Vol.603

火水伝文とホーキング博士とこの世の死

この二千十八年の五月、どうやら明治百五十年の物語が終わり、日本列島は新しい時空に突入した印象があります。それは、ここへ来て、ヒツクノカミが、この地に伝えた、火水伝文(ヒミツツタエフミ)の一節が、私の頭にくり返し思い起こされるという現象が生じているということと関係があります。
その一節とは、「生き戻れるよう死んで下されよ。死んでも頑張りて下されよ」というものです。
世界の未来を決める光と闇の戦場は、この日本列島なのであり、さらに、日本人の身体のなかで、それは進行中なのですが、このままでは、ほとんどの日本人のたましいは、最後の審判によって分けられて、永遠の生命とは反対の側に去ることがはっきりしてきました。一方で、かつて人間として生きていた者たちのたましいというか、みたまというか、普通の人間霊ではない、日本語でミコトと呼ぶべきものたちが続々と復活しつつあります。それらの人間であった者で、光を宿した存在の代表的なものが、靖國の英霊といわれるグループなのですが、それらのはたらきかけによって、生きている日本人の意識が変わりつつあります。
この世俗の日本人への意識を、現実に支配しコントロールしてきたのは、戦後の敗戦利得者とでもいえる、無神論者のマスメディアの人間や学界、教育界の人間でした。私は、彼らがよって立つ考え方を死んだら終わり文明と呼んできました。明治維新から、今日まで、西欧文明を自分たちより進歩したものと信じ、積極的に受け入れ続けた結果、唯物論、無神論のイデオロギーの信者となったのが、戦後日本のエリートや文化人、言論人の姿でした。ところが、二十一世紀に入って、そうしたイデオロギーの信奉者のなかから、多くの国民に支持されるような才能はほとんど出なくなっています。そして、昭和、平成の世をリードしてきたその文化人の層は、いま、リアルな死に直面しつつあります。
私は、これまでもくり返し、かつて、あの世としてあった、死後の世界が、すでにこの世に重なってしまったとお伝えしてきました。さらに、人間という小宇宙は、肉体の死をもって消えるわけではなく、ある種のエネルギー体として残存することもお伝えしてきました。そして、その小宇宙は生きている間に蓄積し、イメージ化したものに過ぎないため、死後の世界をイメージできないものは、消滅まで、この人間の世に留まるしかない時代が、いま本格的にはじまったのです。
つまり、宗教の時代が終わったということは、死後、行くべき世界と宗教が提示してきた共同幻想の場も失われているということなのです。
その象徴が、ヒミツツタエフミの「生き戻れるよう死んで下されよ」という言葉なのです。
ここで、今年の三月十四日にこの世を去った理論物理学者のホーキング博士が、その最後に「マルチヴァース(多元的宇宙)を懐柔させてみよう」といって、この物質宇宙の多元的理解を可能にするアイデアを提示されました。
生前、死後の世界は存在しないと主張していた博士ですが、ビッグバンで時間が生まれ、膨張し続ける宇宙がある一方で、エネルギーを失い無に帰る宇宙もあると考えるなど、この宇宙にも生と死があるかのような理論が、その到達点でした。
私は、この宇宙を物語宇宙だと、教えられました。物語宇宙というのは時間のなかに物語がある世界です。それを生み出した精神的宇宙、または、宇宙創成のエネルギーの場には、時間がないのだとも教えられています。
つまり、人知は、私が一千九百九十一年の精神界とのファースト・コンタクトの知識にやっと到達したともいえるのです。ちなみに、ヒミツツタエフミが地上に降ろされたのは、一千九百九十一年からだったとされています。
神知でいうなら、この宇宙は、ひとつの役割を終えて、ある種の死に向かっているともいえるのです。

二千十八年五月三十一日 積哲夫 記