子どもの頃に感じた至福のこころ

生活苦を支えた母の姿から得た至福の思い
   私の記憶の中の母の姿は、毎日一生懸命に働き、私たち三人の子ども達の学費作りのために、農家から小豆や米を買いそれを市内に売りに行く。今、車で走っても30分はかかる距離を自転車で通う。朝早く出かけて真っ暗になるまで帰らない。子どもながらにも母の苦労を肌で感じていた。三人の子どもに学校へ持って行かせるために、血のにじむような苦労の賜物。母から学校へもって行くお金を貰う時、母の苦労を思うとなかなか手を出せなかった。「お母ちゃんありがとう!」と心の中で何回も何回も繰り返していたのをはっきり記憶している。父は父で頭に編み笠をかぶり、お坊さんの姿で托鉢に出かけていく。ある日の夕刻、ご飯の支度をしている母のそばで、妹と弟が戯れている。魚(今思えば多分秋刀魚)の焼けている美味しそうな臭いと煙が立ち込めている中で、なぜか母をとっても愛おしく思いながら、魚が焼けているのをじっと見つめている妹と弟にも目を向ける。又同じように凄く愛おしい。その光景がとってもまばゆく感じながら、涙が出るほどの幸せを感じていた。貧乏な生活の中でこんな暖かい家族が居ることに、子どもながらに、心底からの感謝の気持ちで、わたしはわけも判らず幸せを噛み締めていました。私は幸せ!しあわせ!貧しくってもこんな暖かい家族が居て、こんな美味しそうな魚が食べられる!寒い冬の暖かい家族の幸せなひと時。小学校三年生の時の思い出。大切な心の記憶として今でもはっきり憶えている。今思い返せば、その時の気持ちがあるから、お金の苦労にも耐え得る精神力を与えてもらえたのだと信じられる。お金の大切さ、貧乏していても他人のために尽くし、神様や御先祖様を敬う心を忘れない。体を張って教えてくれた両親に本当に心から感謝です。

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