十三次元光の世界

*平成七年一月十六日・・突然我慢できないほどの睡魔に襲われ、ソファーに座ったまま眠ってしまった。ボーンと光の世界に・・・光の中の静寂!その言葉しか思い当たらない。全く静寂である。でも何かが静かに流れているといった感じでもある。シーンとした中に「厳粛」と表現した方がよいのかもしれないが、光の中にいて全く光の色を感じない。何の思いすらも無く、ただ自分の存在のみである。いろいろな思いを超越した無の世界。幸せかどうかを感じることすらも無意味とも思えるような世界。十三次元世界だと知る。下には十二次元・十一次元の壮大な世界が広がり、はるか上層部にも神々しい光がある。しかし、十三次元の上に、見えない境界線のようなものがあり。(*注・その境界線が何を意味するのか?は、精神学協会のご縁と学びで得た答えで、また後で説明する時が来ると思います。)私自身もそれ以上昇ろうとはしないで十三次元の世界から、十二・十一・と数えながら下に下りる。十三次元~十二次元~十一次元は、三層になっているというのは分かるが光の色も、意識も殆ど変わらない。超越した無意識の世界といっておきます。十次元に降りた時、そこにもまだ超越の意識世界が広がっている。ただ違うのはそこには一人の光の存在がありました。釈迦の意識です。瞑想していると思いました。その時、釈迦の瞑想姿(*注・これは私のその時のイメージです。三次元の姿ではありません。)を後ろから確認していました。本当に静かでした。幸福感も満足感も至福感も超越した無・空の境地です。また九次元に降ります。その時縦割りに意識世界を確認しながら降りているのを自覚しました。十次元とは少し違った静寂と厳粛(この世界の方がピッタリのイメージだと思った。)さがありました。その場には数人の光の存在を覚えています。次は八次元世界です。いろいろな意識を乗り越えた満足感、様々な幸せと思える意識がいっぱい詰まっていて、慈愛の心に満ちている。観音様の世界と思えた。またその世界でも、九次元よりも何倍も多い光の存在を確認することが出来ました。その下に七次元世界が広がっている。もう少し具体的に満足感・至福間・幸せへの思いがあるように感じられた。その世界でも、八次元よりも何倍も何倍も多くの光の存在が居ました。次は六次元と思った瞬間に、「降りたくない!」これは私の想いです。それでも降りなくてはなりません。六次元は七次元から降りる時、一つの次元でこんなにもしんどさを乗り越えて得る世界なのかと思ったが、でも素晴らしい世界なのです。そこにも何十倍も何十倍も光の存在があります。次は五次元世界です。ここからは地上の意識が良く見える世界に入る。という意味は人間の意識段階や想念などを乗り越えたところの世界であるために、満足感も幸福感も具体性があり、いろんな種類の喜びが充満している光の世界です。ここには今までに一番沢山の光の存在が居ました。そして五次元のある場所に、ポッカリ穴が開いている世界があって、そこから下を覗くと、とてつもなく大きなガラスのフラスコのような中に、まるでおたまじゃくしのような黒いものが動いている。これから生まれるために用意された魂です。その無数の魂の中から自分にとって必要とする学びをもった魂を自分で選ぶのです。選んだ瞬間にその魂に御霊がもぐりこむようにして入る。もう次の瞬間にお母さんのおなかの中です。このようにして自分の学びである人生を選んで生まれたのが私たちだということを認識しました。またその人間形成も人生も宇宙の創造神のエネルギーが分かたれ存在していることもお伝えしておきます。この壮大な世界を見て目が覚めた時、周りを見るのが恐い!もしかして・・・一瞬「浦島太郎」を想像してしまいました。壮大なスケールの世界を見たものだから、とてつもない時間の経過を思ったのです。まず自分の手を見ました。そんなに加齢しているとは感じない。そしておそるおそる周りを眺めました。部屋の様子も変わっていない。一番安心したのが変わらない姿の愛犬を見た時です。随分長いように感じたのですが一瞬の出来事のようでした。この体験で得た知識は大変重要なものであると思っています。これでわたしの生まれた意味も、これからの役割も知ったのです。光の世界には時間の観念が無いこと。思えば瞬間でその世界が広がる時間と想いは一瞬だということです。そして肉体は消滅しても霊魂は永遠に生き続けるということ。そして光の世界は意識の世界でもあるということ。そして釈迦もキリストも空海もその他の沢山の光の世界の人たちは、今も尚働きをしているということ、等々です。