夏の暑さ

夏の暑さで食欲がない。
日中は、横になってよく眠っている。
骨と皮ばかりになっても、相変わらず伝え歩きで頑張っている。
食が細くなるということは、便秘になり易い。
前は、気にしなかったのに、トイレにこもると長くなった。
「出ない」と言って出てくる。
病院から処方して貰った薬は、朝昼晩と酸化マグネシュウムの袋があり、胃酸を抑え、お
通じをよくすると書いてある。あまり飲まないからこれでは効かない。もう一つの即効性のある「ブルセニド錠」を二錠飲ませることにした。薬は旦那が管理している。
一週間分の買い物メモを貰い、旦那が一人で買いに行った。私は東京へSBMを学んで、飲み会へ参加する。

鳥の唐揚げ三串
クリームパン
サツマイモ 二本
コーヒー
きゅうり 六本
トイレットペーパー 三袋
赤飯
みかん
バナナ

サツマイモは、自分で煮ると言い張っている。
先週は、危ないから代わりに大学芋を探して買った。
それにごはんを炊くから、お米は湯呑に入れて食べている。小食だ。
たったこれだけだから、旦那が気をきかせて惣菜コーナーのパックを買うが、たいていこっちに返される。
「古いお惣菜でも食べたんだろうか」と思ったが、赤飯は少し大目のパックにしたら、夜に一回で全部食べたらしい。

その夜中、義母の悲鳴で目が覚めた。
下痢ピーになって、トイレまで間に合わなかったらしい。
一人ではどうにもならないから、雑巾を持って行って手伝った。
洗面器を差し出して、
「これに入れて」
いつもは頑固な人が、素直に○○まみれの雑巾を入れてくれた。
お風呂に移動するのにもポタポタ落ちる。大丈夫だと言われた薬が効き過ぎたようだ。
「拭くから、行って」
雑巾を総動員して、洗面台のマットからスリッパから、便座カバーから、まとめて洗濯機の中へ入れた。もしかしたらと、寝室の方へ行ったら、点々と落ちていた。布団のシーツも剥がして、拭き取った雑巾も追加した。
全自動の洗濯機にみんな放り込んで、液体せっけんを入れて、スタートボタンを押した。
夜中の二時だけど、今回だけはやるしかない。
雑巾で床を拭いている時、幸せな気分になった。一瞬、昔、積さんから「お題」をいただいたテーマの「さかさま」が浮かんだ。
義母がまだ、元気で気が強くてかなわないなと思う時、思わず言い返した言葉。
「シモの世話をするつもりだから」
もちろん、義母は猛烈に怒っていた。
「将来、私の世話になるんだから意地悪しないで、お手柔らかにね」という意味も込めた言葉を、一回だけ果たせたからだ。

義母は、シャワーを浴びて、長いこと洗濯をしていた。
それを渡してくれれば、一緒に洗うのだが、八十代の人間は遠慮して、絶対、人に頼まないから諦めた。ただし、次の日、昨日の洗濯物のあずきの皮!(^^)!を風呂場で振い落して、もう一度洗濯機に入れ、義母の手洗い分を追加して洗って干した。
「ありがとうね~」
心をこめて礼を言われた。
「いえいえ」
たったこれだけのことが、義母には超大変なのだ。

次の日、市の福祉老齢化の人が九時にみえた。
バーにつかまって歩く姿を見て、「歩くのが大変そうですね」とつぶやいた。それでも、「食事の支度は自分でするに○になる」から、介護度は下がるのだ。何でも人まかせにしている人は、介護度が高く、何でも自分でやろうとする人は介護度が低い。
市の職員は、色々と義母の状態を家族の人に聞いて、チェックをする。医者の診察結果と合わせて介護度が決まるのだ。「体がどれだけ楽に動かせるか度」じゃない。

そして、ケアマネージャーと病院へ行って、在宅医療の申し込みと二週間分の薬の処方箋を貰いに行った。月額の上限一万二千円プラス五八〇円程で、週に二回とか対応してくれるのだ。点滴で栄養剤も入れてくれるし、終末医療も念頭に入れてくれる。

医者もケアマネージャーも「デイサービスに通わせるのがいい」と言う。
体重も26キロに減った義母には、行って帰るだけでくたびれるのだ。
旦那と相談して、「それは、嫌がるから止めよう」となった。

本人は、「相変わらず養老院へ行くだ」と言うが、ショートステイと同じでそれは、あまり好きでなかったみたいだ。それに不健康だったり、転倒の危険性がある場合や、あまりヘルパーの拒否をされる人には、「面倒みれません」と施設側が断る場合もあるらしい。

お医者さんは、熱心な人だから感謝している。
認知度テストは、例えば箱の中に、メガネとか時計とかボールペンを入れて見せて、確認させて置いてからフタをして「さて、何だったでしょう?」にどれだけ答えられるかになる。困ったように看護師を見ていたからわからなかったようだ。30点満点で8点となった。これは、認知症と言えるのだそうだ。

体力もなくなって、顔もシワシワになって、頭も物忘れがひどくなったからって、それで人間性を計られるのは、酷な気がした。
旦那が病気で若くして亡くなって、超貧乏な中、二人の子供を育てあげた。
「今までに、どれだけ頑張って来たかだよね」って思った。
そして、今も頑張っているし。

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