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#63 日本国民としての矜持(きょうじ)を保つために

西部邁さんがお亡くなりになって二カ月半が過ぎ、自殺を手伝った二人の男性が逮捕されました。
編集長の座を譲られ後継している藤井聡(表現者criterion編集長・京都大学教授)さんが見解を公表しておられます。

  【藤井聡】西部邁氏の自殺幇助者の逮捕に思う
  ~「言葉」からズレた「振る舞い」~

  https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180406/   

  【藤井聡】西部邁氏の「幇助自殺」を考える 
  ~西部言説の適切な理解のために~  2018.04.09
 
  https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180409/  

おっしゃるとおりです。
そして、身近な人々に迷惑をかけまいと配慮しつつも、結局最後に逮捕者を出すという形で他者を巻き込む間違いを犯した人間的甘さは確かにありましたが、分析や論理については、やはり明晰ですごかったなぁ、と思います。

主権回復五十六周年記念国民集会(平成二十年四月二十八日)において、主権とは何かについて西部邁さんが講演しているところを一部映像で流していますので、ご覧ください。

  西部邁 追悼講演「西部邁を通して日本と世界を見る」②
  【講演本編:西村幸祐氏 評論家・ジャーナリスト】安倍晋三氏との秘話も 2018/3/3

  https://youtu.be/1T3nvmguy3s  

西部邁さんが映像の場で以下のことを語っておられました。

  民衆扇動の民衆という意味において、ありていに言うと、国民の歴史、伝統という
  ものを、ないがしろにするような国民は、実は国民ではなく単なる人民である。
  単なる人民は大いにしばしば、デマゴギー、民衆扇動にさらされて、あおりたてられ
  て、自ら突き進んで、デモクラシーというものの根を腐らせていく、そんな危険性は、
  古代ギリシャの昔からわかっていたことです。
  そして今現在日本はですね、本当に、プラトンでもソクラテスでも、墓の下から
  蘇ってきたら、言わんこっちゃないじゃないかというふうにですね、嘆くか笑うか
  知れませんけれど、そういう、もちろん世界中そうだともいえますが、世界の中で、
  もっとも純粋な形で、デモクラシーの腐敗現象を起こしているのは、この日本列島
  だと私は断言して差し支えないと思う。

そんな今の日本において、真の意味での主権の回復を祈り、願い、かつ実施するということがどれほど大変で、どれほど多大な困難に逢着するかということを、我々は肝に銘じながら、深刻に受け取りつつもユーモアを絶やさずに、

  自分の小心を何とか抑制して、勇気を奮い起こしてしゃべってみる。ケンカが
  起こったら、殺されてもいいやと思って頑張る、とまでは言いませんが、ふと、
  殺されるかなぁという程度の危険はどこかで覚悟しながらです、言うべきことは言う
  という、この当たり前の気持ちを取り戻さなければ、我々は後世に対して、
  憲法改正をはじめとして、いかなるまともな歴史の伝統というものを、公生に継承
  させることができないのではないか。

ほんとうにその通りだと思います。
( 参考 非売品小冊子「主権とは何か」 発行:佐藤和夫 文字起こし:三浦小太郎 )
  
なぜ、こんなにまで、戦後教育による刷り込みがうまくいってしまったのか?
なぜ、いまだに、お花畑から抜け出さない国民が多いのか?
私自身、近代史での刷り込みがまだ残っている部分もあると思いますが、さすがにもう、国民全体が目を覚ます必要があると思います。

いまの国会中継を見ていると、相変わらず憲法改正を阻むための野党の課題提供と質問が続き、イライラしてしまって最後まで見続けることが難しい日々です。
莫大な税金を使っているにもかかわらず、決してレベルが高いとはいえない奇妙な質問の多い場ですが、辛抱強く聞き遂げ、質疑を重ねるのは粘り強い方々だと認識しています。国費を使う以上、もう少しまともな議論をしてもらいたいものだと多くの国民は感じているはずです。

憲法改正は、日本が独立国であると主張するには必須です。
自衛隊のみなさんが、適切な仕事を行う目的としても必要です。

国民が目覚める以外には、この合法的妨害行為をやめさせる事はできないのだと感じます。

阪神淡路大震災での出動時、権限のない自衛隊が渋滞に巻き込まれてしまい、現地到着に時間がかかり、助かる命も助からなかったこともあった、と先日の虎ノ門ニュースで青山繁晴さんが話しておられました。
現行法では有事の際にも、自衛隊の撃った弾に当たって国民の誰かが亡くなったら、殺人罪に問われる可能性が高いとも聞きます。

作られた状況を知ってよく考えれば、現行憲法は前文を読んだ段階で「独立国とはいえない」とわかる内容でした。

前文で、
  「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
   われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
と記され、九条二項には
  「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
ということは、日本に報復させないという連合国側の目的には適っていますが、「諸国民」が不正を働き、信じるに値しない人たちだった場合、救われない話です。

本当の意味で公正と信義を信頼できる、平和を愛する諸国民など、どこにいるのでしょうか?
戦争においても常に国際法に照らし、法を守り続けたのは日本でした。絨毯爆撃の実施や原爆を落としたアメリカ、今なおアフリカ諸国から多大な利益を吸い上げ続けるフランス、易姓革命が当たり前の大陸、半島諸国・・・歴史を見る限り、世界は強国であればあるほど、強烈に暴力的で邪悪な傾向が強いですし、日本の近隣三カ国は反日的です。

現行の日本国憲法は、「日本を永久に非武装のままにしておく」という目的でGHQ民生局次長で弁護士のケーディス大佐を中心として草案が作られました。世界十二カ国の憲法を参考に、民政局行政部スタッフ二十五人によって一週間で作られた草案です。憲法に詳しいものはおらず、中には二十二歳の若い女性もいました。

ハーグ陸戦条約第四十三条の精神「占領者は占領地の現行法律を尊重する」を無視したものともいえます。
一度に変えられるものではありませんが、改正の一歩を踏み出すチャンスは年内から、来年の夏までとも、いわれています。

このところ、国学に関する本を読んでいましたが、友人が別件でおもしろい連載があると教えてくれました。
戊辰戦争に関する連載です。次回ご紹介したいと思います。

去年は大東亜戦争という大きなテーマについて調べ、学び、歴史認識を大きく改めました。
今年は明治大正という時代を生んだ「明治維新」についての学びなおしを始めようかと思いながら、積んだままになっている本から数冊取り出しました。江戸時代の国学に惹かれつつ、明治維新を見なおす、という掘り起こしは興味津々ですが、眠れない日々の再来になりそうで、また限界破りに挑戦するのかと思うと腰が引けます。
西部邁さんの後世への激励が胸に刺さります。

大東亜戦争と明治維新が正しく知らされなかったことで、いまの日本の腰抜けぶりが出来上がったと考えると、「日本のいまを考える」ために、今年はいずれ、このテーマに挑戦することになるのかもしれない、と思っています。
間違って開いた扉さえも、織り込み済みの学びとして生かすことができるよう祈りつつ。

平成三十年四月十三日
阿部 幸子
協力 ツチダクミコ