精神学協会とのご縁

2007年9月21日・記念すべき精神学協会との出会い
精神学協会との出会いは、2007年7月に知人である正会員さんからの紹介でした。日増しに何故かもう少し精神学協会のことを詳しく聞いてみたい!そのような気持ちに駆られてくるのです。どうしても積さんに一度お会いしたい!会わなければならない!是非9月21日にと、お会いする日まで勝手に決めていました。今思えば会員さんしか会わないという意思を無視して、厚かましくも、本当に無礼なことをしたものだと思っています。私にはそれ程大きなかけでした。20年の年月、どの宗教にも拘らず頼らず師という人も求めず、ただ自分の心の奥より湧き出る思いと、弘法大師空海からのメッセージをひたすら信じ、私の話を疑いもなく信じてくださった仲間の人たちに支えられ、空海より与えられた心の法を学ぶことに意識を置き、真我に目覚めることを目的としてきました。指導や相談に乗って貰える人もなく、先に立つ者としての不安や苦しさに苛まれながら、悩み、おごり高ぶる気持ちを戒めては落ち込んだ日々も多々ありました。その度に、この苦しみと20年の学びをきっと理解してくださる方が現れる。ずっとそんな思いを温めてきました。積さんとお会いできると決まってから、もしかしたら積さんがその人かも?その思いがいつしか期待から確信に変わっていました。そしていよいよ2007年9月21日の約束の日です。縁を紡いでくださった正会員さんが同行してくださり、積事務所に初めて伺わせて頂きました。ご挨拶の後、積さんの開口一番が「このままではトンネルを抜け出すことが出来ないよ。」の言葉でした。本当のところ、ここ数年今まで信じて行ってきたことが本当に正しかったのだろうか?もし間違って導きをしていたなら大変なことだ・・・という思い。そして高野山上に空海が求めた修行と祈りの場を、私はどうしても空海が目指した方向から大きくずれているのではないか。空海が目指した道を、自分なりに探求。「天を信じ、己を信じ、火となれ水となれ土となれ」自分を信じなさい!人のために役に立つ自分になれ。多くの苦しみを体験し、許せる人材になれ・・・その意識の縁を持って精神学協会に辿りつかせて頂いた、そんな気がしました。ただ積さんの口から出る言葉が、私にとってどれ程ショッキングな言葉だったか。一瞬の内にならくの底をみた!そんな気がしました。でもどこかで納得している自分も観えていました。どんな言葉も受け入れる用意のある自分の気持ちも確信できていました。私に対するメッセージだと示された厳しい言葉も、正直いって、一瞬とことん落ち込んだけれど、崖の淵を歩いているところを助けていただいたことに、心から感謝の気持ちが湧いてきました。「兎に角眉間から入って脊髄に居座っている金龍を説得して身体の外に出て貰いましょう。」と積さんに言われるまま受け入れ、「ストン!」という体感がエネルギーの抜けたことを実証してくれました。「長い年月私を見守り続けてくださり有り難う!」と金龍さんに対し両手を合わせていました。ご縁の日に頂いた厳しいメッセージ。それは今までの活動を完全否定されたような内容です。この言葉を頂いたからこそ自分を真剣にそして素直に見つめることが出来たのです。自分自身への教訓として、ここに記すことに致します。                      
開封されたる、心の闇に、手出しは無用というておく。生半可な何の世老いすらも出来ていない者、一体、何を掘り出すために、せっせと足げく通うのか。正義という身の傘かぶり、何を探しに出かけるか、使われて、いいように、すんでのところで引き戻されて、あなたをここへ連れて来た者に、感謝をする時がいずれ来る。足元の二・三歩先はがけ崩れ、その先に、足先を向けていることになぜ気づかない。放っておけばおそらくは、自らの、気づかない出口のない領域に踏み込み、戻ってくることのでいない世界での、道先案内することの責任に、なぜ気づかない。あなたの人間としての全うすべき責務とは、一体何なのか。他人を教導して、導く先は一体どこなのか、はっきり明言してみるがよい。あなたが背負った責任は誰がどうとるのか。意識への働きかけという回路を使い、あなたの身体を使っているものとは、一体何なのでしょう。本当の正義とは、自らが考え行動し、問題を解決するためにどう動くのかを考え、現実の社会の中で行動を起こすもののこと。異次元世界、異次元空間で祈り願って、満足を得るために動く者のことではない。ある種の能力のある者のところには、様々なエネルギーが集まる。処理することさえ出来ない者が、それを背負ってどう生きていきますか。足元の、数歩先の、崩れかけの崖に向かって歩いていたところを、引き止めてくれた者に感謝をしなさい・・・。という内容でした。闇を浄化するだけの力も持たず、違う世界の光(仏界の闇の光)を観ていた自分に、やっと気付かせて頂いたのです。衝撃的だったけれど、これからは、本当の光の中で自分を見つめたい!そのような心の叫びを観じていました。  少し間をおいてまたメッセージです。              
はんみのわれた たまのほし。 みえぬ じゃどうの とおりみち。みつくし
 よのかぎりを きかしめたまふ とは けの ものなりぬる。 とはれる みのありよう くびき とかれた くさり さりぬる。 ちぢに みだれぬ あな うきしまの こは こに すまいた いっしむくいの たちどまりたりなむ。 みのかけはしに うるものほなし。 さまよひ たるほ とどけぬ みはしら まつばかりたりなむ。 ごこうのありよう これいかにして、きくみみを たずさへられしは まつばかりなり。 うごかしたまへ ただしきありしよのじくみちほ。 ほんのうの ありよう からびとの すがしき みち なりうるは こうこつのみちほ あゆむことではけっしてなひ。 うらぶるみちほあるきしものは いかなるさだめをも うけいれるしかみちは のこされてはいなひ。 ききたまえ きくみみがあるのなら。とざされたみちからでるためには みずからの いしといふ はたらきのみが うごかされるばかりなりけり。以上です。このようにして、私は必然として受け入れ、その日のうちに、自分自身の意志決定により、精神学協会・正会員に入会いたしました。

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