ゆえん

「介護認定の更新のため、義母は、また病院に行って下さい」
簡単に言うけど、体が動かない人が病院へ行くのは大変なのだ。もっと動けない人は、どうやって病院で見て貰っているのだろうと不思議に思う。
旦那は、ショートステイで元気になってから病院へ行こうと言っていたが。
「今、病院へ行った方がいいんだよ、点滴もできるし」
私は、そう言って押し通した。
ケアマネージャーも、そう勧めていた。
車まで負ぶって行きたいけれども、本人が歩くと言う。
それで、カートに掴まり自分で車まで歩く。一階だからまだ助かる。

でも、こんな状態では病院まで連れて行くのが大変なので、地元の人に聞いた。
「往診に来て貰える病院を知りませんか?」
私は、優しそうな開業医に電話で聞いてみようと思っていた。
「市役所の老齢福祉課に聞いてみたらいいよ」
一番の情報通のおじさんが教えてくれた。
やはり、その通りで指定の病院があって、旦那が病院で順番を待って、頼んで来てくれることになった。
私は、どうしても点滴を打って貰わないといけないと思ったので、念の為に介護士の方に電話でお願いした。
水曜日の午後来てくれて、点滴をするので念の為、採血をしてくれた。
医者は、とても熱心な方で、「通所へ週一回でも行くといいよ」と勧めてくれた。
「一度、リハビリで股関節を痛めたらしくて、もう二度と行かないと言ってます」
「リハビリでなくて、友達に会うようになると、億劫な人でも自分から進んで行くようになったという例がある」
そうじゃなくって、一度あの場所へ行かないと言い出したら、行かないだろうと言っているけど、会話が噛み合わない。
医者は忙しくて、別の人の往診の帰りに寄ろうかと言ったが、「点滴の針の抜き方を教えて貰って、私が抜きます」と言った。
「針とかは、廃棄物として特別に回収しなくてはならないから、ついでの時に病院へ持って来るように」
「はい、わかりました」
点滴の中身は、塩化ナトリウムとか、ブドウ糖とかだった。二時間かかる。
私が自分のことをやっていて、気がついたら二時間はとっくに過ぎていた。針を注意深く抜くと、義母から「あんたは、何でもできるね~。看護婦さんに向いているよ」と最上級のねぎらいの言葉をくれた。私は心の中で、いいや向いていないよと思った。

そして、その日に早速お医者さんから電話がかかって来た。
「あのね、血液検査の結果が出たんだけど、普通の人のヘモグロビンの値は、15なの、生理中の女性でも11なの。7で、危険なんだけど、おばあちゃんは、5,7しかない、これはもう緊急輸血ですよ。それに栄養も足りない。これも点滴しないといけないですよ」
やっぱり。ただの疲れようじゃなかった。
「だから、私はもうずっと前から、栄養が足りない。栄養が足りないって言ってるんですよ。でも今日は治療はしないと。誰~も血液の検査もしてくれなかったし、栄養の点滴もしてもくれない」
「誰も?」
医者が驚いていた。厳密に言うと二人だ。
「血液の検査なんか、初めてですよ。やっぱり貧血ですか」
「介護認定で、足が動かないから見て下さいって言っても、介護の認定の先生だって誰~も、携帯の動画も、歩いてる姿も見てくれないんだから」
「歩けたら、書けないじゃない」みたいな言われ方もされた。
だいたい普通に動けても、何もかも人にやって貰う人は、介護度が高くなるし、動かないけど何もかも自分でやろうとすると、「じゃあ、自分でできるね」と要支援2になったりする。
「じゃあ、血液検査をしたのは、私だけですか?」
「そうですよ」
医者と意気投合した。やはり、点滴をお願いしていてよかったのだ。点滴がなければ、採血して検査もなかった。
じゃあ、輸血は市民病院でないとできませんから、紹介状を書いて置きますから、明日取りに来て下さい。明日の市民病院の午後の先生は、私のよく知っている先生ですから、介護のことも詳しい医者です」
「ありがとうございました」
それで、次の日、お盆休みで家にいる旦那が一人で病院へ連れて行くことになった。私はパートがある。

その経過を報告して、十日間のショートステイの話の確認をした。
「貧血がひどいと転倒すると危険なので上司と相談して、受け入れはできない」と結局は断られた。それに、ケアマネージャーによくよく話を聞くと、「出された食事も好き嫌いがあって食べてくれなかった」らしい。私はよそでは、全部食べたのだと思い込んでいた。完食したのは、通所のリハビリの時の一回だけ。なんだそうか。

お昼の一時から、輸血と栄養剤の点滴で六時まで掛かって、看護婦さんとかは残業だったらしい。ご苦労さま。それに輸血も旦那が言わないとやってくれなかったかも知れなかったそうだ。
旦那がその時の報告をケアマネージャーにした。
「今度、家で点滴の時は、立ち合わせて下さい」
ケアマネージャーが申し出てくれた。
とにかく、少し元気になってホッとした。

義母は、輸血のお陰で「足が前より動くようになった」と喜んでいる。週に一度、骨を強くする薬と、便秘の薬、朝の栄養のための何錠か、夕方の薬と、たくさんあった。
「輸血をしたら、性格が変わると言うから、頑固さが少しマシになればいいねぇ」
私はにんまりした。
「栄養剤の点滴は、往診でやってくれるそうだから、それに終末医療も診てくれるって」
それは、助かる。
「とにかく市民病院へ行って、貧血の原因を確かめなければ」と医者は言う。
「それは、わかりますが、検査、検査で胃腸科や内科をたらい回しにされるとそれだけで弱ってしまう。総合医がいればいいです。もし、ガンが見つかったとしても手術はしませんから。無駄です。とにかく元気になればいいんです。チューブでつながれてもかわいそうで、病院へ入ると急に動けなくなるって、最期を看取った家族の人はみんなそう言います」
「とにかく、病院へ行くだけでも、自分の力で歩こうとしますし、抱えようとしても、抵抗するみたいに力み過ぎて、本人がぐんと疲れちゃうんです」

トイレに行く時、義母があせって入ったので、旦那が目を丸くした。
「動けるんじゃないか」
輸血で幾分、早くなった。でも、普通の人よりはずっと遅いけど。
食事の買い物リストも、数が多くなった。前より、元気になったから、食欲も出たのだ。
この前は、「チラシ寿司はもう飽きたから、赤飯にして」とか、食べるものは、ワンパターンなのだけど、重ならないように入れることにする。先週食べていたものを買う。バナナとチラシ寿司と、トマトとみかんと、そんなのは余分に買った。

旦那はまた、カメラを持って富士山周辺に出掛けた。
携帯が鳴った。
「今、歌謡番組をやっているから、テレビをつけてあげて。薬をまた朝の分と夜の分、追加しといて」
「うん、わかった」
私は、義母の部屋へ勝手に入って行き、テレビをつけた。大音量で歌が流れる。

「わたしゃ歌は、嫌いなんだよね~」
「ああ、そう~」
義母が、ピンク色の杖をつきながら話して行った。
そうなのか。前はよく聞いていたのになと思った。
後になって、自分の意思でチョイスしたわけでないから嫌だったのかも知れないと思いついた。
「オッカアは、最近、歌番組も観なくなった」
旦那は、嘆いていた。観ている方が人生を楽しんでいるように傍目には、見えるものだ。どっちにせよ、正直に好きだの、嫌いだのを言える方が楽だ。

人は人と出会う度、影響を受けて人が変わって行く。
絵の具だったら、混ぜれば混ぜるほど色が濁って行くのだが、人は磨かれて澄んで行く。
そこが、人が光たるゆえんかな?

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