1111の縁

空海入滅(835年)から1111年後の6月21日、小手穂という片田舎で、密教僧の父と源氏の流れを継ぐ母の元に長女として誕生する。
この世に生まれた時より、神仏に対する深遠を感じるような出来事が、何回も起きたことを憶えて います。
父を教祖と慕う信者さんから、「空海さんの子」と大切にされ、父は父で「空海さんからの預かり者」と生前何度も私に話していました。 誕生から何日目かのある日、蚊帳を吊って寝かせている私の枕元に、とぐろを巻いてじっと私を見つめている白蛇。蚊帳を外すとスーッと一本の棒のようになって、母の鏡台の下に消えたそうな。すぐにその鏡台を持ち上げるともう姿がない。こんな小さな鏡台に入れるスペースもなく、鏡台の下の畳にも入れるような穴もない。それが不思議の始まりだったそうです。
私が記憶する幼少の頃は、兎に角お経を唱えるのが好きで、毎日父と一緒にいることが楽 しく、空海ゆかりのお寺や修行場にいつもおともしていました。3歳頃から、不動経・般若心経・観音経・等父が唱える殆どのお経が5歳頃には完全にマスターしていたと思います。小学校の入学までは常に異次元の存在が、一緒に遊び見守ってくれていました。
その存在が観えなくなった頃から、世間で言う超能力が発動する。
但し、一般の人が言うように特殊とは思っていませんでした。誰でも同じだと子どもながら に信じていました。
ただ普通に話している自分が、他の友達との間に違和感があった時から、その能力を意識 しないようにと、ふたをする努力をしていたのが、とってもしんどかったのを憶えていま す。(その頃は体も弱かったですね)高校を卒業して、1年目に父が他界し、しばらくは仏縁が遠のいていました。三人の子育て に奮闘・専念、そういうゆとりがありませんでした。一応三女が保育園に入学して、子育ても一段落の区切りに来たなと思っていた頃、又能力 の発動です。
向こうの世界で父が何かの動きをしている、でも分からない。なぜかじっとしていられない。母が唯一の理解者だと思っていたから、その気持ちを話しても、「理解できないそんな事、自分ひとりで出来るものではない。そんなことはお坊さんたちに任せて主婦をして居れば良い。」 「じゃあ私が尼さんになってすればできるのか?私は主婦でも出来ることをしたい!それで出来ないなら尼さんになる。」と、そのようなやり取りの中で私が真剣に考えれば考えるほど、私は普通なのに母には心配だったのでしょうね。「精神科の病院へ行って診てもらったほうがよいよ」の言葉でいつも決裂。
あれだけ父のよき伴侶であり、よき理解者であった母がなぜ?そんな時間が何年掛かったでしょうか。

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