こだわりの心をなくす

正しさの基準とは?今この瞬間が正しくとも、時間が経過するにつれて状況が変わればその正しかったことも変わっていることが無かったでしょうか?それと同じように、その時の常識も時代が変わればその頃の常識すら全く通用しなくなっているようなことも起きているのではないでしょうか?またこういう形でなければならないとか、こうすることが当たり前なのだとか、それが常に正しさとして通用するのかといえば果たしてそうであるとは言い難い。時代と共に変化し、環境が変われば基準も変わる。とかく私たちは自分の思っていること信じていることが正しいと思い勝ちになる。そして自分に甘く、他人に対しては良い部分よりも落ち度の部分の方を見ようとしてしまいます。すぐ批判めいたことを言ってしまうことが多いのではないでしょうか。また、折角他人のためにしていることでも、いつのまにか相手に伝わらない・感謝の気持ちが無いなどと非難したり、愚痴を言ったり、不満を言いたくなっていませんか?そうなればもう純粋な親切心も理解してもらえず、相手からは逆にいらぬお節介と非難される形となってしまい、更に相手を攻めしんどい思いをする結果となってしまいます。私たちの心の学びは魂の輝きであり、心の中に闇をつくらないことのはずです。相手に対する不信感や不満や怒りの気持ちを長く持ち続けないことです。お互いに思い違いや捕らえ方の相違と理解の不十分さから誤解を生じているなら、十分に話し合ってまず誤解を解いてください。そして本当に相手のためを思いしたことなら、見返りを求める必要は無いはずです。他人のために・・・と思える自分を信じることです。喜んでもらえる顔が見たいとか、感謝してもらえるだろうかとか、そんなことを期待するくらいなら最初からやめておくべきでしょう。私はそう思います。釈迦も言っているように、施しとは与えて与えて与え続けるものだと・・・