~頼まれ事は試され事~

No.32

先日、視力検査をしました。右目の視力は0.01になっていましたが、充血が少なくなりました。その代わり逆さ睫毛の延び具合が早く、2週間に1度、眼球に障るまつ毛の産毛を抜くことになりました。
わたしの目は文字は見えずらいですが、光と色と音を頼りに、なに不自由ない生活ができます。

目が見えない代わりに感覚、触覚、味覚、聴覚などが敏感なため、ありとあらゆることに役立っていますので 愉しい毎日を過ごしています。

わたしの身体は不思議なもので不良になると他が良好になります。一見、辛く切ない現実でも、それはじぶんの自己治癒力で何とかしようとする生命維持の表れだと想うだけで わたしの身体は凄い!と感動してしまいます。

視力は衰えてきましたが、その代わりに口達者に磨きがかかりました(笑)

最近は、喋ってると言うより 喋らされているという感じです。

幼少期から 他の人が見えない存在が見えたり 聞こえない音が聞こえたり 感じない存在を感じましたので、わたしではない気がしていました。

最初は 錯覚 気のせい 勘違い などと 触れないようにしていました。
そのうち関わらないでいられなくなる現実が来るようになりました。
あの頃は誰にも相談できず、話し相手は自然界でした

じぶんの回りに起きる現実世界と精神世界で、わたし自身のバランスが乱れる度に、空、海、山に向かい喋っていました。
正しいことをしたら嬉しい現実が、間違っていることしたら辛い現実を見せられました。

試行錯誤を繰り返すなかで 参考事項は決まって祖母の教えの中の語録でした。
わたしは、今でも『頼まれ事は試され事』という言葉を大事にしています。
幼少期は、試されてるって誰に?と疑問がありましたが、試しているのはじぶんの中だと考え、どんな頼まれ事も『喜んで』引き受けることを意識しています。

喜んで させていただく事柄には、相談事や依頼事があります。
相談事は人間関係の感情的な分野なので簡単に解決できます
それ以外で頼まれることは、肉体的に辛いことがたくさんありました。

でも そんな時ほど なぜか?ヤル気満々になってしまいます(笑)

相手に頼まれても、試している相手はじぶんだと思っています。
相手の評価よりも じぶんの自己採点を気にしています。
じぶんが誠心誠意、精一杯やれたか?じぶんが頼まれた人の願いを叶えるために、真心を込めて、ありとあらゆる能力を決してこなせたか?が大切だと思っています。

わたしは、人に頼まれ事をされると嬉しくなります。信頼されていると感じて喜んでしまいます。
『はい!喜んでぇ~』と大きな声を出してしまいます。
声を外に発しながら引き受けると じぶんの中から、人のために働ける喜びが出てきます。試してもらえる嬉しさが出てきます。
期待に添えようとするチャレンジ精神が飛び出してきて、最後には、やる気が沸き上がってきます。

『人のために無償で働く!』これは、わたしが物心ついた時からのじぶんのテーマであり規則なのです。

ですから、人が見ていても いなくても じぶんじしんが どれだけやったか?なのです。

本来のわたしは、わたしに甘く弱い生物です。本当のじぶんは、じぶんに厳しく強い生命体だと思っています。

今日も わたしに関わってくださる方々は口を揃えて言っていました。
『あなた よく喋るから 全然、病人に見えないね!』『産まれたときから喋ってたんじゃないかぁ~』

医学的には とっくの昔にあの世に逝っています。(笑)
でも、この世で成し遂げることがあるため 生かされているだと思います。

精神学協会の積哲夫先生に関わらせていただき、何田匡史さまに縁してからの わたしの人生は とても幸せです。
その幸せの度合いが増しています。
最初は、ゆっくりでしたが段々と速度が上がり幸せな気持ちになることが急上昇しています。

これからも この幸せな想いや気持ちを 関わった皆様に分けてあげたいと思います。
幸せな気持ちになるコツやツボをお知らせしたいです。

精神学が経済に繋がる仕組みをお伝えしていきたいと思います。

天の配剤を頂いていることに感謝します。
ありがとうございました。