空き部屋

私は、某ホテルの中のテナントでエステをやっている。
地震で、電車が動かず大量のキャンセル
つまり大量の空き部屋が出るのだが、
この空間が震災にあった人にあてられればと思ってしまう。

船で移動すれば、
一時期だけでも。

菓子折り
『うないっぱい』と言う、お菓子がある。ホテルのフロントの人が推薦してくれたジョークのようなお土産品だ。うなぎパイをもじったネーミングなのだ。味もどう違うのかわからない。
それを出勤してホテルに鍵をもらう時に、二つ購入した。二割引にしてくれた。
そのフロントの人とは、親しかったので「今日で、私は辞めることになりました。御世話になりました」と小声でご挨拶をした。その人の目がいたわりの眼差しになった。
朝礼が終わると、お二階のエステの人が話かけて来た。
「お仕事、いつまでですか?」
私が辞めるということをとうに知っている。
「今日まで…」
「まあ、お疲れさまでした。昼間、ヘルプの人が来てくれるんですって」
私の知らないうちに二階の人にまで、これからのことが広まっているのだ。

ホットキャビンにおしぼりや、丸パフや、チーフをいれてスイッチをオンにする。それ以外はお客さんが来るまで電源を入れない。今のご時世は節電だ。
ホテルのチェックイン時に、お客さまに『1000円引き券』を配って、今日したことを書き込む。
受付カウンターで本を読むのは禁止だが、人もいないので、東北関東大震災で亡くなられた方を光へ送る御言葉を何度も読み上げた。
しばらくしてお腹が空いたので、更衣室で、お弁当を食べることにした。

そこへ、エリア担当の人がやって来た。
私を面接して採用してくれた人だ。給料の明細を持って来た。開けると溜息の出るような額だった。
「やはり、辞めてよかったって思うよ」
相手も責めない。彼女ももうじき辞めるからだ。めまいや吐き気に悩まされている。
「会社、これからやばいですよ」
「私もそう思う」
拡大路線で、新店ラッシュをしたのに、震災で自粛ムードが広がって、計画停電でホテルのお客さんが激減した。
しばらくして、お二階のエステの人がうちに昼間にヘルプが来ることを知っていたと告げた。
「まあ、噂って早いね。でもヘルプをあちこちでいっぱい頼んでみたのよ、ヘルプに行ってもいいって人が出て、でもあの来月のシフト表を見ると、行かないって」
昼の十二時から夜の十時過ぎまでの長時間働いて、六時まではほとんど立っているだけだ。エステの実働はもっと夜が更けてからだ。
私のいなくなった、四月のシフト表は、二人ともフルで働かない。六時からしか働かないから、ヘルプよこせというシフト表を送って来たそうだ。
ひと目で「自分さえよければ他人はどうだっていい」という思考回路の人間だということがわかる。長時間労働は大変だが、働くなら平等にやるべきだ。誰が二人の自分勝手に付き合い、利用されたいだろう。
今日だって、本当は辞めた後に、私が、無料で出ているのだから。会社のために。
最後は惜しまれて辞めたかったが、二十代と四十代の二人に邪けんにされていた。

「これ、お菓子を渡そうかと思って買ったんだけど…」
「私だったら、出さないけどな」
「旦那も同じこと言うの、『お世話になりました』って、絶対言うな。言ったら負けだぞって」
でも、つい二箱買ってしまったのだ。
「じゃあ、お茶しよう」
私は、ハーブティを入れて、そのエリア担当とパイを二人で食べた。
富士宮は、二階が水浸しで、ガラスも割れて大変だったの。しばらく営業ができないのだ。
「私の知り合いのいわきのエステティシャンの話では、建物は大丈夫なのだけど、風評被害で当分閉鎖になり、みんなは『どうして会社から何も言って来ないのだろう。冷たいのね』って、さんざん言ってたの。その担当者、仙台に出張して一緒に避難して連絡が取れなかったんだって。わかったらみんな、な~んだって」
言葉は一人歩きをする。
私は箱を片付けて、バッグにしまった。
「これ、やっぱり旦那と食べることにする」
彼女は、笑った。
「モバイルのパソコンも携帯電話も会社に返すから」
エリア担当者は、プライベートの携帯番号を教えてくれた。いろいろ世間話もして、時間もなくなった。
「七月には、お店をオープンすると思う」
「また~」
「またね」
ニコニコして別れた。

やがて、五時近くなって、四十代の女性がやって来た。
着替えると、カウンターに立ち、私は連絡事項を伝えた。さっそく「もう帰っていいですよ~」と言う。10分も前で、私は居心地が悪い。
「じゃあトイレ」と言って、着替えた。
更衣室から出ると、習慣の「お疲れさ…」まで言い終わらないうちに
「じゃあ、お元気で」
私が笑顔で言ったので、相手は「ま」と言うのをひっこめた。
私は、とっとっと階段を下りた。
お二階のエステに、お菓子を持って挨拶にいったのだ。笑顔で。
たまたま男性の上司がいた。私はここで再就職を狙って、お菓子を渡したのではない。
うちの会員候補にそのうち誰かを誘うつもりだからだ。でも、どうも勘違いされている。

菓子折りも、お世話になりましたもなしで、旦那は、「それでいいんだ」と言った。
社会通念からしたら、外れている。でもどこか小気味いい。
そんなことぐらい自分で決められないのかと思うだろうが、私の方法で行くと、いつも同じことの繰り返しだった。支配する人と支配される人。私はいつも支配されてしまう。
人に親切にするのは、嬉しい。だけどいつの間にか、いいように利用されていることに気づくことがある。前世で、クリスチャンだったせいか、とことんボロボロになる。こんなひどい状況は自分が招いたのだから、自分の責任なのだけど、辛いのを消化しきれずに、闇をギュウギュウと押し込めてしまうことになる。
それでは、決して解消されない。
だから、いつでもリングが用意される。ボコボコにされる予感がある。
私はいつも、過去に理由があると思っていた。
「あの日、あの時、あの人が…」
でも、今、突き付けられているのだ。
「さあ、立って向いなさい」と。
喧嘩はしない、だけど、負けない知恵。ひらりとかわす術。
「ああ、流れ星が飛んで来たら、頭をよけるポーズ」昔、そんな絵を私は描いていたことを思い出した。

その日は、旦那の誕生日で、私のささやかで実用的な誕生日プレゼントを喜んでくれた。
ずっと前に、買って置いた米粉のリングケーキを泡だて器で卵白を角が立つまで混ぜ、オーブンで焼いた。
そして、停電用のろうそくを一本ケーキに差して、火をつけて電気を消した。
「フー」
二人でパチパチ手を叩いて、食べた。
「やっぱり買ったケーキよりもおいしい」
「うん、おいしい」
この感覚は、似たもの夫婦だと言える。

いわきの知り合いに、聖別した塩を送ろうかと思ったので、電話をかけてみた。
塩はいっぱい送られて、もういいそうだ。
次の日、また電話があって東京に職場を変えるそうだ。地震、津波、火災、放射能、風評被害、人間は、どれだけ耐えればいいのだろう。
「今は大変かも知れないけど、日本はきっと立ち直るから、いい国になるから。これをきっかけに、どれだけ多くのボランティアの人が立ち上がったことか」
「そおぉ?」
「うん!」
私は、自分でよく落ち込む癖に、どん底の人を慰めるのが好きだ。

次の日、あの人はどうなったか?気になる人がいた。
前の職場のホームセンターの人で、ちゃんと手順を踏んで辞表を出していて、私よりも先に退職するはずだった人だ。
私は研修の日程がもう迫っているからと、強引に辞めた。その人は、その部署がダメなら、他の部署にと変えられて、「はい」と返事をしてしまったのだ。
私の一番仲の良かった人に久しぶりに電話をかけて聞いてみると、「その人は、まだ辞められない」そうだ。その条件で引き受けたのだから、辞めたいのに辞められない。辞める理由が見つからないのだ。
優しい人は、操縦され易い。
「人はずいぶん、少なくなったわよ~、店の中を歩いて貰えばわかるけど…」
「私は、あれから買い物に行かないから、わからない」
この前、園芸用コーナーで、プランターと土を買っただけだ。
「お米も、乾電池も入荷したらすぐ、なくなるの」
どんどん、人を減らせて、仕事を増やして行く。その重荷に私はめげていた。
苛める人と苛められる人の構図が見えてくる。クッション役の人が転勤になると、やられる人が一人になって、集中砲撃される人。
やられる人は、「人がいい人」、「仕事ができない人」のようだ。
私はここで、たった四時間のパートでも、疲れ果てていた。
電話の彼女は、私と同い年で、とても私に親切にしてくれた。右も左もわからない時、そっと手助けしてくれた。
「辞める時にも、ちゃんとタイミングがあって、その機を逃したらなかなか辞められないのよ」
それは、私にも言える。
「また四月から、昼間に働かない?」と引き続き仕事を勧められたのだ。
きっぱりと断った。
昼間だけ働いても、エステはできないだろう。ただ、立っているだけだ。助けるつもりでも、あの二人には、感謝もされないだろう。ちょっと親切心で一か月だけとか働こうものなら、抜けられないのは目に見えていた。それでは、自分の店をオープンできない。

電話中に義母がキッチンを歩いてて、ドタッと大きな音がした。静かなので、「お母さん倒れたから切るね」一度電話を切った。仰向けになっているのを抱えて起こした。
「ありがとう」
まっすぐに立って、つかまる場所を見つけた。
それで、義母の場合はいいのだ。自分でなんとかしようとする。今は、ショートスティと在宅の半々で、いい感じだ。だんだん弱りながらも。
心配するから、また電話をかけて続きを話した。
「お母さん、大丈夫?」
「うん、大丈夫。でもやっぱり、辞めて良かったよ」
今の時間じゃあ、私はいなかったから。
ごはんも私が準備する。ヘルパーさんだと夕ご飯の時間が早くなる。
実は、この長時間労働が功を奏して、旦那の理解と協力を得られるきっかけになったのだから、『人間万事塞翁が馬』だ。会社には感謝している。
辞める時に、お菓子を置いて帰らなかった話をしたら、
「私なんか、以前の会社でね、さんざんおかしな使われ方をしてね、辞める時、『お世話になりました』って、菓子折りを渡したらね、私んちの玄関にそのまま返されたことがあったのよ。私の手紙をビリビリに破いてね」
「まあ」
彼女は普通にこう言った。ツワモノだ。
その上司に命令されて、配った人が後で謝ってくれたそうだ。

話は地震のことに移った。
「ホテルの支配人に、避難民をしばらく滞在させてあげたらどうかって、お手紙書いて置いて貰ったの。
そしたら『参考にさせていただきます』って言われたの。客数が激減したからね、今少し戻って来ているみたいで」支配人とはいえ、一存では決められないだろう。それから、市会議員とか、県会議員にも手紙や、メールを出してみたの。でも、選挙が近かったのよ。知事は、岩手へ行ってる。伊豆半島で一万二千人だか、千二百人だか忘れたけど、引き受けるってね。稲取ではもうやっている、一人三千円から五千円以内らしいけど」
ちなみに、「今回の災害も、自然災害に似せた兵器があるらしい」と言ってみたら、驚かなかった。
彼女は、ネットはやらないけど、今度、『最終知識を』貸してみようかと思う。
「私は、エステ辞めたの。でも自分のお店をオープンするかもね。そして、場を設けたいのよ。いろんな人が居るけど、いい人はきっと居るはずだから」
「うん、エステやって貰いたいよ」
静岡で二人目の会員候補だ。

これを書いている時に、二十代の女性から慌てた感じで電話がかかってきて、「今日の昼間時間がありますか?」と聞かれた。
「やることがあるから、行けない」と答えた。
その後、頭痛がひどかった。
いわきの人の最悪期に電話で感じた時よりももっとひどかった。さっぱりわからなかったエネルギーも感じられるようになったってことだ。このことは歓迎する。

弱くても、立たなくてはいけないのだ。
勝たなくてもいいから、負けないことだ。

2011年03月30日
菓子折り
『うないっぱい』と言う、お菓子がある。ホテルのフロントの人が推薦してくれたジョークのようなお土産品だ。うなぎパイをもじったネーミングなのだ。味もどう違うのかわからない。
それを出勤してホテルに鍵をもらう時に、二つ購入した。二割引にしてくれた。
そのフロントの人とは、親しかったので「今日で、私は辞めることになりました。御世話になりました」と小声でご挨拶をした。その人の目がいたわりの眼差しになった。
朝礼が終わると、お二階のエステの人が話かけて来た。
「お仕事、いつまでですか?」
私が辞めるということをとうに知っている。
「今日まで…」
「まあ、お疲れさまでした。昼間、ヘルプの人が来てくれるんですって」
私の知らないうちに二階の人にまで、これからのことが広まっているのだ。

ホットキャビンにおしぼりや、丸パフや、チーフをいれてスイッチをオンにする。それ以外はお客さんが来るまで電源を入れない。今のご時世は節電だ。
ホテルのチェックイン時に、お客さまに『1000円引き券』を配って、今日したことを書き込む。
受付カウンターで本を読むのは禁止だが、人もいないので、東北関東大震災で亡くなられた方を光へ送る御言葉を何度も読み上げた。
しばらくしてお腹が空いたので、更衣室で、お弁当を食べることにした。

そこへ、エリア担当の人がやって来た。
私を面接して採用してくれた人だ。給料の明細を持って来た。開けると溜息の出るような額だった。
「やはり、辞めてよかったって思うよ」
相手も責めない。彼女ももうじき辞めるからだ。めまいや吐き気に悩まされている。
「会社、これからやばいですよ」
「私もそう思う」
拡大路線で、新店ラッシュをしたのに、震災で自粛ムードが広がって、計画停電でホテルのお客さんが激減した。
しばらくして、お二階のエステの人がうちに昼間にヘルプが来ることを知っていたと告げた。
「まあ、噂って早いね。でもヘルプをあちこちでいっぱい頼んでみたのよ、ヘルプに行ってもいいって人が出て、でもあの来月のシフト表を見ると、行かないって」
昼の十二時から夜の十時過ぎまでの長時間働いて、六時まではほとんど立っているだけだ。エステの実働はもっと夜が更けてからだ。
私のいなくなった、四月のシフト表は、二人ともフルで働かない。六時からしか働かないから、ヘルプよこせというシフト表を送って来たそうだ。
ひと目で「自分さえよければ他人はどうだっていい」という思考回路の人間だということがわかる。長時間労働は大変だが、働くなら平等にやるべきだ。誰が二人の自分勝手に付き合い、利用されたいだろう。
今日だって、本当は辞めた後に、私が、無料で出ているのだから。会社のために。
最後は惜しまれて辞めたかったが、二十代と四十代の二人に邪けんにされていた。

「これ、お菓子を渡そうかと思って買ったんだけど…」
「私だったら、出さないけどな」
「旦那も同じこと言うの、『お世話になりました』って、絶対言うな。言ったら負けだぞって」
でも、つい二箱買ってしまったのだ。
「じゃあ、お茶しよう」
私は、ハーブティを入れて、そのエリア担当とパイを二人で食べた。
富士宮は、二階が水浸しで、ガラスも割れて大変だったの。しばらく営業ができないのだ。
「私の知り合いのいわきのエステティシャンの話では、建物は大丈夫なのだけど、風評被害で当分閉鎖になり、みんなは『どうして会社から何も言って来ないのだろう。冷たいのね』って、さんざん言ってたの。その担当者、仙台に出張して一緒に避難して連絡が取れなかったんだって。わかったらみんな、な~んだって」
言葉は一人歩きをする。
私は箱を片付けて、バッグにしまった。
「これ、やっぱり旦那と食べることにする」
彼女は、笑った。
「モバイルのパソコンも携帯電話も会社に返すから」
エリア担当者は、プライベートの携帯番号を教えてくれた。いろいろ世間話もして、時間もなくなった。
「七月には、お店をオープンすると思う」
「また~」
「またね」
ニコニコして別れた。

やがて、五時近くなって、四十代の女性がやって来た。
着替えると、カウンターに立ち、私は連絡事項を伝えた。さっそく「もう帰っていいですよ~」と言う。10分も前で、私は居心地が悪い。
「じゃあトイレ」と言って、着替えた。
更衣室から出ると、習慣の「お疲れさ…」まで言い終わらないうちに
「じゃあ、お元気で」
私が笑顔で言ったので、相手は「ま」と言うのをひっこめた。
私は、とっとっと階段を下りた。
お二階のエステに、お菓子を持って挨拶にいったのだ。笑顔で。
たまたま男性の上司がいた。私はここで再就職を狙って、お菓子を渡したのではない。
うちの会員候補にそのうち誰かを誘うつもりだからだ。でも、どうも勘違いされている。

菓子折りも、お世話になりましたもなしで、旦那は、「それでいいんだ」と言った。
社会通念からしたら、外れている。でもどこか小気味いい。
そんなことぐらい自分で決められないのかと思うだろうが、私の方法で行くと、いつも同じことの繰り返しだった。支配する人と支配される人。私はいつも支配されてしまう。
人に親切にするのは、嬉しい。だけどいつの間にか、いいように利用されていることに気づくことがある。前世で、クリスチャンだったせいか、とことんボロボロになる。こんなひどい状況は自分が招いたのだから、自分の責任なのだけど、辛いのを消化しきれずに、闇をギュウギュウと押し込めてしまうことになる。
それでは、決して解消されない。
だから、いつでもリングが用意される。ボコボコにされる予感がある。
私はいつも、過去に理由があると思っていた。
「あの日、あの時、あの人が…」
でも、今、突き付けられているのだ。
「さあ、立って向いなさい」と。
喧嘩はしない、だけど、負けない知恵。ひらりとかわす術。
「ああ、流れ星が飛んで来たら、頭をよけるポーズ」昔、そんな絵を私は描いていたことを思い出した。

その日は、旦那の誕生日で、私のささやかで実用的な誕生日プレゼントを喜んでくれた。
ずっと前に、買って置いた米粉のリングケーキを泡だて器で卵白を角が立つまで混ぜ、オーブンで焼いた。
そして、停電用のろうそくを一本ケーキに差して、火をつけて電気を消した。
「フー」
二人でパチパチ手を叩いて、食べた。
「やっぱり買ったケーキよりもおいしい」
「うん、おいしい」
この感覚は、似たもの夫婦だと言える。

いわきの知り合いに、聖別した塩を送ろうかと思ったので、電話をかけてみた。
塩はいっぱい送られて、もういいそうだ。
次の日、また電話があって東京に職場を変えるそうだ。地震、津波、火災、放射能、風評被害、人間は、どれだけ耐えればいいのだろう。
「今は大変かも知れないけど、日本はきっと立ち直るから、いい国になるから。これをきっかけに、どれだけ多くのボランティアの人が立ち上がったことか」
「そおぉ?」
「うん!」
私は、自分でよく落ち込む癖に、どん底の人を慰めるのが好きだ。

次の日、あの人はどうなったか?気になる人がいた。
前の職場のホームセンターの人で、ちゃんと手順を踏んで辞表を出していて、私よりも先に退職するはずだった人だ。
私は研修の日程がもう迫っているからと、強引に辞めた。その人は、その部署がダメなら、他の部署にと変えられて、「はい」と返事をしてしまったのだ。
私の一番仲の良かった人に久しぶりに電話をかけて聞いてみると、「その人は、まだ辞められない」そうだ。その条件で引き受けたのだから、辞めたいのに辞められない。辞める理由が見つからないのだ。
優しい人は、操縦され易い。
「人はずいぶん、少なくなったわよ~、店の中を歩いて貰えばわかるけど…」
「私は、あれから買い物に行かないから、わからない」
この前、園芸用コーナーで、プランターと土を買っただけだ。
「お米も、乾電池も入荷したらすぐ、なくなるの」
どんどん、人を減らせて、仕事を増やして行く。その重荷に私はめげていた。
苛める人と苛められる人の構図が見えてくる。クッション役の人が転勤になると、やられる人が一人になって、集中砲撃される人。
やられる人は、「人がいい人」、「仕事ができない人」のようだ。
私はここで、たった四時間のパートでも、疲れ果てていた。
電話の彼女は、私と同い年で、とても私に親切にしてくれた。右も左もわからない時、そっと手助けしてくれた。
「辞める時にも、ちゃんとタイミングがあって、その機を逃したらなかなか辞められないのよ」
それは、私にも言える。
「また四月から、昼間に働かない?」と引き続き仕事を勧められたのだ。
きっぱりと断った。
昼間だけ働いても、エステはできないだろう。ただ、立っているだけだ。助けるつもりでも、あの二人には、感謝もされないだろう。ちょっと親切心で一か月だけとか働こうものなら、抜けられないのは目に見えていた。それでは、自分の店をオープンできない。

電話中に義母がキッチンを歩いてて、ドタッと大きな音がした。静かなので、「お母さん倒れたから切るね」一度電話を切った。仰向けになっているのを抱えて起こした。
「ありがとう」
まっすぐに立って、つかまる場所を見つけた。
それで、義母の場合はいいのだ。自分でなんとかしようとする。今は、ショートスティと在宅の半々で、いい感じだ。だんだん弱りながらも。
心配するから、また電話をかけて続きを話した。
「お母さん、大丈夫?」
「うん、大丈夫。でもやっぱり、辞めて良かったよ」
今の時間じゃあ、私はいなかったから。
ごはんも私が準備する。ヘルパーさんだと夕ご飯の時間が早くなる。
実は、この長時間労働が功を奏して、旦那の理解と協力を得られるきっかけになったのだから、『人間万事塞翁が馬』だ。会社には感謝している。
辞める時に、お菓子を置いて帰らなかった話をしたら、
「私なんか、以前の会社でね、さんざんおかしな使われ方をしてね、辞める時、『お世話になりました』って、菓子折りを渡したらね、私んちの玄関にそのまま返されたことがあったのよ。私の手紙をビリビリに破いてね」
「まあ」
彼女は普通にこう言った。ツワモノだ。
その上司に命令されて、配った人が後で謝ってくれたそうだ。

話は地震のことに移った。
「ホテルの支配人に、避難民をしばらく滞在させてあげたらどうかって、お手紙書いて置いて貰ったの。
そしたら『参考にさせていただきます』って言われたの。客数が激減したからね、今少し戻って来ているみたいで」支配人とはいえ、一存では決められないだろう。それから、市会議員とか、県会議員にも手紙や、メールを出してみたの。でも、選挙が近かったのよ。知事は、岩手へ行ってる。伊豆半島で一万二千人だか、千二百人だか忘れたけど、引き受けるってね。稲取ではもうやっている、一人三千円から五千円以内らしいけど」
ちなみに、「今回の災害も、自然災害に似せた兵器があるらしい」と言ってみたら、驚かなかった。
彼女は、ネットはやらないけど、今度、『最終知識』を貸してみようかと思う。
「私は、エステ辞めたの。近所のおばちゃん捕まえて練習するとつもり。自分のお店をオープンするつもり。そして、場を設けたいのよ。いろんな人が居るけど、いい人はきっと居るはずだから」
「うん、エステやって貰いたいよ」
静岡で二人目の会員候補だ。

これを書いている時に、二十代の女性から慌てた感じで電話がかかってきて、「今日の昼間時間がありますか?」と聞かれた。
「やることがあるから、行けない」と答えた。
その後、頭痛がひどかった。
いわきの人の最悪期に電話で感じた時よりももっとひどかった。さっぱりわからなかったエネルギーも感じられるようになったってことだ。このことは歓迎する。

弱くても、立たなくてはいけないのだ。
勝たなくてもいいから、負けないことだ。

2 thoughts on “空き部屋

  1. pekapeka 投稿作成者

    自分に自信がなくて、つい消してしましました。(弱いな)

    でも、控えてあったので、ここに貼り付けました。

    いつもやられっぱなしな私が、立ち向かったという記念に書きしるしたものです。
    自分のこころの動きって面白いです。

  2. pekapeka 投稿作成者

    結局、伊豆半島で受け入れの名乗りをあげる宿泊施設はいっぱいあったのですが、東北の人は故郷を離れて遠くに来たがらないのだそうで、一人もいないと聞きました。

コメントを残す