『光の精神に成る。』4

『マッチを擦って火が点く。』
映像がみえました。
少し前から頭の中に、たぶんタマシイにロウソクみたいな芯があり、そのタマシイの芯に審判の火が灯る。
そんなイメージでした。
審判の火は1人1人の外と内の両側から燃え広がり、聖なる水では浄化できなかったものを全て燃やしつくす。
隠していたものは自らが申告せねば、自らこころを焦がし苦しくてつらくて、真実と真理を語り、謝り、悔い改め、唯一の神の正義の方向に進路を変えるようになる。それしか助かる道はない。しかしこれが本当の愛でもある。みたいな感じ。

『 人間の道理をこえて
  唯一の神の真理を正義の道を歩む者にのみ
 幸福がやってくる。 』

人にとって幸福とはなんだ。幸せとは何ですか。
戦時中は生きることが、命のあることが幸福といわれた。
ダーウィンは生き残った種は、生物が環境に適応したものであるとした。
世界の支配者は生き残ったものが勝者だといった。
自然界は助け合いの共存のバランスであるのに対し、経済界は競争の中で勝者が幸せ者と思い込まされた。

人は生まれる前のことに興味があり、死んだ後にも興味があるのに、宗教は正しき真理を追究しても、自分の都合のいい部分だけしか取り入れずに教義とした為に、生きてゆく人の人生において何が正しく、正しくないのかを示ないで、混乱だけを残している。
審判という言葉を削り去り、陰徳を積めば罪は消えるとする。
大きな根源神に融合すれば全部救われるとする。しかし1人がそうなったとしても地球が救われるわけではない。救世主が1人来ても、たぶん人は救世主に全部の責任を押し付ける。
自分が神になりたい人は良き想いで、自分のルールで人を導くがいずれ、他人の闇の処理を任され、失速する。

人は生まれる前には、生まれたらこんなことをして人生を役に立てたいと誓って生まれてくるらしい。
でも生まれてきたら忘れている。生きることが最優先で、家族を養い、働きお金をもうけることが最優先となる。
次第に物で満たされ、精神性よりも物の環境が重視され、家族も増え、やがて死を迎える。
自分は幸せであった。と死んだら褒められると思って死んで行くのだろうか。
残った身内を自分が見守り、導くと思って死んで行くのだろうか。
それとも自分の人生はこれで良かったのか?と自問自答しながら死んで行くのだろうか。
死に行く先の出来事を知らないから、わからないと人は言う。
その前に一生懸命生きろと教えられる。

生まれる前に約束してきたことはできていなければどうなるのだろうか。
問われるのだろうか。
一生懸命生きていたなら、できていなくっても許されるのだろうか。
人は誰も、些細なことをでも数えると罪を犯してきている。
罪を許されるのか。
神や仏が罪を許して下さるのか。
そんなことはないだろう。

『 天に正しきルールがあるなら、正しく裁かれるのが本当の幸福である。』

人はまた生まれ変わりたいと思うのだろうか。
チャンスがあるなら人としてやることを約束して生まれ変わり、そして生まれて約束事を忘れて、死んで、また約束して忘れて、と繰り返すのだろうか。
永久という言葉が好きな人はこの可能性が付きまとう。

よくよく考えて日々の人生の中で、
願わくば
『 「ある未来」という時間を、
      「現在」の私が、
          「光の過去」に確定させる。 』
そんな作業がどうかうまくいきます様に天に祈っております。
ミエル

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