#30 ポスト・グローバリズムのその先に向かって ~その2~

日本の近現代史は、グローバリズムとの戦いだった、とも言えると思います。
世界は、確実にグローバリズムに進んでいった時代でもありました。

グローバリズムと日本の接点、出発点はどこなんだろう?と思って、少し調べてみました。
大きくとらえれば、グローバルな貿易会社であり、世界初の株式会社である、東インド会社の発展とともにグローバリズムは進んでいったのだと思います。

十六世紀半ばから十八世紀にかけて西ヨーロッパで絶対君主制を標榜する諸国家がとった政策、重商主義。
ウィキペディアを参考に少しだけ解説してみます。
初期は重金主義に始まり、後期には貿易差額主義(輸出を進めて輸入を制限することにより国内産業を保護育成し、貨幣蓄積をはかる政策)となっていきます。
どちらにしても、「富とは金(や銀、貨幣)であり、国力の増大とはそれらの蓄積である」という認識のもと、植民地からの搾取、他国との植民地争い、保護貿易などを加熱させていきました。

そんな世界にあって、日本は江戸時代、文化を発展円熟させていた鎖国の時代です。
明治維新をグローバリズムとの関係で見ると、ますます怪しく感じられます。

歴史にイフはありませんし、裏を返せば、「学ぶ」ためにあった期間とも言えると思います。
いち早く脱するためには、早く学び終えて、これからの日本と世界のために、きちんと検証する必要があります。

先月、河添恵子さんによる「中国国民党・共産党と米国左派が結託した反日工作」というテーマの話をお聞きしました。
アメリカにおけるユダヤ系左派と客家(はっか)人の類似性と人脈ネットワークのお話でした。

ユダヤ人は国を持たずに外に出て行くことで、世界で活躍してきました。
「ユダヤ人」といっても、大きく三派に分かれるといいます。
正統派が二割、保守派が四割、改革派のグローバリストが四割で、この三派はまったく異なる価値観をお持ちなので、「ユダヤ人」というくくりで話をするのは難しく、金融や戦争など世界の舞台でよく紛争の種になる「ユダヤ人」とはほとんど改革派の方々をさしています。

「中国人」も、中国に住んでいる方々をさすとしたら、そこには多くの民族がいて、価値観も一様ではありません。
今回の河添さんのお話は、漢民族の中の「客家人」に限定してのお話でした。

客家人たちは、中原(ちゅうげん)から南下してきた民族で、塩辛いものを好む民族です。
一族で「円楼」に住み、長老以下教育がしっかりしていることもあり、海外に積極的に出て行って華僑となる者も多く、華僑の三分の一が客家人だといわれています。
世界中に有力者、成功者がたくさんいて、「客家は東洋のユダヤ」とも呼ばれるそうです。

なかでも、宋三姉妹は有名で、映画化もされました。
長女は孔子の末裔と結婚し、次女は同じく客家である孫文と結婚し若くして寡婦となりました。
三女の宋美齢は、ニュース週刊誌「TIME」創始者のヘンリー・ルースに招聘され、アメリカに渡っています。

宋美齢は親中反日のネガティブキャンペーンで大ヒロインに祭り上げられ、一躍有名人になったそうです。内容としては、写真を通したプロパガンダで「上海で日本人がひどいことをした!」というキャンペーンでした。宋美齢は後に、蒋介石の妻となっています。

ちなみに、ヘンリー・ルースは、北京で布教活動に従事していた医師の子供として山東省に生まれました。父親は燕京大学をはじめミッション系大学の設立に貢献したそうです。ヘンリー・ルースは成長してアメリカに戻ると、ニュース週刊誌「TIME」を一九二三(大正十二)年に創刊して成功させ、一九三六(昭和十一)年には写真週刊誌「LIFE」も創刊します。

ニュース週刊誌や写真週刊誌を創刊し軌道に乗せ、大々的に成功させたヘンリー・ルースは、ジャーナリズムを始めた人でもあります。「ジャーナリズム」はもともとの出発点が「プロパガンダ」の道具として始まったのか、と、よく考えれば当然でもあるのですが、今回明確に知りました。

阿羅健一さんの著書『謎解き「南京事件」 東京裁判の証言を検証する』から、ヘンリー・ルースに関わる部分をまとめられているブログを見つけました。参考までに。

   なぜアメリカの宣教師が中華民国の宣伝に関わったのか?
   http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/46253532.html 

フランクリン・ルーズベルト大統領の母方はデラノ家で、アヘンで大変儲けた一族のご出身です。
F・ルーズベルトは、もともと親中反日思想の持ち主で、日本人を劣等人種と呼んでいたといわれます。
アヘンで儲けたといえば、ユダヤ系のサッスーン財閥が有名ですが、当時の上海が中国最大の都市になっていく中、現地上海の成金、浙江(せっこう)財閥の創始者が宋三姉妹の父であるチャーリー宋でした。

アヘンで大儲けしていた当時のサッスーン財閥は、日本が満州国を作ったことで、自分たちの富が脅かされると思い、日本を貶めるプロパガンダに走ったのだそうです。
この辺のことは、コミンテルン(共産主義インターナショナル)や、諜報部門のトップにいた周恩来なども関わっていて、非常にややこしいのですが、調べてみたら個々にいろいろな発見はあると思います。

宋美齢は蒋介石の妻でしたが、アメリカの義勇航空戦力を「フライング・タイガース」として、日中戦争に参加させるのに貢献しました。
フライング・タイガースは、蒋介石軍の空軍顧問でもあったクレア・リー・シェンノート(シュノールト)という米国陸軍大佐が指揮官の任にあたりました。
日米開戦前後のことは、いろいろな画策があったようで、真実が知りたい私にとっては、大変興味深い部分でもありますが、膨大な資料を照らさなければはっきりとしたことはわからず、詳しくは書けません。

後任となったトルーマン大統領は、宋一族を排除したといわれています。
その後宋美齢は、中央通信社において最初の女性ジャーナリストであった陳香梅をかわいがっていたそうです。
フライング・タイガースを持ってきたシェンノートは後妻に陳香梅を迎えています。陳香梅二十三歳シェンノート五十四歳のことでした。

その後、陳香梅(アンナ・チェン・シェンノート)は米台中の外交の中枢に常にいて、ナンバーワンロビイストになったといわれています。
歴代八名の米国大統領たち、民主、共和両党の顧問としてホワイトハウスに出入りし、密接な関係にあった客家人です。
鄧小平は、同じ客家として陳香梅に助けられ、華僑によって外国資本、台湾資本を引き込む大きな力となったそうです。
余談ですが、日本においては陳香梅の叔父が、一九六三年から亡くなるまで、日中友好協会の会長をしていました。

詳しくはとても書けませんが、ユダヤ人と客家人、どちらも他民族とは交わりにくい人たち(ある意味、嫌われている)で、教育水準が高いこと、国境や国家というものには愛着がないという点で似ているというお話でした。

確かにそうかもしれません。
ユダヤ人は国を追われ、さすらう民となって以来、愛すべき「国」がありませんでした。
中国については、そもそも「中国人」といっても中国にはたくさんの民族がいて、今あるのは「国」というよりむしろ「中国共産党政権」とその領地です。
中国共産党の領地といっても、チベット、新疆ウイグル、内モンゴル自治区(南モンゴル)など、力づくで領土とされている他民族の地域が半分近くあります。

  中国の侵略!チベット、ウイグル、モンゴル自治区問題の原因と本当の狙い
   https://www.youtube.com/watch?v=qjuobFd_als  

グローバルに活躍する、というよりも、暗躍するといったほうが良いのではないかと思うほどのすごさですが、こうした人たちの作ってきた現代世界です。

この世界にあって、日本はグローバルを目指すのではなく、日本の独自性を守り育てていくことのほうが重要なのは当前!と私は思っています。

平成二十九年八月二十五日
阿部 幸子
協力 ツチダクミコ