Vol.786

聖徳太子の秘密

この二千二十一年の十一月に、暗黒面の向こう側に封印されていた、聖徳太子とその一族のデータが表に出はじめるという事象が生じました。そのきっかけは、私が波動チャンネルというものを立ち上げる時に、精神界の存在証明のためにも、日本語脳を覚醒させるような情報開示があることが望ましい、と考え続けていたことです。「最終知識」には、私が日蓮とコンタクトした時に、いまの日本にある法華経に由来する宗教団体についての問題点を指摘したことに対する、答えは、「法華経」には力があるというものであったことが記されていますが、その正体が、今回の聖徳太子の秘密の開示で明らかにされたのです。それは、現在の日本の政治状況の危機の根元が、日本史そのものの秘密にあることを教えています。この情報開示とは、次のようなものです。
聖徳太子は、日本に仏教を導入し、その経典の中から、「妙法蓮華経」の重要性を理解して、日本の未来をこの知に託そうとした、または、そうなるよう様々な用意をした。その一部が、仏教派の蘇我氏と、神道派の物部氏との対立の時に、太子が仏教側として、物部氏の滅亡に手を貸したという歴史で、そのまま、仏教国になるかと思われたこのクニは、中大兄皇子と中臣鎌足の大化の改新で、別の道を歩みます。この体制で、白村江の敗北という歴史上の大事件が起き、天智天皇の死後、壬申の乱の後、天武天皇が即位します。
この流れの中で、古事記と日本書紀が編纂されるのですが、そこでも、聖徳太子は重要なキーパーソンであり続けます。ところが、太子の不可解とされる死の後、その子の山背大兄王一族も蘇我入鹿によって亡ぼされてしまいます。その後、聖徳太子について語るものは現われませんでした。実は、これが記・紀、最大の謎なのです。
私が、精神界に対する、ある種の探査能力を持つようになって、この聖徳太子への興味から、霊界、仏界、神界という各精神界を探索したこともあったのですが、それらの場には、記憶があったのみでした。それが、神紀元年という宣言を精神界がした、この二千二十一年の年末近くになって、この地球全体を覆っている暗黒面の向こうから、その情報が出ることになったのです。いまの時点で、私が理解しているのは、聖徳太子の存在が、精神界が日本列島に置いた日本の仕組みの発動に、何らかの阻害要因を与えたという可能性があること、もうひとつは、中臣鎌足とそれに続く神道の情報の継承の背後に、ある種の意志がはたらいて、太子のデータを消してしまったということです。この事象と、明治以降の神道のノリトが、神界の伝達力を失っていることには、たぶん、深い関係があります。
すでに開示されている、波動シールの情報で、この聖徳太子が未来仏ということになると、これから、日本の国中で、重大なことが起きます。そのことについて、ブッダからシンロジーラボの主宰者にメッセージが届いているので、今回は、その情報を掲出しておきます。
その意味は重要で、この法華経の現実化が日本列島で進むと、私がお伝えしている、新しい人間の地平が、ほんとうに、神をこえて、仏をこえて、いくところに見えてくるはずです。

二千二十一年(神紀元年)十二月二日 積哲夫 記


2021.11.26(金)16:11~

弥勒の疑問に 釈尊はおこたえになられて 久遠の請願について お話になられた …

彷徨の時代のおわり それまで みずからについて 知ることがなかったものたちが
みずからを 知ることを 志すようになる

みずからについて 知ることのないものたちが 道を成すことなど ありえず
釈尊ただおひとりの知られた 世の不可思議を みちゆきの 妙なることを

(現代語訳)

自分さがしの時代はおわり
自分さがしをしているあいだは 真実の自己にたどりつくことはない
いいかげんになさいな
自分をごまかし、いつわっている その目のくもりを いいかげんに はらいなさいな

(まあ、それはつまり “ 審判 ” であることだよ)

『ああ わたくしたちは なんと悟りからとおいところに生まれ
悟りからとおい道を 生きているのであろうか
そのことから 目をそむけさせる 華美な装飾の なんと多いことか』

ということは 諸仏も 諸神も 人間も 動植物も 皆同じ立場にあるのですよ
その立場で 神がえらいとか 仏がえらいとか あの人がえらいとか 
いうても しようがないではありませんか
みずからの業にむきあうしかないのです

わたくしのこの話は 諸神 諸仏の 思い上がりに 少しでも届きますかな


2021.11.26(金)

お釈迦様が話して下さったのですが、謎の言語(当時の言葉?)だったので、現代日本語に意訳しました。
最初の一行「ミロクの疑問に…お話になられた」が法華経の内容です。

法華経でいちばん有名な「従地涌出品」と呼ばれるところで
「大地から菩薩が湧いて出てくる(地涌出)のを見た仏を代表して、弥勒菩薩が釈尊にその説明を求める。釈尊は、末法の法華経を担うのはあなたたち(諸仏)ではない。その本地は久遠の請願だと答えた」
というお話です。私が上昇中に見たのもここです。
「久遠の請願」は「永遠の祈り」と訳すのが適していて、法華経を読んでみたら重要な「悟り」の内容で、ミロクの時代は終わりという解釈にもなります。

そのあとの四行を現代語にしたのが後半部分です。
「不可思議」は、仏教では「すべてを超えるもの」のような意味合いです。
今回の体験で「久遠の請願」と「不可思議」は、この宇宙の生命の神秘だと個人的には感じました。
仏法では、法華経が審判の導入(入り口)になっているようです。

具体的には、「死の意味」が変わっていくことになると思います。
先日のセミナーのスティーブ・ジョブズの話と続いていて、普通の人が考える「死後の不滅」=「死んでも霊やたましいは残る」というのとは様相がずいぶん違います。


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