~金縛り~

No.2

高熱 呼吸困難 角膜損傷 入院しても原因がわからないままの治療が続き 転院を繰り返しました。

あの頃は 夜 何者かが 身体にのし掛かり 息苦しさと 恐怖で 熟睡できませんでした。

東京都にある虎ノ門病院で 一年間治療すれば治るなどと お誘いもあったようでしたが、家族会議の結果 わたしは 新潟市の病院へ移ることになりました。

小学2年生から 養護学校に転校し 病院で治療をしながら 学校へ通うことになりました。

病院は、自宅から 電車で 四時間ほどの距離で 家業も忙しいせいもありましたが、母親とは 学校の行事の時にしか 会えませんでした。

病院の建物は老朽化が進んでいました。

そのせいかわかりませんが、他の人には聞こえない いろいろな声が 聞こえるようになりました。

夜は 相変わらず金縛りにあっていましたが 慣れてくると 何者かの存在が わたしに、近づいてくるのが分かるようになりました。

また 今夜は 来そうだな(何かの存在が)と感じたときは 消灯時間になっても 横たわらず 身体を起こしていると 金縛りの主は、ドアの前まで来ていたようですが 諦めて しばらくすると居なくなりました。

恐怖心があるときは 声の数がたくさん聞こえてきて 金縛りにあう回数は 週に4.5回になっり 不眠が続き 体力も落ちて よく学校をサボりました。

明るいときは 金縛りにあわなかったので 昼間の時間に寝て 夜来る訪問者を待つようになりました。

年月が経つにつれて 金縛りやまわりからの声にも慣れてきて だんだん付き合いきれなくなってきました。飽きてきたという方が正しいでしょうか。

怖い顔をした人が 目の前に来たときは 思わず 『わたしは あなたに付き合っていられないし 力になれないよ!じぶんの行くべにところに行ってよね!!わたしのところに来ないでよ!!』と心の中で叫んだものです。

何度も 何度も 来ないようにと祈っていたら 徐々に まわりから聞こえてくる色々な声がなくなりました。

一年後、新しい病院ができて 引っ越しの頃になったら 夜の金縛りに合う回数も少なくなり まわりからの雑音が すっかり無くなっていました。

あの頃の あの声は なんだったのか?
わたしには 解りません。

ただ、病気と闘う子供達と この世を去らなければならなかった亡くなった子供達の色々な思いが渦巻いていたような気がします。

あの頃は、呼吸が苦しくて 動くのが切なくて ただ、生きるだけで精一杯でした。

とても大変だったことだけは 覚えています。

そんな辛いときは いつも 実家の山の風景を思い出して 深呼吸をしていました。

『わたしは まだ死ねない。死ぬもんか 何もしないうちに死んだら きっと後悔する』と何度も 何度も 挫けそうになるじぶんに言い聞かせました。

今のわたしの強さは 病気になったお陰です。

今もなお 続く 闘病生活ですが あの頃に比べれば 楽に生きられて 助かっています。

最近  よく考えること

死んだらどこへ行きたいか?

死後の話しは とても大事です。

死ぬ前に知っておいて欲しいこと。
積哲夫のメッセージ

感動しました。

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