光文書

(ヒカリモンジョ)

Vol.800+30+74

神無月の季節の終わり

出雲に日本中の神々が集う旧暦の十月を、日本人は神無月と呼んできました。出雲地方だけは、神有月なのですが、どうやら、これらの情報にも、最後の最後に出る日本の仕組みの秘密が含まれているらしいので、今回はその報告です。
日本神界に伝えられてきた情報の中にあるのは、一神教の時代を地球が生み出すために、それまで、世界中にいた神々の多くは、日本列島に移ってきたというものがあります。
一神教の時代に、その一神教の文明圏に、神がいたかというと、いたともいえるし、いないともいえるのです。なぜなら、一神教の神たるもの、それに反するものの、精神的なエネルギーの総量を、人間のたましいのもととして、地上に降ろしてしまうというのが、この一神教の時代の地球というもののテーマだったからです。
この神界のプログラムのミニチュアが、日本列島での国譲り神話ということになります。そして、この一神教の神の物語が終るタイミングで、この情報開示があるということは、この先の地球、または人間の世界では、神がいない季節が終わり、それぞれの地域の神が戻った新しい時代がはじまるということの告知でもあるということです。
神や神々は、人間のように死ぬものではありません。
一神教の物語が終わるまで、日本列島の中で、さまざまな名で、活動していたものや、深い領域で、目覚める日を待っていたものなど、この地球上のあらゆる神格は、この日を待っていたのです。
この地球から神が消えていた期間に、形成されたのが現行の文明なので、そこには唯物論が、最大の影響力を持つ時空が広がっています。
現在の地球の物質は、この唯物論による物質宇宙の特性を示しているので、現行の科学では、石や岩に意識体が宿るなどということを説明することはできません。ところが、唯物論の時代を人間が卒業した時空では、無機物であるものにも、意識エネルギーは宿ることができるという知識が人知に入ってきます。
現在の世界で進行しているのは、このどんでん返しなのです。

日本の最後の一厘の仕組みとは、一厘、つまり千分の一ぐらいの比率で、人間の中から、その次の時空に移行するものが出るという予告でもあります。
人間は、神の子です。一神教の世界では、神の子は、イエスだけだったりしますが、それはキリスト教神学が決めた人間の解釈であり、日本の精神界の伝達では、人間は光と闇の合体物である神のワケミタマを与えられた存在にほかなりません。
ところが、残念なことに、一神教の神、聖書の神のワケミタマでは、イエスのような運命が、待っています。これを解決するために、日本列島には、それらの情報が置かれていました。
つまり、記紀の神話がテーマとしているのは、この一神教の物語の舞台としての日本だったのです。そして、この物語が日本で読み終えられた後に、世界も、一神教の物語であったことからの解放がなされるというのも契約の一部だということです。
そのことが、出雲の秘密で、出雲大社の社殿の天井には、この世を作ったとされる、別天津神(コトアマツカミ)が祀られています。オオクニヌシは、この世を作った神々の何かだったということです。これが表に出ると、アマテラスを祖とするヤマトのクニの役割も終ったということになります。たぶん、それが、この二千二十四年に入って、私のもとに届いている、「アメノミナカヌシ天皇」という言葉のもとにある情報です。
世界は、一神教の時代を卒業して、古き神々や宇宙的存在とも、コンタクト可能なニュータイプの人間のものとなっていくはずです。そして、それらの人間のたましいのもととなるのは、神や神々であり、それらが、この物質宇宙のテーマを学び終えて、次に進む、ステージとしての地球が、次の時代の姿です。
その時代の入口が、いま開きつつあります。
世界が神有月の時代にある日が近づいているのです。

神紀四年(二千二十四年)三月七日 積哲夫 記