吉備の中心で

今、吉備の國では田植えも終わり、一年で一番美しい季節かもしれません。
水面に写る、緑の稲が、風に吹かれながらも、元気に育っていく姿に、こちらまで元気を頂いている毎日です。
六年前より、ももたろうの夫は、吉備のほぼ中心に位置する、年に数回大山が見える、標高380mの棚田で、自然農を始めました。そして、先月、恒例の「田植え体験隊」のメンバーが、町からやって来られました。今回は、11歳から73歳まで、総勢8名での田植えとなりました。蛙やイモリと戯れる小学生から、初めて素手で土を触るというご婦人を含め、ワイワイ、ガヤガヤと賑やかに、心地よい汗をかきながらの田植えでした。心地よい汗の後は、お楽しみの吉備団子・・・、いえいえ、昼食となりました。
ももたろうは、いつも食後の懇親会では、皆さんに自分の夢を語って頂く事にしています。

一番手は、ももたろうの夫から。「僕は、・・・・    。」

女性:「私は、・・・・       。」

男性:「僕は、・・・・     。」

男性:「僕は、・・・   。」

そして、私の隣の方に、順番がなりました。
女性:「私は、毎日緑の綺麗なH山が見える、環境に恵まれたところへ住んでおります。今は、穏やかに幸せに暮らしていますが、い    ずれはすんなりとH山に行きたいと思っています。」
       (注:H山は、北斜面が緑で、東と南は高級住宅街、西に斎場と墓地のある山です。地元では、人生が終わったら、H山           へ行くという表現をします。)

60代以上の方々は、揃って「そうだよな。」「そう思うわ。」と。

ももたろうの番が回ってきたので、勇気を出して言ってみました。
「私は沢山ある夢の一つに、将来、石の布団に入るのではなく、山に緑の木を植えて終わりたいと思っています。」

女性:「私も、主人には言っていないけど、そう思っていました。」

女性;「私も、それには賛成です。それに前々から思っていたのですが、戒名に?だったのよね。親からもらった名前で、十分と思って    いるの。」

○○氏:「僕は、子供達が困らないように、ちゃんと石の布団を作っておくよ。子供達が来てくれないと、寂しいよな。」

男性:「僕は、木を植える事に大賛成。○○さん、千の風じゃないけれど、私はそこに居ませんって言っているじゃないですか。子供     達に会いたかったら、いつでも直ぐ風に乗って、会いに行けるのじゃないのかなあ。」

○○氏:「えぇっ、・・・ 、う~ん・・・、  考えるなあ。」

女性:「それに、もう外国から石を取り寄せてまで、入りたいなんて、私はいやですよね。(側で蛙と遊んでいる子供達を見なが        ら)この未来の子供達のためにも、出来る事を私たちがやらないと、いけないように思うのですよね。」

○○氏:「   、考えるなあ。・・・」

男性:「○○さん!。稲刈りまでの宿題にしたら。」

ももたろうは、びっくりしました。吉備の中心で、こんな会話になるとは思ってもいませんでした。

“時は、動いていると。”

そして、最後に、コーラスをされている73歳の方が、田んぼへの御礼にと、独唱をして下さり、山々に響き渡った午後でした。

2 thoughts on “吉備の中心で

  1. totoyamato 投稿作成者

    piyocoさんへ
    こちらこそ、よろしくお願い致します。
    多分、同じ事が日本中で起きているのでしょうね。家やその地域にいると、何の変化もなく封建的だと思い込んでいましたが、それは自分の無知でした。本当に、時は動いていると、痛感している今日この頃です。

  2. suzushirosatori

    totoyamatoさん、はじめまして。
    piyocoと申します。よろしくおねがいします!
    実は今日、偶然にも夫とお墓とかお葬式の話をしておりまして、totoyamatoさんのブログを読ませていただいて、「なんてタイムリーなお話!」と、これまた衝動的にコメントしてしまいました。
    これまでの、死んだらお通夜→お葬式(戒名)→納骨(お墓)という慣習から脱却したいと考えている人たちは確実に増えているのかもしれませんね。嬉しい動きです。

コメントを残す