Vol.542

狂人ルーズベルト

アメリカの石油・金融王として知られるロックフェラー家の当主だったデイヴィッド・ロックフェラーが現地時間の三月二十日に百一歳で死去しました。
三月二十日というのは、わが国の千九百九十五年に起きた地下鉄サリン事件や、その十年後の福岡西方沖地震、海外では二千三年のイラク戦争、リビアへの軍事行動は二千十一年など、多くの歴史的事件の発生日なのですが、何か精神界からの情報伝達があるかもしれないと考えていたところへ、くり返し、「狂人ルーズベルト」という言葉が、この光文書のタイトルとして伝達されてきました。
いまでもアメリカでは英雄視されている第三十二代大統領F・D・ルーズベルトは、実は強烈な人種差別主義者であり、千九百四十五年の四月十二日にわずか六十三歳で死ななければ、日本は広島、長崎以上の災厄に見舞われた可能性が高いということを、そろそろ、日本人もアメリカ人も知るべきときが来ています。
戦後の日本の教育で、アメリカ軍の悪意が一切伝達されなかった結果、昭和天皇の終戦の詔勅の背後にあった、このままでは、日本民族が絶滅させられるという危機感を、私たちは忘れていますが、この危機感の共有がなければ、硫黄島や沖縄の戦いの本質が理解できません。
当時の日本にとって、アメリカは有色人種の日本人を特に差別し排斥する白人の国であり、その建国後の歴史は、先住民であったインディアンの各部族を、戦わせ、最後には最悪の地域に居留地を設定して追い込むという、民族の絶滅を実行中の新興国という認識があったという歴史的事実もまた、封印されています。
二十世紀は、戦争の世紀でした。一千九百十七年に終わった第一次世界大戦によって、ヨーロッパの主要なる王家は消滅します。
とくに、大国のロシアとドイツにおいて、共産主義者と反共産主義を掲げる全体主義者の勢力が支配権を握ることで、第二次世界大戦への道が開かれました。
この歴史の背後に、世界の金融資本家たちの強欲があったことは、いまの時代に知りたいと考える人間たちには、すでに常識化しつつある知識です。
ナチスのヒトラーは、狂人でした。ソ連邦のスターリンも狂人ということができます。そして、アメリカのルーズベルトもまた、狂人だとしたら、あの第二次世界大戦というものは何だったのでしょうか。
当時の日本から世界を見ていた出口王仁三郎は、その戦争を悪神と悪神の戦いといい切っていますが、この日本もまた悪神に乗っ取られたものとして、参加していたのです。
では、日本を主導した狂人は、どこにいたのでしょうか。
すくなくとも、昭和天皇は、戦争を阻止するために心を砕かれています。
陸軍内の長州人脈を排除するために、東条英機を使ったということは、昭和天皇自ら、明治の山縣有朋以来の、天皇を玉と呼び捨てにする維新政府のうさん臭さを知っていたということなのでしょう。
私が知らされている、日本の近現史は、明治維新ではじまってしまった、狂った日本の道を修正するために、大本教をはじめとする精神界も関与し、維新の実行グループでも、私腹を肥やすことを潔しとしないグループが西南戦争を起こしますが、失敗し、白村江以来の国体を変更して、朝鮮を併合した後は、天から見捨てられ、一千九百四十五年の敗戦で、また、日本列島のみを国土とするクニへと戻されたのです。
いまの日本の内閣総理大臣が、長州出身で、あるというのは、精神界のデータでいうと、天の配剤にほかなりません。
明治百五十年までに、日本人が神知と人知の両方を検証しつつ歴史の真実を知ることなしに、最後の一厘の発動はないということを、今回はお伝えしておくことにします。

二千十七年三月三十日 積哲夫 記

この光文書に合わせて通信が届いているようですので、掲出しておきます。

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2017.3.28(火)15:43~

みたま なるを かけて しりたふ
この みちの つぎて あれるは
をく しり たる ものを ふみて なる みち
みたまのふゆに もとづき ありて
やどりたる ものを えらびて あるらむ
わすれたる ものを つがむ こと なしに
あらためたることの よしを みたれば
みちを しきたる もの ありて つぎたるものや
あからしめたまひて