――。

 

ふわっと、その神が、はるか高みから凄まじい速さで降りてきて、私の精神体にかかった。

 

表に出ていた意識が、一瞬で人ならざるものに切り替わる。

 

同じ気配を感じた悪魔たちが、ぎくりと動きを止めてこちらを見やる。

 

「『――私は』」

 

口が動く。喋っているのは私ではなくて、かかった神の方だ。

 

「『私は 自らが神でないことを悟り 人の子の中に 降りたものである』」
「『このものは 私の復讐を実行する 実行体 そのものである』」

 

「――エホバだ!」

 

悪魔の一人が叫んだ。それを皮切りに、「エホバだ」「エホバがいる」「あれはエホバだ」と悪魔たちが騒がしくなった。明らかに動揺している。

 

「あれはエホバの証人だ……!」

 

エホバ?

 

ざわつく悪魔の大群を左から右までぐるりと睥睨して、その存在は命じた。

 

「『――我が軍門に下れ』」

 

次の瞬間、私にかかった存在の裏に隠れていた私自身は、意識の奥から、信じがたい光景を目にした。

 

悪魔たちが、ザッ!!!! と一斉に跪き、私にかかった存在に向かって頭を垂れてひれ伏していた。
状況が分からずに私に飛びかかろうとしたものを、武器を奪い取って叱りつけ、頭を押さえつける悪魔まで現れた。

 

(一体…何が…起こって…――)

 

そして、呆然としていた私の意識は、突然わいてきた猛烈な眠気に飲み込まれ、白く消し飛んだ。

 

 

-2-

 

 

ガタンゴトン――ガタンゴトン――

 

…………かくっ
…………かくっ
…………かくっ

 

…………かく、ゴン!!

 

「いっった!??」

 

なんか、後頭部打ったんだけど!?

 

(うそっ私寝てた!?)
(ここどこ!?)
(あっ次の駅で降りなきゃ!)
(っていうか頭今ゴンって窓にぶつけたよね私!?)

 

この間、わずか1秒で状況把握完了。

 

がばっと首を戻して、(そんなに痛くないけど)打った頭を抑えてしばらく羞恥に悶える。

絶対に、傍から見たら、爆睡して舟を漕いだ挙げ句、うっかり頭を座席後ろのガラス窓で強打したアホの子である。

 

(そうだ、悪魔たちは!?)

 

慌てて精神界に視線を投げれば、そこには未だひれ伏したままの悪魔の大軍があった。
神軍の方は、困惑した様子で大人しくなった彼らを見下ろしている。

 

一方で、私の頭は混乱状態だった。

 

え、これ何だっけ。どういう状況だったっけ?
意識を失う前の記憶がない。だけど状況的に10分以上は経っている。体感では数秒も経っていないのに。
なんで私、あの状況で寝たんだっけ。こんなに囲まれてよく寝てられたな???

 

慌てて体の状態を確認する。
何の負荷もかかっていない。寝ているなら無防備で襲いたい放題だったはずなのに、少しも傷つけられていない。

 

「……一体…これ、何があったんです…?」

 

傍らにまだ佇んでいたイエスさんに、恐る恐る問いかける。

 

「覚えていないのかい? エホバが降臨して、悪魔たちを軍門に下したんだよ。おかげで軍団の大半が寝返って、精神学協会側についたようだ」
「あ……あー……そうだ、思い出した……」

 

なんか、うっすら記憶が蘇ってきた…。

 

つまり、審判の層でも意識していればめったに飛ばない私の意識を、軽く吹っ飛ばすぐらい強烈な想のエネルギー体が私にかかったってことで…。いや、意識どころか記憶も若干飛んだな……。

 

待って。エホバって旧約聖書の神ヤハウェの別の呼び方だよね。なんか、とんでもないこと言ってなかった?
『我が軍門に下れ』の一言でほとんどの悪魔を平伏させてなかった??

 

電車が最寄り駅についた。

 

ざっと人の波に流されて、駅のホームに降り立つけれど、魔が襲ってこない。
相変わらず、私に向かって跪いている。
イエスさんは、辺りをぐるりと見渡して、一つ頷いた。

 

「うん。この辺り一帯の悪魔は、エホバが平定したのではないかな」

 

えぇ………。

 

どん引きした。

 

翌朝、通勤する間も、人間の間をふよふよ行き交っている魔界の生き物たちを眺めていたけれど、明らかに敵意を持って襲ってくることがなくなった。
どころか、すれ違うとこちらに会釈してきたり、跪いてくる。

 

そして、しばらくして、特に苦労もせずに会社のあるビルの下まで来た時、思った。

 

(気持ち悪っ……)

 

平和すぎる。負荷がほとんどない。歩いていて襲いかかられない。何もしていなくても体が痛くならない。たまにいたずらされるぐらいで。

 

関西一円をあの一言で平定したの? どんだけ?
いや、そもそも。

 

 

こんなことができるんだったら、最初から軍門に下しておいてくれ……!

 

三日間、めちゃくちゃ戦いまくった私たちの苦労は何だったんだ…!?

 

 

エホバと呼ばれた存在からの返答は、まだ、ない。
基本的にあの神、必要以上に喋らないというか、寡黙なんだよなぁ……。