心に光を(2)

人は苦しみのどん底を体験しないと、自分自身に眼を向け、自分の本質を知ろうとしないのでしょうか?人生について、生きることと死ぬことについて、そして自分の苦しさや悲しさについて、自分の考えを自分以外の人と語り合ってみる。私たちは瞑想の場に臨めば自分の思いを仲間に聞いて貰う。喜びも悲しみも寂しさも、その場にいる仲間と分かち合い助け合う。という和合の精神を育むために瞑想会を開いてきました。最初に参加した時は、「この人たちはどうしてこうも平気で、自分の苦しい気持ちを語り、自分の家族や身内の恥ずかしい問題も普通に話せるのだろう?」自分なら恥ずかしいと思うことも、なぜそんなに生き生きと話せるのか、その光景が不思議だったと殆どの人がそう言います。でも今は何の気後れすることもなく、安心して話せている。そんな自分が不思議。そのような思いを築いてこられたのは、私たちはもう一つの考え方を求めて来たからです。今現実起きていることについて、私たちは輪廻転生といったかたちをとり、魂の学びをしているという考えです。そしてこの時期、この場所で巡り合うということも必然だから、そして何か意味があり、それを自分の中で求めているから、魂の仲間だからという暗黙の了解と、信じられるからという自覚があったからだと思います。自分の一つ一つのカルマを消すために努力が必要だと思っていたからです。そして肉体を持って生きている時しかカルマを断ち切る道がないことを知ったからです。魂磨きといわれる意識の向上は、生きている時以外に道がないことも知ったからです。「光とともに生きる喜び」を誰にも感じて貰いたい!私の願いはその一言に尽きます。また輪廻転生の言葉を出すには、どうしても魂の世界(意識の世界)抜きには語ることができません。意識の世界には多くの次元(高次元から低次元)の魂が存在しています。低次元の魂は自分の行く道が分からない不成仏霊とか自縛霊とかいわれる霊などで、光を見ることが出来ないで、生きる者の世界から離れられず、私たちに救いを求めて自分の存在を訴えてきます。浄化力のない時期はそういった世界の霊とはあまり係わりを持たないことが賢明です。次元の低い霊ほど身体に作用するし、心理面にまでも影響されることもありますので、十分注意しなくてはなりません。意識の低い霊ほどお節介を焼きます。自分の存在をアピールします。それは人間の世界と同じ、「能ある鷹は爪を隠す」のことわざのように高次の霊は、あれこれと口をはさむことはありませんが、低次元の霊ほどいろいろ口出しします。人はそういう霊には神がかりだと信じて誤解し接触を続け、最後はとんでもない事態を引き起こすことにもなりかねないのです。そんな事態にならないためにも、常に自分と向き合う姿勢が大切です。類は累を呼ぶがごとく、自分と同じ意識レベルの霊が寄り添うのだと知ることです。人は一人で生きられる存在ではありません。愛の心を分かち合いお互いの存在を認め合って、共に生きる喜びをかみしめる。自然界の調和と人の意識の繋がりがこの地球に平和をもたらすものだと思います。物欲に走り、時間に追いまくられていると、いつしか気がついた時には今まで頑張ったのは何だったのだろう?虚しさだけが自分の心を埋め尽くす。そんな人生にならない様、心にゆとりを持ち、自分を見つめるゆったりした時間も大切です。そして自分の本質を知り、御霊に真実の光を点してほしいと思います。