メダカ

事務局からの案内に記された住所を見て
さー、都会での電車の乗り継ぎなんとしても成功させなくては。とおもった。
その直後に小型本棚から都区内地図が飛び出してきた。
父の手書きの付箋がひらひらとたくさんついていた。
あー 父がナビゲーターしてくれるんだ、とわかった。

私は事務局のお知らせのセミナーを見たとき
619619619と数字が頭の中にぐるぐる走った。

自分の予定カレンダーをみたら、そら:へいく日だった。
なので頭の中でぐるぐる走る数字はそのままにしておいた。
そしたらまもなくして姉から、その日交代してくれないか、と連絡が来た。

それで私は頭の中でぐるぐる走る数字に従うことにした。
きょうのセミナーに参加した。

たいへんむずかしいとおもわれる都内の電車乗り継ぎも父がナビしてくれたおかげではじめての場所へ向かうときも
帰路についてからも
心臓はどきどきしたけど成功した。
東京は父にとって大切な地であったことはよくちいさいときから聞かされていた。

私は今回のセミナーで、自分はこの膨大な歴史(水)の流れの中に起点をもっている(生きている)んだなーとおもえたことが新鮮だった。
歴史と自分が一体不離。
すると
責任を持つということがごくごく自然に理解できた。

歴史の展望台という次元にセミナーの間、守られながらいた感じがした。なので
安心して歴史の流れに自分の起点を確認する作業が出来たのだと思う。
家族歴にしろ歴史というものは怖いと感じてしまう。
そして。くさいものにふた式が発生してしまう。。水(歴史)を離れてメダカもクジラもヒトも草も生きていけれないあたりまえのこと(起点~終点)を頭に描くことが出来た。

積先生に セミナー後私は、ニコニコと「帰ります」と告げた。
そのあと数歩歩き出したら、絶滅危惧種なんだー
と頭に飛び込んできた。

そうか 絶滅危惧種は(私は)よくぞ子を産み育てたのだなーと連想できた。
そして帰りの新幹線で思い出した。
子達が小学生のころ
毎晩毎晩枕元にカセットテープをエンドレスで流し続けていたこと・・・カセットテープタイトル:宮大工 西岡常一の語り

夫が就寝に付く直前までテレビをつけていたので私はとにかく子達の耳を喧騒音から守ろうと考えついた策だった。

今日のセミナーの中で聞かせてもらった。こどもにはおと(意)の解釈はいいからそれよりもまず日本語をきかせることがたいせつ。昔は音読し暗記をさせる教育の占める割合は高かった。

たしかにアニメソングとかクラシックとか かけていたけど一番長続きしたのは、上記の語りカセットテープだった。
10歳前後の子たちに棟梁の語りの意味の理解はゼロ。ただただ日本語が語られているのが耳に入っていくのみ。

子達は息子ふたりが今。修理リフォームの仕事に就いていることもとても興味深い家族歴として
あらためて不思議さをおもいながら確認できた。

いま自分は絶滅危惧種として歴史をいだいて生き始めるのだと思った。
名古屋メダカに セミナーに集まったかたがたから声をかけていただきとてもうれしかった

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