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地霊

地霊という言葉があります。人間の霊と同じように、地の霊です。日本では、これまで、天神地祇という言葉で、一般には、地の神という扱いで、氏神の神社や各地の祠などに祀られていた、または封印されていたと考えられますが、その地霊が天の神との契約の終了で、改めて、地の主宰者として地上に出て、活動を開始しているという事象が起きています。今回は、その報告と同時に、この二千二十三年から、どんな時代がはじまるかの解説です。
この地霊ですが、神道が成立する前からの土地の霊なので、いまの神道のノリトでは反応しないことを、あらかじめ、お伝えしておきます。さらに重要なことは、日本中の地霊が怒りの中で覚醒しているということです。それを、農地のレベルでいうと、化学肥料と農薬の使用によって、土地そのものを人間は殺そうとしているということへの怒りです。さらには、これまでは、封印または、沈黙させられていたため、土地の情報通信の機能を、人間に勝手に使われてきた、その結果としての地球全体の情報交流能力の低下は、危機レベルに達していることへの警告もあるようです。
そのひとつの例として、生駒山という山の神格が、日本列島でのこの土地の情報通信の要の位置にあり、その山が、茨城県にある日本全体の危機の時に、短波通信のために、いまも保持されている土地の地霊とのコンタクトを求めて、人間側に、対処するよう要請したということがあります。
関西の人間なら、よく知っているように、生駒山の山頂付近には、各テレビ局の電波塔が林立しています。一方で、茨城県の電波塔施設は、もともと、KDDIが、保有していた国際通信施設の一部で、使用しなくなった土地に、大問題が表に出た日野自動車の工場が移転してきたという経緯があります。それらのことと、その地域の地霊の怒りが無関係だとは、考えられません。また、別な地域では、農地の地霊と、その地域の祠などに祀られているものたちが連携して、その土地の問題を人間世界で表面化させるなどの事象も発生しています。
日本人には、悪行をなすと、天と地から罰を受けるという、共通の意識が伝えられてきましたが、この二千二十三年からは、日本列島のアメとツチから人間の行ないについての、天罰や地罰が本格化すると考えられるのです。
そして、この二千二十三年の一月二十二日には、この地球における魚座の時代が完全に終わりました。これにより、聖書の時代、一神教の時代も終わり、一神教由来の現行科学の時代も終わります。これに合せるかのように、記紀の神話にはないけれども、古史古伝などでは伝えられてきた、日高見国や富士王朝の神話的データも、人間界に出るようになるという情報もあります。
天智と天武と持統という三人の天皇と中臣鎌足や藤原不比等という藤原氏によって、ひとつの王朝の物語とされた日本神話の世界にも、ここから先には、真実の歴史の光が射すことになります。いまの日本が、光を失っているのは、その土地に住む人間のたましいや意識に光が失われたからに過ぎないのです。
この日本列島の地霊の覚醒に呼応するような日本人の意識は、まず、植物霊というもの、別ないい方をすると、植物の精霊と交流することで再生することになっています。そのために、精神学協会には、波動(意識)農法というものが授けられています。精神学を学んだ人間は、波動を知ることで、植物にも意識があり、土地にも固有の意識があることを知ることになります。植物や土地が、人間に教えてくれる情報に従えば、日本の大地は、無肥料、無農薬で、食べ物を人間に提供してくれることになっています。
それもまた契約なのです。日本列島の土地が、その情報を、地球全体に伝達するために、生駒山は、新しいネットワークをつくろうとしています。それに協力するテクノロジーを、日本人がつくることができれば、日本の産業は復活するのです。

神紀三年(二千二十三年)二月二日 積哲夫 記