Vol.800+30+84

選民ではなく選択民

今回も、「選民ではなく選択民」というタイトルで、光文書を出せ、との指示が降りているので、宗教の時代が終ったことの意味をお伝えしておくことにします。
一神教の聖書というもののテーマのひとつが、神から選ばれた民、というある民族の思考パターンです。この世には、神から選ばれた民とそうではない民、つまり民族がいるということを、どう考えるかですが、簡単にいってしまうと、この世のすべての物を、神の選民である自分たちが所有し、支配することを、神が許し、それを希望していると信じる根拠を与える言葉ともいえるでしょう。
旧約聖書の神は、自らを妬むものであると宣言する存在です。地球上に自分の民を持ったことで、何が起きたのかというと、自分の民が自分を裏切り続けるという、うんざりするような運命です。その結果、その選ばれた民には神罰というべき運命が待っていました。そういうストーリーが聖書にはあるのです。
神を裏切ると、その神は祟り神として、自分の民すら罰する、あるいは試練を与えるという訳です。
なぜ、そうなのかというと、その旧約の神は、人間のたましいが半分は地の神に由来することを知らなかったからです。
そうです。天神地祇という言葉は、天の神々と地の神々という存在を示すだけの言葉ではなく、人間のたましいのあり方も教えているのです。

この人間のたましいの構造を知らない神の物語の舞台になったのが、この地球という所で、一神教の神のエネルギーがすべて地上に降ろされるまでに、約二千年の時間を要したという話を、精神学はお伝えしています。
そして、それが終わり、宗教の時代も終わる、そういう情報を人間の世に伝達する役目を持っていたのが、この光文書というものでした。その宗教の時代が終わったことで、選民という概念が消滅することになります。
ここまでの人類の不幸の歴史のもとは、選民思考というものにあったというのが論理的帰結というものです。
選民思考の役割の終わりは、最後の審判の現実化によって、すでに達成されたといっておきます。
ここから先の人間の神的テーマは、自ら選択して人間に降りた神の意志というものを自覚して人生に向き合う、選択民というものに変わるのです。
神に選ばれた、選民では、神を超えることはできません。
自らの意志で人間界に降りた神の子たちが覚醒し、次の世界を再創造するというプログラムが、日本の最後の一厘の正体です。
最後の一厘とは、千人に一人ということです。いまの日本には一億二千万人の国民がいますが、その千分の一です。
その数、わずか十二万人です。私が知らされているのは、すでにその数の日本人が、神や神々のワケミタマの中でも特別な能力を授けられたミコトモチとして配されているということです。
そのミコトモチの潜在能力を発掘するための学びが精神学というもので、その学びの体系は、すでに三十年以上の歩みの中でほぼ完成しています。
日本列島で、改新の季節がはじまりましたが、いつもお伝えしているように、明治維新を動かした人材は、人口三千万人の当時、わずか三千人といわれています。
一億二千万人の現在の日本を改新するために動く、人間は精神界からの伝達では、わずか一万人でいいとされているのです。
その一万人の一人に自分はなるのだという予感を持つ人間が、正しく精神学をマスターするためのカリキュラムも、整いつつあります。
改新の志士たらんとするものは、覚悟を決める時が近づいているということです。

神紀四年(二千二十四年)五月十六日 積哲夫 記

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