Vol.592

旧大蔵省の終焉

今回の財務省の文書の騒ぎではっきりしたのは、戦後の日本に君臨してきた旧大蔵省の存在が、金属疲労のように構造的な問題点を抱えており、このクニの官僚の思い違いが、国民の目に映るようになったということです。
私は、この流れを、明治維新の一千八百六十八年から敗戦の一千九百四十五年までの時間が七十七年で、現在は敗戦から七十三年目という時間軸で見るように、天より指示されています。
明治からの一連の物語は、この平成三十年の百五十年に終わるというのが、精神界における情報ですが、現実のこの世は、精神界のエネルギー変化の投影によって変わるので、そこには若干のタイムラグが生じます。そして、明治維新から七十七年という時間の対称形として敗戦から七十七年という時間は、西暦二千二十二年となります。この二千二十二年というのは、私の役割のターニングポイントとして、はじめから指示されている時と重なります。
これから、日本が復活するために、ほんとうに必要なのは、正しくて新しい日本型の官僚の出現なのですが、そのためには、現在の財務省の権力基盤となっている国税庁を、分離し、アメリカ型の歳入庁として、独立させることです。たぶん、今回の事件で、このクニのシステムは、その方向に動きはじめるよう、見えざる手でコントロールされていくのでしょう。
それによって、何が起きるのか、というと、戦後の闇のなかで、ある種の政治的取引の結果として蓄積されてきた、グレーゾーンのマネーの実態が表に出るようになるはずです。知っている人間には当然のこととして、長い間、同和や在日、その他の政治勢力をバックに持つ人間グループと税務当局との間には、裁量権の範囲を超えたともいえる関係がありました。北朝鮮の核開発をある時期まで支えていたのは、そうした資金であったことは、多くの人間が知っています。
この戦後日本の行政権の弱さは、たとえば、拉致事件のような一般国民を保護できないという問題だけでなく、国富を流出させてしまうといった点でも、これから問題とされなければならないのです。
日本経済を研究しつくした中国共産党は、改革開放という偽似資本主義化政策においても、土地の私有化は阻止してきました。そこに、日本のようにはならないという、彼らの学びの結果があります。もともと、公地公民の日本は、明治の世に土地の私有制を認め、それによって、崩壊の道をつき進んできたという歴史的事実にこれからの日本人は向き合わなければなりません。かつての日本なら、それは「おおみこころ」の意志表示で、もとに戻すことが可能でしたが、昭和憲法の今は、憲法改正という手続きが必要ですが、国民の意志によって、国土は日本人のもとに取り戻すことができるのです。
外国のマネーに国土を売り渡す人間は、戦後ずっといて、いま問題になっている中国のマネーにしても、その資金的出所は、日本だったりするのです。こうした狂気としかいえない経済運営をしてきたのが、アメリカの戦後支配によって、特権を与えられてきたひと握りの日本人のグループです。彼らの思考の正体は、アメリカ資本主義のルールなのであり、それ自体が日本という貧富の差の少ない社会を破壊するものとなっていることに、そろそろ多くの日本人は気付きはじめています。
今回のことで、明治から続いてきた旧大蔵省の役割が変われば、その次には外務省の問題が大きくなっていくのでしょう。さらに、GHQが内務省を解体した結果が、大蔵省の権力を極大化したという歴史から学ぶことも求められます。そして、明治のシステムがすべて死を迎えます。
その先の日本を構想できる、政治家と官僚と、経済人が、これから生まれてくるはずです。ただ、そこに到るために、残された時間は多くありません。

二千十八年三月十五日 積哲夫 記