Vol.800+30+11

聖徳太子とファティマの預言

聖徳太子は、日本列島で、聖書の約束であったイエスの再臨を現実化するために、そのたましいの記憶の一部を持って生まれた存在だったというのが、私の知るところで、その聖徳太子の意識体が、封印を解かれて復活したのは、一年前のことでした。
日本の神々は、聖書の神の物語を完成させるステージとして、この日本列島を使うことを承認し、聖徳太子という人間がこの世に出たのですが、その内部にこの世の終末の情報、または、それを実行するエネルギーを宿していたために、日本の神々は、仏教の協力も得て、その時まで、太子のみたまを封印したのです。
この神と神々の日本列島を舞台にしたプログラムが、今日まで、持続してきたことの証しが、日本のファティマとして知られる、秋田県の修道院に千九百七十三年に現われた、聖母マリアの三つの預言といわれるものなのです。その内容は、千九百十七年にスペインで起きたファティマの預言と同じものとされています。
その聖母マリアのメッセージを受けた修道女のところに、三十数年ぶりにコンタクトがあり、その修道女が、その時は近いと感じた、と語ったことが、二千十九年に報告されています。
聖徳太子は、終末の予告をしていました。そして、ファティマの預言は、神の怒りが地上に出現することへの警告にほかなりません。
この二千二十二年の年末に向けて、法隆寺の夢殿にいて、中宮寺にいるその母と対面していた聖徳太子の意識体が、自分が導入した仏教の特に、法華経の力の人間世界への影響力が、違う方向に作用していることに、危機感を持って、精神的なエネルギーの場で、活動をはじめました。
精神学の立場では、法華経はもともと聖書の福音書に由来するものとされています。いまの日本で問題になっている半島に生まれたキリスト教的宗教の立場は、日本人を永遠の奉仕者にしようとするものですが、仏教の立場でも、その他の新興宗教の立場でも、同様の価値観を持つものが多いのも事実なのです。そして、それもまた用意です。
ファティマの預言を知る人間にとっては、教会の中にも、アンチ・キリストが大きな勢力を持ち、やがて、父なる神の怒りが現実化する日が来ることになっています。つまり、宗教界の中でも、光と闇、神と悪魔の勢力争いが、進行し、最後の審判の日が来るということです。
その用意が整いつつあるのが、この二千二十二年の末ということになります。
いまの日本の精神界で進行中のことは、日本の政治状況を反映しているだけではなく、ロシアとウクライナ、チャイナとアメリカなど、いまの世界の動きに、これから大きく影響します。
そして、政治的混乱期において、安定した経済運営などは困難になるということで、人間の生活にも大きなダメージが及ぶことになります。
最悪のストーリーは、予告されているように、生き残ったものが死者を妬むような時代の到来ですが、この世界が、そうならないようにする鍵は、この日本列島にあることを、多くの日本人は気付くべきなのです。
すでに、過去三十年以上の間、表向きは無能な政治家のために、日本人の生活は向上せず、その分の成長の因子を、近隣のガイコクに提供することで、それらの地域の経済成長を促進するという、まさに、どこかのカルト指導者が主張した奉仕者として日本及び日本人は、世界に位置付けられてきたのです。
この問題は、聖書の約束を日本を舞台にして終わらせるまでの運命ともいうべきものだったのですが、それは、二千二十二年に完全に終了したのです。そのことを日本人が知ることで、キリスト教文明に支配されたひとつの時代が終わり、約束された時代の扉が開くことになります。
この年末、日本が聖書の最終的な舞台であったことを学び直しつつ、クリスマスを過ごすというのもいいのではないでしょうか。信仰ある人間なら、ファティマの預言の現実化の姿をかいま見ることができるかもしれません。

神紀二年(二千二十二年)十二月二十二日 積哲夫 記