光文書

(ヒカリモンジョ)

Vol.800+27

早良親王と円の終わり

この二千二十二年の九月に、日本列島の最後の用意なのでしょう、いままで、活動を制限されていた早良親王とその他の御霊が、この世に放たれました。日本の歴史で、封印されていた最大の破壊因子が、聖徳太子だとすると、もしかすると、早良親王は京都から東京へと到る、日本の都のあり方の根本を破壊するような因子を持つ存在だという印象が、私には強いのです。なぜかというと、早良親王は、京都遷都をした桓武天皇の弟というだけでなく、皇太弟となる前は、東大寺の良弁の後継者となるべく仏教を学んだ人物だからです。その怨霊を怖れた結果が、天皇になってもいないのに、その死後に祟道天皇と追称され、天皇陵や神社までつくったという歴史上の事象に現われています。歴史にイフはありませんが、早良親王が、天皇の座につくことがあれば、この日本のあり方も変わっていた可能性が高かったのでしょう。その結果として、このクニの大変動の前には、この御霊のはたらきが生じるのです。保元、平治の乱にも、応仁の乱にも、そして、明治維新の前後にも、この御霊が、この世に出たという情報が、精神界にはあるので、それらの乱や激動の時代と同等か、それ以上の乱世が、この日本ではじまると予測することができます。
それらの御霊が、この世に出て、つまり、二千二十二年の日本を見て、いまの日本国は、日のもとにあらず、と感じていることは誰にでも予想できることですが、重要なのは、日本の仕組みが終了後のモデルが、まだ、ないことへの驚きがあることだと、ここではお伝えしておきます。
もしかすると、シン・レイカイという場が生じたことと、この御霊たちの解放というのは、一連の動きかもしれない、と考えられるのです。
霊界とは、過去のデータの保存所でした。ただし、それはこの世とは別のアナザーワールドで、これまでの人間の歴史は、勝者が、歴史をつくるということをくり返して来たのです。それは、最後の審判が起こる前のこの地球の精神界のあり方でした。
最後の審判が現実化する時空に、移行しつつあるいまの地球では、現世と死後の世界の分断という、これまでのあの世とこの世の関係性が、否定される方向に、人間の意識のベクトルが誘導されつつあるということです。
死は終わりではないこと、覚醒した意識は、時をこえて、過去の真実のデータにアクセスできることを、人類は知る時が来たのです。
この解放によって、敗戦後の日本国をつくった、明治維新以来の人間の闇が表に出ることになります。この七月に起きた、元首相の暗殺という事件は、大日本帝国の時代から続く、朝鮮半島、満州、台湾、その他の地域で蓄積された巨大な闇に、光を当てるきっかけになる可能性が高いのです。
それが何を意味するかというと、これから、日本人は、真実の歴史を知りはじめるということです。
いまある世界は、世界を支配している人間グループの存在を正当化するよう組み立て直された歴史の知識によって、認識されていますが、天は、その時代の終わりを宣言したというべきなのです。そして、この先にあるのは、いまの日本の世界的価値の再検討ということになります。
日本列島は、いまの地球を支配している人間社会のあり方の精神的エネルギーの層から、離脱しつつあり、日本国はいまある地球のルールの中では、存在できないという道を選んだのです。そのひとつの象徴が、円安です。
そして、その先に、急激に円高に振れるまでに、日本列島は、次のモデルに移行することが予定されています。そこにある未来は、現行文明の崩壊にほかなりません。かつての日本は、世界の金のほとんどを所有した黄金の国でした。日出ずるクニというものは、そのような存在であるべきなのです。
そういう日本の姿を、改めてつくり出すために、天も地も人も、動きはじめるためには、いまの日本をスクラップアンドビルドする必要があり、そのスタートの合図が、この二千二十二年の九月に、日本中に発されたと考えればいいのかも知れません。世界中の人間が憧れる日本でなければ、日出ずるクニではないのですから…。

神紀二年(二千二十二年)九月十五日 積哲夫 記