Vol.800+1

神を超えて、次へ

この二千二十二年三月五日に、聖書の言葉の神が、戦うべき身体を得て、人間の世に隠れていた、暗黒の王たる存在との最後の戦いに勝利して、最後の審判の業火の中に去られました。
これで、地球史においては、私が「最終知識」でお伝えしたように、人間としてのブッダが出て、聖書の神の物語を読み解くだけの意識の進化が達成されたとの天の認識で、聖書の神の物語が、挿入された時空は、終了しました。ただし、いまの地球上に生きている人間のたましいの総量は、この聖書の神と暗黒の王たる神的存在のエネルギーに対応しているので、過去の投影としての、光と闇の戦いは、この先もしばらく、地球上において、進行していくはずです。しかし、それにも限りがあって、少なくとも、闇のエネルギーを、供給していた神のような存在は消滅しているので、その暗黒面に連なる人間のたましい、もっとはっきりいうなら、悪魔と契約した人間たちの精神的エネルギーが、その人間の死によって絶たれるならば、やがて、終息していくはずです。ここに到るまでの複雑怪奇な精神界のメカニズムは、これから、何らかの形で人知の側に提供されることになりますが、そのためには、聖書の神の物語ではなく、約二千五百年前に、この物質宇宙の本質に迫った、ここではブッダと呼んでいる人間由来の意識体の知の完成が必要になるようです。
それが、私が、「神を超えよ、仏を超えよ」ということを、人間界に伝達してきた根拠なのです。ここまでのストーリーは、神のものですが、ここから先のこの宇宙の問題に向き合うのは、覚醒した人間、つまり、正しく神の物語を読み終えた意識体の容器としての人間の仕事になります。
私は、これまで何度も、いまの地球にある科学技術は、この物語宇宙が、過去に到達していた知から供給された、ある種のリバースエンジニアリングであると考えるべきだとお伝えしてきたのは、これが原因なのです。この宇宙には、実は、意識エネルギーのようなものが、普通に存在していて、そのレベルというか、周波数のようなものに同調する脳内回路を持つものは、そこにある知にアクセスできるだけではなく、下手をするとその意識体グループに身体を乗っ取られることもあるということを知るべきタイミングが来ているのです。そうした、危険から、この地球がこれまで守られてきたのは、ここが暗黒の王と言葉の神の最終決戦の場で、その他の意識体が介入すると、戦いに巻き込まれるという了解があったらしい、ともいえます。
ひとつの時代が終わったということは、この地球が外宇宙に対しても開放されるということです。それは、江戸幕府の開国と似たようなものになると考えておくべきです。たぶん、地球上で、日本が、聖書の時代を終らせるための役割を担ったように、この物質宇宙で、地球は、何かの役割を担うことになるからです。
そのためには、この宇宙に対する認識を、その時代にふさわしいものにしなければなりません。
仏を超えよ、ということは、この宇宙の本質的な問題を知れ、というテーマの提示なのです。
そのために、精神学協会に現在、百一種類の波動シールが授けられていると、私は考えています。その多くは、この宇宙の波動に関係しているもので、いまある科学技術が、すでにこの宇宙内に存在している知に由来していると考える立場からすると、まったく未知の領域に人知を導くものだからです。それを、いま地上にある知識でいうと、たとえば、ドイツのルドルフ・シュタイナーがあると伝えた、アカシックレコードというデータの波動領域にアクセスするのに、アカシックという名の波動シールを使うことができますが、その領域に、この宇宙の過去のデータがすべてあるという訳でもないのです。もっというなら、過去のデータが宇宙に保存されているとすると、それは、何なのですか、という哲学的な、あるいは、物理学的な問題に、直面します。
いまのところ、人知が知るこの物質宇宙は、五パーセント以下で、残りをダークエネルギーとダークマターと呼んでいるのが、科学の現状です。この宇宙の問題を二千五百年前から、考え続けている意識体のテーマに、やっと、いまある地球の科学の最先端の知が近づいたと考えてください。その新しい知の旅が、この「光文書プラス」というところでこれから進行することになるのです。
それは、この宇宙の最先端の時空の扉を開くことになると、私は考えています。

神紀二年(二千二十二年)三月十七日 積哲夫 記