Vol.619

九月九日、時空異常

この二千十八年九月の九日、大阪のセミナーが開催された日に、私の事務所の机の上にあった手帳とパスポートケースが、人間のはたらきなしに、ある人物のリュックの中に移動し、東京で発見され返却されるまで行方不明という事象が生じました。
当時、事務所には三名の人間がいて、その誰もが、その手帳やパスポートケースに触れた記憶がありません。そのリュックの持主も、リュックを自分の椅子の前には置きましたが、それを開けた記憶はないといいます。その人物は、私の前に座っていましたが、約三メートルの距離があり、そこから、私の机に近づくことはありませんでした。
その手帳等の消失に気づいたのは、九月の十一日であり、私はそれを神隠しと呼んでいました。それが、ほんとうに神隠しなのかを探査すべく、浄化と上昇をして問いかけようとした私は、ある領域まで上昇すると寝てしまうということをくり返し、明確な反応を得ることはできませんでしたが、そこに何らかの意図があり、やがて出てくるという感触を持つようになりました。
結果として、冗談のように、遠い所、たとえば北海道などで発見されて返されたら、それはそれで怖い話だね、などと語っていたのですが、私が出張中の十四日になって、その手帳とパスポートケースは、東京から送り返されてきたのでした。
この事象は、シンマガに掲出されていた<九十九、九>の告知にリンクしていることは明らかで、人間界にそのことを忘れないようにさせるためのはたらきかけであったと私は理解していますが、その告知の事象は、九月九日に起きた、または、転換がはじまったと、歴史に記録させるためでもあるようなのです。
生じた事象は、私の机の上にあったはずの手帳とパスポートケースというかなり大きな2つの物質が、たぶん瞬間的に移動して、ある人物のリュックの中に収まったという、ある種の時空の異常現象です。別ないい方をすると人間の理解を超えた奇跡のようなことが、そのタイミングで生じたのです。また、別な見方をするなら、私たちの存在しているこの宇宙とは別の並行宇宙で起きたことが、(その時空では人間が、その物質の移動をしたのかもしれません)その時空を入れ替えることで、こちら側の事象として現われたということもできます。このような思考を、多くの人間がせざるを得ないような時代に、人間界が突入したとすると、人間が過去、信じてきたすべてのことを改めて、検証することが可能になると考えることもできます。
たぶん、これまでの人間の歴史において、死人に口なし、というのがひとつの真理ではあったのでしょうが、その死者たちが語りはじめるのが、<九十九、九>の数字が指し示す、審判の時代の真理として人間に開示されつつあるのだと私は感じています。
人間の身体の内部に形成されている、霊体というものは、その人間のすべてを記録しているメモリーだというのが、私がお伝えしている情報です。
その人間の行状のすべてがメモリーされているからこそ、最後の審判が成立するのです。ところが、地上の人間たちは、昔から、審判の席にあっても、私は罪深くありませんといういい訳を考えだして、それを死の国への旅立ちまでにマスターしようと努力してきました。
それが、宗教の文化の出発点のようなのですが、人間はあるタイミングで、死後の審判はない、という、まさに革命的なアイデアに取りつかれるのです。そのアイデアは、昔からあり、いつも人間の脳内において、悪魔のささやきとして伝えられてきたものなのですが、ある時代から、そのアイデアを神を証明しようとした科学というものが、証明できない反作用として支持する役割を担うようになります。これが二十世紀までの歴史です。
いまの時代、科学は、その限界をわきまえて、この宇宙の仕組みの背後に、神の意志を見ようとする思考をはじめつつあります。
まさに、このタイミングで、この思考をさらに押し進めるための事象として、今回のことが、私のもとで生じたと考えてみてください。
科学者が無神論者である時代は終わったのです。二十世紀までの時空に閉ざされた人間に進めない未来が、もう、はじまったといってもいいのでしょう。

二千十八年九月二十日 積哲夫 記


【いままで隠されていた文書の再公開/霊性時代Vol.13】 

脳の進化と額のしるし

時空の転換が起きたことに関連して、この世のひとにも知らせてよいと許可されたことがあるので、お伝えします。
精神学協会の正会員プログラムは、人間の脳の潜在能力を開発し、人間がほんらい持つべき知覚力や、分析力、創造力など、神話的にいうと、神の容器としての人間性をもつ、正しい人間モデルを目指すものです。それを、超能力と考えていただいても、新しい脳の進化モデルと考えていただいてもけっこうですが、実は、聖書のヨハネの黙示録に予告されている、額に神のしるしを持つ人間のことなのです。ヨハネの黙示録には、同じように額や手にけもののしるしを持つ人間のことも書かれています。
額のしるしのことを、これまではほとんどの人間が、東洋的英知でいう第3の目のことだと考えてきました。もちろん、額には第3の目があり、これが開くと、ある種の超能力が目覚めます。しかし、違うのです。その能力は知らねばなりませんが、それは人間のものです。
精神学協会の正会員プログラムでは、気と念と呪というエネルギーを教えるために、それをつくり出すことも教えます。その過程で、額にある第3の目は程度の差はあっても、誰もが開くはずです。その能力を使えば、他人をコントロールすることも可能かもしれないと気づきます。過去の修行なら、山にこもって10年、20年といった成果をわずか3ヶ月で教えてしまうのは、それが単なる通過点に過ぎないからなのです。この第3の目を使って、人間が過去どんなことをしてきたかを知り、そのエネルギーを処理する能力を開発するのが、精神学協会の正会員プログラムです。
地球を汚染している邪悪な想念のエネルギーを、人間の身体は吸収し、分解処理することができます。そのためには、脳が精神エネルギーを理解し、対応するだけの能力を持たねばなりません。神や神々とコンタクトし、指導を受けるのは、人間にその神格がなければできないことをなすためなのです。おわかりでしょうか。
エネルギーを出し、欲望を達成するもののしるしと、他者のエネルギーを処理し、浄化するもののしるしの違いが…。

2006年2月4日 積哲夫 記