新・神知と人知7

二千十八年八月二十四日

最後の一厘は終わりではなく、大変動の前段階でしかありません。

「間もなく、永遠性を求める元にあるエネルギーの放出がはじまるので、先に伝えておく」と神々は仰っています。<みおや>と名のられた神々がふたたびあらわれ、シンロジー・マガジンを使って進行している出来事の記録を残すように指示されたのは、このことをお伝えするためです。

神々によれば、日本では今年に入ってから、すでにこのエネルギーが徐々に放出されはじめているそうです。「最終知識」には、第六章審判[七]に「この物質的宇宙の生成のはじめにあった、闇の思いに光が宿り、ビッグバンが生じたときに、闇の思いの主人公が、自分が創造主であると信じたことではじまった物語…」と書かれています。

これは「人間のたましいの内にある、永遠性を求めるもの」の問題です。神から離れるにつれて、人間は死から逃れられないことの意味を考えなくなってしまいました。死という体験を否定することは、永遠性を求めるものにつながっています。

永遠性を求めることは、たましいが過去へと向かい、暗黒の闇の領域へ降り、みずからそこに閉じ込められるのを求めているのと同じです。今後、人間の身体や存在から、この暗黒由来のエネルギーの放出がはじまるそうです。光へ向かうたましいが、未来へすすむために審判を求めるのと正反対のベクトルです。

正しい「光への上昇」では

 

時間の流れと宇宙的な空間の広がりを認識するという意識のはたらきによる、時間、物質、意識の三位一体

 

と、「最終知識」終章知識の完成に書かれているとおりの体験をします。そして、自分という小宇宙(ひとつの存在)がなぜ生まれてどのように作られてきたのか、なぜこの人生を生きているのかを知り、大きな意志のプログラムのどこに位置づけられているのか理解します。そこでは、永遠性や不変性は意味をなしません。

光の世界(光の層)と闇の世界(闇の層)の時間軸は、別のものです。時間の質も違います。光と闇の時間の質の違いは、物の性質にも作用します。時間はエネルギーのようなもののひとつなので、「物質の中に時間が内在している」「時間の中に物質が内在している」という相互関係が成り立ちます。人知はこれから、その段階へ入っていきます。

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日本神話の神々にとっての最後の一厘とは、天の時間と地の空間の統一です。それは、神々がこれまでの物語から解放されたということでもあります。日本の神々は、光の宇宙へすすむための進化をはじめているのです。

 

二千十八年八月六日(月)十三時三分から

みよの よに   そろいたる みの   かしこく して

よみには あらねと   まをしたりつる   みこともち つれ   ひきいるものは

 

かみのよの うつしなるみは   おわり なる

かみ は かみ ひと は ひと   「かみ」たるものの   かんちがい

 

ひとに おりたる かみの   しっぱい

ひとの せい(所為)には   できぬ ゆえ