道は阿波より始まる

なぜか入ってしまった古本屋に、釘付けになった本があり、その場を動けなくなった本があれば、まず買っちゃいます。
それが、『ユダの福音書』そんな本が発行されているなんて、疎くて知らなかった。
付録のDVDを見ると、古いコプト語の写本の数奇な運命の残骸は、私の推理を納得させてくれるものでした。

私の心の隅にあったイスカリオテのユダは、お金に目がくらんでイエスを売ったんじゃないという確信ができました。(子供向けのならともかく、聖書の登場人物になる人ならモット人間味があるでしょ)

それとともに記憶が蘇ってきます。
昔、一人旅をして、『光は東方にあり』という教科書にも載っていた山根キクさんの本を触ったことを思い出しました。

石川県羽咋のモーゼの墓を探しに、石川の宝達山に少し登った所で、タクシーの運転手に紹介された方のお宅に上がらせて貰いました。

「二冊あったのだけど、誰かに貸して、一冊行方不明になった」
とかで、その分厚い本を見せてくれたのです。そのおじさんがちょっと向こうへ行った隙に、パラッと真ん中を開いてみました。

ちょうど、イエスをローマ兵に引き渡す役目なのだと書いてあり、ユダの悩める心情を書いてあったのです。

かのボブディランも、「♪きみはやがて悟るだろう イスカリオテのユダには 神が味方していたのだと」と歌っている。
それが、このコプト語の写本では、イエスから耳打ちされ、イエスが死に、復活するためには、イスカリオテのユダのチクリ行動が必要なのだと。
~ユダの福音書には、イスカリオテのユダがどこまでも前向きな性格で、イエスの使徒のお手本のように描かれている。ユダの福音書はイエスの磔刑ではなく、裏切られた場面で終わっている。この福音書が伝えたいのは、模範的な使徒としてのユダの深い洞察力と忠誠心なのだ。ユダはイエスが望んでいた通りのことをしていたのだから。

そしてイエス曰く「だがお前は真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう。
すでにお前の角(後光の誤訳)は立ちあがり お前の憤りは燃えあがり お前の星は明るく輝き お前の心は〔強くなった〕

<中略>

さあ、これでお前にはすべてを語ったことになる。目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」
ユダは目を上げると明るく輝く雲を見つめ、その中へと入っていった。

つまり、ユダは理解度、忠誠度ナンバーワンの弟子だった。裏切り者の汚名をあえてかぶり、罵声を浴びせられ、辛かったろう。後世になって、名誉が回復される仕掛けがあったのだ。
※余談だが、ある会員がイスカリオテのユダを『命の書』に入れると言っていた。私はとっくに救われていると思っていたけど、もしかしたら『終わりの日に栄光に包まれる』とかで、それまで救われていなくて、『命の書』で救われたのかな? なんて思ったのだ。

※またまた余談になるけれど、尊敬するマザーテレサを命の書にいれさせて貰ったけど、ポストにそれが届いたのが、私にも分かったくらい、喜んだ魂が近くに来てくれました。

ユダの福音書の本に、マグダラのマリアの福音書もある事を知った。
ネットで調べると見つかった写本の残存する量は少なく、お高い。まさかの図書館へ行ってみると、蔵書があった。そこだけコピーしたが、要するに、「マグダラのマリアがイエスの言葉に理解が深く、イエスがえこひいきをしたので、周りの弟子たちが嫉妬した」という内容だった。
すると、レオナルド・ダビンチの『最後の晩餐』の壁画のマグダラのマリアとされる構図が映画『ダビンチコード』の解釈通りになる。

 

最近『空海さまと七福神が隠して教えてくれた世界文明の起源』という本を読んだ。
ビックリ仰天の本だった。
空海は、香川県の善通寺で生まれ、佐伯家の養子になった」と聞いたことがあるが、その本中は、「徳島県勝浦町の『星の岩屋』に生まれた」と書いてあった。
「え~っ」だ。
私は、徳島市で生まれ、母の実家である勝浦町で14年間育ったからだ。「星の岩屋」は行ったことはないが、聞いたことはあった。同級生に『星越』なんて素敵な名字の子がいた気がする。

興奮して居てもたってもいられず、その前後のページと表紙のコピーを、勝浦町役場に勤めている従兄に送ったほどだ。

――――――――――――――――――――――― 抜粋より

空海は、774年7月16日 勝浦町の星の岩屋で生まれた。母親がマオと名づけ、1歳7か月の頃、養子に出された。佐伯家が真魚と漢字にした。(魚はイエスキリストの象徴)
父母は秦氏の血統である。現在の暦で、835年4月22日(旧暦3月21日)入定。入定して15日目にそこを抜け出し、36日もの間、生野、神河へと言って、帰って再び元の座に座り、心臓が止まったのは、835年7月31日だった。

享年61歳。身長163㎝。血液型はO型。
きっぱりと断言している。著者の指導霊は、空海らしい。ご本人が伝えたのだから間違いはない。

平安京を造った人々は、国の将来を思った桓武天皇が、空海、最澄らとアークを四国・剣山からおろして、今の兵庫県山中に移し替えた。(最澄は、密教の奥義を空海に尋ねたが、教えて貰えなかったと聞いたことがあるが、『アークの隠し場所』だとしたら腑に落ちた)

その場所を仲間と探し発見するのだが、著者が、パソコンで日本地図を眺めていると、要所とレイラインを手が勝手に線を引き、線を引く。地図上に大きな三角形、十字架や、大きな折り鶴の形の線が出来上がるのだ。

それは神があらかじめ、決められた場所に、陵墓を作ったとしか言いようがない。拝殿のはるか向こうに重要な聖地があり、自然と拝むようになっている。それがこれでもかと沢山ある。疎かにしているから日本の行く末は、大変なことになるよと。
しかも著者は…色々と新事実を断言している。

◎モーゼの墓は、石川県宝達山(残念!)ではなく、実は、丹後半島にある。

◎アークは、空海らによって、剣山からとっくに運び出されている。

◎聖母マリアは、キルギスで9月20日生まれ、(キルギスってどの辺だっけ? と思っていたら、丁度、テレビ番組でタレントがキルギスに行く話だった美しい町だった)お墓は岡山県久米郡岬町角石祖母にある。

◎天皇家とはイエス王家のこと。

◎イエスの血を継いだ卑弥呼は8月31日の生まれ。卑弥呼の妹、倭姫は9月20日の生まれ。卑弥呼姉妹はマリア様の血を色濃く継いでいる。一刻も早くその陵墓に手を合わせて欲しいとのこと。

◎イエス・キリストが十字架にかけられた後、死ぬことなく日本に連れてこられて、剣山で静養された。(クリスト神社もある)

◎淡路島の勾玉型の山がアブラハムの墓。

◎ヤマトタケル=綏靖天皇=イエスの長男、実は高句麗に逃れ政権を支えたようだ。身長180㎝、享年97歳、

◎三重県多気郡に竹神社があるが、竹から生まれたかぐや姫とは、卑弥呼のことである。???

◎敦賀の気比神宮と、竹神社跡地と卑弥呼の墓

◎稲荷=INRI=イエスキリストは初代大王=神武天皇=大国主命=猿田彦

◎千葉県の麻賀多神社(末社の天之日津久神社に東京の会員の方と積さんとでお参りさせてもらった時、コンクリート敷きは嫌だと言っていると積さんおっしゃってました)は、元は『まがたま神社』という名前で、そこから東京の御所、京都御所、熊山遺跡、天神山と一直線に線が引けるとのこと。

◎御嶽山の西に日と月を合わせたような等高線の山があり、著者は日月の山とニックネームをつけた。千葉県の麻賀多神社と、日月の山と、富士山を通る淡路島(勾玉の形)が、大きな三角形を結ぶ。淡路島と琵琶湖が鏡合わせの対になり、その間にガバラの図が描けるって出来すぎだ。

◎福禄寿・寿老人(七福神の頭の長い杖を持っている)=モーゼ

◎恵比寿=タダイ(イエスの従兄弟)磔刑後のイエスを船で運んだ。

◎弁財天=卑弥呼

◎毘沙門天=アメノヒボコ・孫悟空のモデル

◎布袋=トマス・達磨大使

◎イエスの息子=2代綏靖天皇・第五代高句麗・慕本王=ヤマトタケル。享年97歳。

◎イエスが100歳を超え他界し、世の中が乱れて、王族がたくさん殺されたのだ。蓋を意味する地名がたくさんあり、岡山県富楽寺には、意味深な「見ザル、言わザル、聞かザルの像」がある。イエスが死んだのは、海辺の岡山県備前市。二日がかりで為信神社の近くの山中へ運んだ。

◎同じ岡山の和気神社のは、お目メパッチリの「しっかり見る、しっかり聞く、しっかり言う」マリアの墓と、イエスの子ヤマトタケルの墓があると言えよと。(早死したと思われたが、高句麗で活躍し享年97歳の長寿だったらしい。何でそう言えるのかと言うと、著者にヤマトタケルの命の霊がくっついて、親族の霊に出会って、「生きていたのか!」と聞こえ、著者は、自分の意志とは関係なく、号泣したのだそうだ)

◎平安時代796年、日本の天皇は北斗七星を祀ることを禁じたのは、日本でイエス王家のことを知られて復活することを時の政権が恐れたことが原因となっている。(キトラ古墳の天井には、天文図が描かれていて、北斗七星は八つの星になっている)???

『聖書』には、イエスが12歳からバプテスマのヨハネの洗礼の30歳ぐらいまでの期間が空白だ。
インドだ、日本だと噂がある。22歳の時日本に来て、兵庫県の日本海側から上陸し、6年学んだ。そしてキルギス、インド経由で仏教を学び、エルサレムへ戻った。そして33歳で十字架の磔刑…。

しかし、日本には、イエスは日本で100歳越えの長生きしたと言い伝えがある。
ここからが、傑作だ。

弟子たちは、処刑係の兵隊を味方につけて、槍で突く時、急所を外して、「死んだ」と報告した。手首、足首は縄で縛られていたが、瀕死に近い。墓に入れたように装い、安全な所に隠した。弟のイスキリが身代わりになった説もあるが、違う。

死後のイエスに会ったのは、マグダラのマリアたった一人とされる。マグダラのマリアが女優のように「イエスが生き返った」と触れまわれば、人々は信じたのだろう。

◎イエスの父親は、モーゼのDNAを受けついた秦の朱蒙の子、三国記に出てくる『瑠璃明王』とある。

◎瀕死のイエスが船で運ばれ、養生したのは、徳島の剣山。青森ではない。イエスは鶴にも象徴される。鶴の来た山、鶴来山。(もしかして、鶴の一声って、彼の言葉でしょうか?)
そして、35歳で高御座山で播磨の王として、活躍する。高句麗では、大武神王と記録される。
イエスの墓、マリアの墓、モーゼの墓、重要なポイントは、戦国武将も知っていた。

※兵庫県に摩耶山があります、それは釈迦の母親のマヤのことだと積さんから伺ってます。

―――――――――――――――――――――― 以上 上森三郎著より

 

ここから香川宜子さんの『日本からあわストーリーが始まります』のほぼ抜粋より。

◎私たちがよく知っている神話とされる古事記は、正しくは「磯上乃古事記」と読み、日本乃古事記とは書かれていないのは、日本のことだけを示すのではないとのこと。

◎稗田阿礼は記憶力抜群の人で、それまでの伝承口伝を全部文字に書いた。

◎3500年以上も昔、メソポタミア地方のウルに住んでいたアブラハムは、安住の地を求めて旅に出ました。旅の途中で父親が死に、神様に告げると、「カナンへ行け」と言われます。(今のパレスチナのこと)100歳になった時、イサクが生まれ、神が生け贄にしろと命じ、その通りにしようと~中略~イサクの子ヤコブが、天使と相撲を取り、今の相撲につながります。

◎ハッケヨイ ノコッタ ノコッタ=(ヘブライ語訳)撃ってしまえ やっつけろ あなたは敵を打ち破った

◎ヤッホー=(ヘブライ語訳)神よ=Yahoo=(ヘブライ語訳)神

◎一夜にして、エジプト中の長子が死ぬ「過ぎ越し」ユダヤ人の玄関、鴨井に羊の血を塗っておく=日本の朱塗りの鳥居の由来で、トリイは、古代ヘブライ語で「門」という意味です。(トリイ・ヘイデンと言う女流作家がいますが、日本人の苗字みたいと思ってました)

 

◎モーゼは口下手で、モーゼの兄、アロンが民衆の前でお告げをしゃべっていた。そのアロンの子孫が、元駐日イスラエル大使のエリ・エリコフ・コーヘン氏で、格が違うので特別扱いだったそうです。

◎古代ヘブライ語では、東方の日出る国のことを「ミズホラ」約束の地カナンのことを「アシハラ」、と言う。=豊葦原瑞穂国

◎イザナギ=イシュァナギ=古代ヘブライ語では、守りたまえ、ダビデの王統を

◎イザナミ=イシュァナミ=古代ヘブライ語では、守りたまえ、ナミの血筋を(ナミはダビデの祖母の名前)

◎神武天皇=カムヤマトイワレビコノミコト=古代ヘブライ語では神の選民を集めた偉大な開拓者と言う意味です。

◎徳島の著者の近くにある天石門別八倉比賣神社は、卑弥呼を祀ってあります。
『魏志倭人伝』による卑弥呼の塚「卑弥呼以死大作塚径百余歩殉奏者奴碑百余人」にぴったりだそうです。歩いて100歩ぐらいの小ささ。

八倉とは、「いわくら」ヒヒラギで建てたそうです。
(私が小さい時、公民館でクリスマスツリーを伯父が用意したのですが、モミの木ならぬ、イヌマキでとてもがっかりしたことを思い出しました。徳島の昔の人は、イヌマキのことをヒヒラギと言うらしく、ヒイラギがクリスマスの木だと聞いて、ああイヌマキかい?と思ったのでしょう。みかん畑の垣根に使って植えられています)

◎天照大御神と呼ばれた卑弥呼、八倉比賣、

卑弥呼の死後の名前は、大日孁命(おおひるめ)、

古事記では大宜都比賣神という穀物霊で登場します。

天照大御神は平安時代になってから作られた神名で、

卑弥呼というのは、中国の当て字です。

◎国学者の本居宣長は、現地を歩かず、間違いだらけの古事記伝が、

後に「古事記そのものがおかしいのではないか」と、

万葉学者の賀茂真淵も疑問視されていたそうです。
宮内庁も、はっきりさせません。(天皇が退位されたいと話された時の対応とかを見ると、GHQからの差し金の人もいるのではないかと私は、思うのですが)

◎大杉博氏の邪馬台国四国山上説は、NHKで番組を作って、放送間際に取りやめになったそうです。(NHKの職員が、今でも白人が番組をチェックして決めているそうです)

 

<牛耳られている感半端ない>

●韓国文化放送 東京都港区台場2-4-8 18F

●フジテレビジョン 東京都港区台場2-4-8

 

●韓国聯合(カンコクレンゴウ) 東京都港区赤坂5-3-6

●TBSテレビ 東京都港区赤坂5-3-6

 

●大韓毎日 東京都港区港南2-3-13 4F

●東京新聞 東京都港区港南2-3-13

 

●朝鮮日報 東京都千代田区大手町1-7-1 8F

●読売新聞東京本社 東京都千代田区大手町1-7-1

 

●東亜日報 東京都中央区築地5-3-2

●朝日新聞東京本社 東京都中央区築地5-3-2

 

●韓国放送公社 東京都渋谷区神南2-2-1 東館710-C

●NHK放送センター 東京都渋谷区神南2-2-1

 

◎柿本人麻呂も阿波の人です。
彼の歌には、気延山とその古い地名「矢野神山」が随所に見られます。
阿波がなぜ、徳島になったのか? 徳川家康が権威づけの為に、自分の字を入れたかったからしいです。富士山の記述も、ほどほどの高さの阿波富士のことでしょう。

◎剣山には、ユダヤ人のロスチャイルド家の某氏や、歴史学者のアビグドール・シャハン博士も極秘で登ったという噂を聞いたそうです。
(鶴亀山とも書ける。鶴岩と亀岩があって、鶴の部分の岩は折れたらしい)

 

カゴメカゴメの歌

「神器を誰が守るのか、誰が安置されている神器を取り出すのか。それを取り除き、お守りとして差し替えよ。そして誰もいない荒地に水を引き、そこを聖地として支配せよ」古代ヘブライ語の意味。

◎アークを隠した場所がわらべ歌としてずっと語り継がれるように空海が考案し、古代ヘブライ語と日本語をうまく掛け合わせた歌であるとも言われています。

◎四国八十八ヶ所の八十八は、「ヤー(神)を重ねて隠す」アポストロフィだけで、神を表す意味になったのが勾玉の形です。

◎空海さんは、そこを訪れる大勢のお遍路さんにも結界を張らせ、守らせたのです。

◎ユダのヒゼキア王は、レバノン杉の巨木をタルシン船のパーツにして、地中海のツロから、紅海のアカバ湾まで、五百キロの砂漠を、ラクダ八千頭で運びました。フェニキュア人の子孫エブス人(エビス人)から造船技術や航海術をイスラエル人に学ばせ、エブス人やエドム人もともに東を目指しました。

左官や、大工、彫刻、祭壇制作が得意な「アワ人」もツロから雇い、その代わりにイスラエルの小麦、大麦、オリーブ油などをツロの王に贈る外交をしました。
「アワ人」とは、阿波の木工職人や仏壇職人になりました。
(私のいとこは6人いますが、従兄のお嫁さんは、家具製造会社でした)

◎そして、従姉も戎(エビス)家にもお嫁に行きました。モーゼの十戒の戒に一本足りない字です。

◎彼らは、偏西風と黒潮に乗って、一年半余りで、東経三十二度線あたりの徳島に着くと、船蓋神社から陸路へ。スサナウエは、スサノオ、ヘフシバは、ヒノミコ、ヨザブはツァクヤン(月読命)、=イスラエルに戻り、シャル・ヤシュブと名を変え、『イザヤ書』を執筆。

◎彼らの事は、徳島市八多町に住む高齢者が、

「あの人たちは徳島県阿南市の橘湾が黒潮の最終地点だから、そこに漂流してきた渡来人だったという昔からの言い伝えがある」と証言しています。

 

◎宝船や、七福神は(エビスさまだけ日本人で、あとはインド人や、外国人というのを聞いたことがあります)。

実は、イスラエルから新天地を求めてやって来たスファラディ系ユダヤ人で、絵はタルシン船に積まれたアークや金銀財宝が描かれたものだそうです。同族であるイエス・キリストは黒髪、浅黒い顔らしい。母マリアはキルギス人で、美人だから、イエスもハンサムだったことでしょう。

◎徳島の山間部の祖谷(イヤ)=神よ!という古代ヘブライ語です。

◎♪九里きて、九里行って、九里戻る。~エビス・ダイコク、積みや降ろした。伊勢のお宝、積みや降ろした。三つの宝は、庭にある。祖谷の空から、御龍車が三つ降りる。はしょりましたが、そんな歌があるそうです。

◎天皇家の大嘗祭で、使われる麻は、徳島の三木家から献上するのは有名ですよね。GHQに禁止されている麻の栽培は有名な話です。

◎京都の祇園祭りのギオンは、シオンから来ているとか。

縄文時代末期の日本の土着民は、色んな技術を持った頭脳&技術集団が八百万の神と見えたのでしょうだそうです。

天狗に見えた鼻の高い人物も、トーラーの巻物は、虎の巻。頭巾に白装束という山伏は、ユダヤ教の祭祀です。

 

山の事を「ソラ」と言い、「海」のことを「イズモ」と言い。

阿波の地名をそっくりそのまま、淡路島や紀伊半島にあてがい、山陰や、長野県の諏訪まで飛び火して、距離的に移動不可能と思われたので、神話は、おとぎ話のようになったのです。

 

♪君が代=古代ヘブライ語では、

「立ちあがれ 神を讃えよ 神の選民である我々は人類を救う残された民として喜べ。やがて人類に救いが訪れ、神の予言は成就した。全地あまねく述べ伝えよ」の意味になります。(決して学校の先生が、天皇陛下の為には歌わんぞと意地を張っている場合ではないのです)

阿波風土記は、小杉杉邨が阿波古風土記考証を出版した際に、阿波風土記もろとも抹消されてしまいました。

明治政府の基礎固めのためらしいのですが、氏は幽閉された後、復帰するのですが、その後も各地に足を運んで、自分の目で確かめ、『微古雑抄』を編纂しました。その集大成こそが『道は阿波より始まる』です。

 

◎博多、長崎、五島列島の漁港を開いたのはすべて阿波海人で、エンジンの船ができる前までは、津々浦々まで航路権を持っていたそうです。九州の人では、できないとなると阿波漁民が大挙して手漕ぎで朝鮮半島まで出かけたと古老の漁民が言っていたそうです。

◎イザナギが、死んだイザナミを黄泉の国まで迎えに行く話で、醜女(実は、形相の妻)に追いかけられて、カズラを投げ、葡萄が実り、追手がそれを食べ、櫛を投げ、タケノコが生えた。黄泉比良坂の坂本まで追ってきた。桃の実を投げ、最後に千人で引く程の巨大な岩で道を塞いだ。
=高越山をひた走り、山葡萄の実の『生実』、『雄中面(オナカズ)』追手が食べる『喰田』、 『三杉峠』には巨石があるそうです。『相生』、『百合』、『桃ノ木谷』、『桃付』と順番通りに地名があるそうです。
◎火の神さまは出てきませんが。おまけに、『四方見坂トンネル』、『ヨミ坂』、『ユヤの坂』、ちゃんとあります。

◎イザナミは4人の子供をもうけ、長子が大山祇。みんな実在の徳島県人です。

◎ロスチャイルド家は、アメリカの三倍くらいの資産を持ち、八百兆円で、四国全土を買いたいと政府に打診したらしいとか。

◎アメリカ軍が、八体の女性ミイラを、副葬品とともに持って帰ったとか。日本人は、入れないのにね。

◎卑弥呼は、スサノオと結婚し、多くの子をもうけます。が、浮気をされ、怒った卑弥呼を捨てて、櫛稲田比賣(鮎喰川付近の豪族の娘)と同居します。居は、徳島県内の神山町。

くしなだとは、曲がりくねるという意味で、ヤマタノオロチとは、氾濫する川で、スサノオは、治水工事をした話らしい。

◎『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を』古代ヘブライ語で、=「やがて救世主が現れ、群衆の先頭に立って照らし導く」の意味だそうです。

◎私が出雲に旅をした時、出雲大社の後ろの正面には、スサノオが祀ってありましたし。
どうも、天照大御神よりも、スサノオの方が格上に祀られていました。宝物殿に、板に十二単を着た、櫛稲田比賣とスサノオが仲良く描かれていて、右上の隅に天照大神が描かれていました。つまり、卑弥呼は、ぞんざいに扱われています。

◎大国主は二人の子です。大国主(父に似て)も沢山の女性と交わり、「ニニギ命」とエビスさん=「事代主命」を授かります。ニニギ命と木花咲比賣が結婚して、山幸彦が生まれ、その山幸彦が豊玉比賣(イザナギとイザナミの子のわだつみの神の子)と結婚して、二人目の子が神武天皇になるとあります。ニニギ命は徳島では「しらひとはん」とあだ名があり、木花咲比賣は「おはなはん」だそうです。

◎ヤマトタケルもクマソタケルも、ヤタガラスも八多町の「烏」「古烏」という人名。みんな、徳島県の人。

◎『建布都神社』(タケフツの神剣の)は、徳島のここ一社しかありません。

◎いつしか、大国主系とホアカリ軍が対立して戦争になり、卑弥呼は追われて、矢野に逃げて助けを求めますが、農民は関わりたくないので、スルー。とうとう殺されてしまいます。

「後で、分かった稲の作り方を教えてくれた元比賣さん、その人やった」矢野の人たちは、反省して、重い編み笠を田んぼの作業の時に、被るような習慣になったとか。「嫁に来て知った」と、107歳の老婆から聞いた話だそうです。

◎日本人の数字の古い読み方で、「ひい、ふう、みい、よお、~」=ヘブライ語では、「誰かそのうるわしい女神を出すのやら、誘いにいかなる言葉をかけるやら」という意味だそうです。この歌で踊ったのが、阿波踊りの原型だとか。

◎国生みの話で、イザナギ、イザナミの夫婦になる時の「あなにやし えをとこを」と発した言葉は、=古代ヘブライ語では、「結婚しましょう」の意味。「あら、いい男」と女性が出しゃばったから国生みに失敗したなんて軽すぎます。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=5&v=xWEWpd6hUG8

これぞ、ホンモノ!天岩戸伝説の現場を発見‼︎ 天岩戸神社が祖谷の山奥に

※神武天皇の記述では、差はあります。

※つまり、これらの神社は、偉大な日本の礎を作った神ってる実在の人物へのオマージュなのだ。もちろん、そこは聖域であり、本物の神霊になったし、ヤハウエのように、初めから神霊もある。

私が上京して、絵本の学校へ通った時、古事記の話を真剣に私が言って、先生が「あれは、神話や」と叫び、私が尚もいや何か重大な後世に残すメッセージか何かに違いないと心で思って、(口に出せば良かったかな)先生は、頭の弱い子と憐れむような目で見つめた。

やっぱりそうだったのだ。卑弥呼は、日本が隠した事実を、中国からの文献で逆輸入したわけだ。

 

 

せめて、香川宜子さんの『日本からあわストーリーが始まります』の本が全国の図書館に並びちゃんと評価さえしてくれば、日本人が誇りを取り戻せるかも知れない。

子どもたちは、幸いインターネットを自在に扱える世代であるから、リアル図書館戦争になることもない。

※最後に、イスカリオテのユダの事を思い出した。
彼はイエスが助かることを知らずに自殺したのだ。もしかしたら、その自殺行為が一番の罪の重さなのでは?と思いに至った。

 

 「道は阿波より始まる」より

 

◎中国人の倭国の記述によると、元小さい国であった日本国が、唐の時代には大きい日本国になっている。古えに倭奴国として、後漢に入朝した面土国王の国も同じ国だ。これも記されています。空海の時代の日本国の王都ヤマトは面積の広い、大きい土地へ移っていたということです。

 

一、千年前、和朝廷が定めた延喜式神名帳(朝廷が幣を捧げる延喜式内神社)の中で、皇祖大靈命、皇祖の宗豊玉姫命、古代倭国家建設当時の主要天皇及び、奈良・京都に住む主要皇・豪族の祖先が、すべて延喜式内神社として)阿波一国のみに祭られており、天皇家及び倭国家発祥の地が阿波であることを如実に証明していること。

一、古代邪馬壹(倭)の国であったことを裏付ける倭の国魂社が奈良大倭には存在せず、阿波国のみに延喜式神社・倭大国魂神社として現存し、阿波が古代倭の国であったことを厳然と示しておること。

一、践祚大嘗祭(天皇の即位儀式)で、皇祖に献られる最も重要麁布(あらたえ)が、代々阿波から調進され、また、即位する天皇が皇祖に献り、ともに食聞、皇祖の霊威を体得されるための三種の「御膳」は、「天都御膳」が阿波国忌部が貢進する高天原の産物の山幸(木綿、乾羊蹄、橘子など)であり、「長乃御膳」が、阿波の旧国名「長」から名付けられ、阿波国那賀郡潜女が貢進する海幸(鮑、細螺等)である。「遠つ御膳」とは、遠い第三国を意味しており、淡路、紀伊の貢進物がこれにあたり、その他の国は一切、「御膳」と献ることはゆるされないこと。倭朝廷を築いた天皇家のルーツが阿波であったことが、現在も古式床しく連綿と受け継がれている天皇家の皇室大祭によって実証されていることなど。

 

◎倭の時代、明日香地方は、老いた人喰い狼が出没し、真神ヶ原と呼ばれていたそうです。

◎現存する我が国最古の伊太乃(いたの)郡田上郷戸籍断簡には、阿波に成年、壮年の男子がいないのを不思議がり、「税逃れか?」 と学者がのたまっています。

◎万葉学者の折口(おりくち)信夫(しのぶ)氏は、大倭(おおやまと)、真神原生まれの人で、大倭のルーツをさがしに阿波に来るうちに、出雲国のルーツも解明したのです。「日本文学発祥の序説で、山陰、出雲地方は阿波人が開拓し、文化をひろめた」ことを明言しています。

◎伊勢、大坂峠、奈良街道、出雲、諏訪、伊豆(いず)毛(も)、難波(なにわ)、隈(くま)野(の)、京都(きょうつ)みんな阿波の小さな集落の地名から、派生し、伝播して行ったので、分かりにくくなったのです。

◎国学者の本居宣長は、現地を調査しなかった人なので、辻褄のあわない神話と思ったのでしょう。国学の徳川の水戸光圀は、そのまま採用したのです。

 

◎伊邪奈岐神が禊祓をした所は橘湾の後戸(オド)で那賀川の河口の上洗(地名)下洗(地名)辺りで眼を洗った時に、三貴人と出会うように記されているのは、伊邪那岐伊邪那美命の両神を言霊で神名を造り千年に及ぶ「倭奈国」(長の国)と一線を引き実際に血の流れを受け継ぐ皇統の祖天照大御神の御宇とはっきり区別をつける為の物語を作ったと思われます。

◎卑弥呼は当然、中国の当て字、亡くなった後の神名は、天照大御神。

◎大日孁(おおひるめ)命 、日(ひの)神子(みこ)命、同じ人物です。徳島県の天石別八倉比売(あめのいわとわけやくらひめ)神社(じんじゃ)に祀られています。

◎日神子の神陵ですが、聖徳太子(母君が幸巡中の阿戸の疋田町馬宿川の川口で生まれたと伝承)が、絶対的なタブーである元の神陵(神山町神領の神(こう)根(ね)山か?)を開けて移動し、今は気延山にあります。それだけでなく、元々阿波にあった神功皇后、応神天皇、仁徳天皇の殯宮が、海を渡って造営されて、阿波神の祟りか、聖徳太子の家族は皆殺しにされています。

(私の従兄も、寺などない、先祖代々の山奥の墓を便利な市街地に移動して、若死しています)

◎須佐能男命の八俣の大蛇の伝説の川は、現在の鮎喰川。奇志稲名田比売との新居もこの上流。

◎武内宿禰は、阿波では高良明神と呼ばれています。

◎蘇我の石川宿禰は石井町曽我山の北加茂野の石川神社で各れに祭祀されています。

◎淡海の大津宮は滋賀ではなく、鳴門市大津町

◎小碓命(おうす)が倭建命と称されるようになったかの物語ですが、これも勿論、阿波国内での出来事ゆえに他国には、なんの伝承も残されていないのです。

◎熊曽の建兄弟ですが、日本書記では、川上乃建と記された如く、吉野川上流の勇猛な男と言う意味です。

◎柿本人麻呂も阿波の海人族です。

◎白鳥町に倭建の白鳥宮があり、東方の那賀郡倭建の后岐比建比賣が祀られる式内建比賣宮がある。倭建は、色白の美男子、妻は、色黒の海人族でした。往古より神名で呼ばれずに「古烏大明神」土佐国の真山風土記にも「古烏」。色黒の海人族と記されています。

◎橘町豊浜に鎮座する「海正八幡宮」は、弟橘比売の海鎮めの故事にならい海上安全を祈る海人族の八幡宮です。

◎この天皇品陀真若王(ホムダ)は、天火明命(ホアカリ)、天の香具山命の直系の氏族でこの氏族の別れであることを示している程の実力者なのです。

◎山の辺の道は、吉野川上流まで延々と点在しのこされていますが、天の元山の山麓を吉野川の流れに沿って登ることの街道が古えにいう山の辺の道、河口より舟で上がる場合は川島の泊で休み、上流加茂宮村(美芳野宮)まで。河口の以乃津から。

◎磯乃上乃古事記(いそのかみのふることふみ)で述べられた帝紀が、推古朝で終わっています。

◎都を大倭へ移遷したのは、文武天皇の時代です。伊豆を震源とした大地震で、大津波に襲われたそうです。

◎藩政時代の末期でさえ、「日本の元つ国は阿波である」と主張した阿波国学者池辺眞榛も幽閉されたまま死亡しています。

◎「道は阿波よりはじまる」は昭和五十七年八月、二十余年現地を歩き、調べあげた岩利大閑氏により世に出ました。

◎倭は言挙げせぬ国など称され、発言を封じられていた阿波国です。

 

◎昔の人はな、「阿波で千年、京で千年」というんでよ。

◎私は、残念ながら聞いたことはありませんでした。