Vol.800+30+30

崇神、垂仁、景行+α

この二千二十三年の四月末日に、波動刀の報告と、復活したとされる何かの確認のために、私は、奈良の石上神宮を訪れ、山の辺の道に沿って点在する、いくつかの古墳が、何らかの情報発信をしていることを確認してきました。
その中で重要なのは、訪れた順に記すと、衾田陵として山の辺の道には表示されている西殿塚古墳、次に、崇神天皇陵とされる行燈山古墳、その次は景行天皇陵とされる渋谷向山古墳、そして、最後は、第七代孝霊天皇の皇女のヤマトトトヒモモソヒメの陵とされている箸墓古墳で、それらの古墳では、拝所であたかも神社のように、反応があったのです。
これは何を意味するのでしょうか。私の理解では、これによって、神武ではない、もうひとりのハツクニシラススメラミコトの第十代崇神天皇からの王朝と、伊勢神宮の成立に関連する情報が、精神界から人間界に伝達されることになるはずです。
明治維新の前に、天理教の祖である中山ミキが、この地から出たのには、こうした背景があったのです。
これから、日本列島は、明治の次の役割を担うための、歴史情報の再編のための働きかけを、いまを生きている日本人のために発信することになります。それによって、明治維新によって、人間が作り変えた歴史と、敗戦後の日本で、無神論によって作り変えられた歴史が補正されるのです。
具体的には、私には何も知らされていませんが、本当の日本史は、学校で教えられているようなものではないことが、これから開示されるはずです。
今回、私がコンタクトできた意識体は、頭の中に届いた波動の印象では、第十代崇神天皇、第十一代垂仁天皇、第十二代景行天皇と、女性らしき存在で、それが、ヤマトトトヒモモソヒメか、垂仁天皇の皇女のヤマトヒメか、歴史好きの日本人の期待するヒミコやトヨなのかは判別できませんでした。たぶん、その原因は、つい最近の復活で、自分が現代において、どのように呼ばれているかも知らぬ、ためだと考えられます。つまり、神界に座を持つものでは、なかったということです。
纏向遺跡と呼ばれるところが、都であった時代の日本列島の記憶を保存していた意識エネルギー場の扉が開いて、それらの意識体は、その後の日本史を知ることになるのでしょう。それらの情報の交通整理が終ったら、しかるべき役割の人間が、それらの精神界の情報を人間界に移設するためのハタラキをすることになるはずです。
こうした事象が、波動刀が世に出る前のタイミングで進行していることは、ここから先に開示されるのが、藤原氏が歴史を作る前、さらには、聖徳太子が出て仏教と、キリスト教の情報が、このクニに移される前の情報開示なのです。
この日本史の、過去に向かうエネルギーは、日本神話が形成される前の精神界のデータに接続することになります。
その方向の先にあるのは、この先の地球のことになります。ここで、聖書の時代を終らせたエネルギーが、最後の審判の現実化のために、ヨーロッパに生まれアメリカに移され、世界を支配した金融と中央銀行制度というものが、それ自身の強欲のために、自壊しつつあるという事象を作り出している一方で、その先の時代のために、配置しておいたものを動かしているというひとつの例を情報開示しておくことにします。それは、インドで生まれた仏教が、日本列島に保存され、日本人の仏教指導者によって、いまのインドで一億人を超える仏教徒が生まれたこととリンクしています。日本列島は、地球の精神的エネルギーの保存所であり、図書館や博物館のようなものだということは、すでにお伝えした通りですが、その情報伝達ルートを逆走して、これからは、日本文明が世界に出るという仕組みが本格的に発動するのです。
この日本の役割の地球化と、歴史の闇に光が当たることの先に、次の時代の入口が見えるはずなのです。そのために、崇神、垂仁、景行という三代の天皇が復活したのです。そこに日本と日本人の秘密があります。

神紀三年(二千二十三年)五月四日 積哲夫 記