通信

2010.8.8  0:07受渡完了
はたおりの神さまと思われる方からのメッセージです。

この世のことは様々な物語であり、よくあやなす機織りにたとえられますが、天が用意なされた縦糸。その縦糸はすでに、ハタオリキにかけられ用意はできています。そこに人の横糸が従十字になるよう縦糸の間を上下に一本ずつくぐり、布が織られていくのです。その横糸の一本一本があなたがたの、一人ひとりの物語であり人生なのです。その一本ずつ紡がれた糸で、あやなす、織りなされる布のいとまばゆき輝きを放つ、光の布(=これが御国)。これをあなた方は、実際に織りなすのです。金糸や銀糸を使って織りなすのではなく、単体の糸で織りなすのです。絹などで織りあげられた光沢。光を受けいく色にも輝く絹。あのような高価な糸で紡ぐものの美しさ。ただよくきいていただきたきことは、比較的安価と言われる木綿や麻などの糸。安価とはつくられた金によって、空虚な虚構の無の金によってはかられているだけであり、本当のその価値は金でははかれぬのである。その木綿や麻の糸で紡がれ織りなされた布の中にある光はまことの光。本当の美しさとは日常の中にあるのである。高級なものの絹が美しいとだれしもが認める美とは違うもの。木綿や麻などを紡ぐ紡ぎ手のウデにより磨かれた輝き、誰かから認められることではなく紡ぎ手の納得する確かなウデの中に輝きは存在するのである。光沢のない糸をどのように磨き光放つまばゆい糸にすのかはその人その人の人生の中に集約されているのです。本物の美、本当の美とは日常の中にあるのです。常にあなたとともにあるのです。言いかえるなら、あなたの一言一言、行動のひとつひとつが全て美へと紡ぎだされていくのです。そしてこの美は日本人であるあなた方のなかにすでに置かれているのです。
日本人にしかできない、創りだせない数々のワザ、技術とは外国人には決してなせないものなのです。手で触り、目で見て、肌で感じ創り上げるそのワザはコンピューターにも真似できないのです。日本語のやまとことばの「す」このやまとことばの思考回路、この脳を持つものにしかたどり着けないのであります。第六感というか、日本人の持つ独特の判断基準(思考)といいますか、五感とは全く違うところで感じる、まるで鏡にうつしだされて見えるような感覚、これは日本人にしかないのであります。(例えば、数ミクロンの研磨技術など機械化できない人のウデ。)これから先20年をかけこの日本の技術は見直され、世界中から求められるでしょう。また奪いつくそうとするでありましょうが、奪うことなど決してできるものではないのです。
シルクロードを通り、全ての本髄はすでにこのクニに置かれているのです。シルクロードを通る折、ある利はその地に落とされましたが、本髄はひとつも落とされることなく全てこのクニに伝えられ、移築(異築)されているのです。
そして日常の中に美を求めるこのクニの民の技術は、美しいものを創るだけではなく美しいものをいかに持続させるかということも含んでいるのです。たとえ壊れてもそれを修復するウデも持ち、さらには修復するときのことをも考慮した創られ方を見出しているのであります。壊れたらおしまいという大量消費の大量生産とは対極のものであります。(例えば百円ショップなど。)それゆえに現行の資本主義は終わりを迎え壊れねばならぬ。その壊れた後を修復するのは日本人、このクニに生まれ生きている人達の役割なのであります。さてどのような糸を紡ぎだされるのか私は楽しみにございます。またせっせと輝きをますために御自分を磨かれる方々におかれましては、微力ではございますが私もお力添えしたいと考えております。
あらたな光を放つ布を織るため、それぞれの紡ぐ糸が光あふれる光沢のあるものとなりますように。
一人ひとりにおかれましてあなたさまらしい物語を紡がれますように。
その糸の物語のあやなす世界が人々の希望となりますように。
このものへとお伝えいたします。

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