Vol.626

戦後男子の退場

西欧的な世界史は、男性原理で形づくられてきました。日本という国の歴史も、いまの歴史観では、男性の天皇を中核にした男たちの行動によって解説されています。
ところが、一千九百四十五年の敗戦を機に、日本男子は、影が薄くなってきました。なぜ、そうなったのかは、GHQの占領政策の巧妙さと説明することもできますが、前回の光文書で記したように、約八十年にわたる日本神界の沈黙のなかで、日本人の身体に降りるたましいのもとたる神格に、どうやら、大和魂を持つものたちが不足していたというのが、ここへきて、私が理解したこの日本列島の現状のようです。
歴史を思い起こせばわかるように、江戸時代の教育を受けた人材が消えると、大日本帝国は急速に正しい判断力を失い、第一次大戦後の軍縮の時代の反動で、軍部の政治介入が強まり、結果として亡国の道をつき進むのですが、そこに、人格といっても神格といってもいいのですが、明治のような人材はいません。
日本の神々の沈黙というのは、このように、人の世に降りる神々のみたまのレベルに影響をおよぼしていたということです。それが、戦後も続いて、ほとんど、あらゆる分野で、日本男子の精神性の低下をもたらしたともいえます。とくに、政治、行政、マスメディアなどの分野で、この能力の低下は、いまの日本国の問題解決のなさに直結しています。
戦前も良かったわけではありませんが、戦後日本の問題解決力のなさは、中国共産党の台頭によって、この日本列島を危機に陥れることになっています。
また、隣国における戦時の労働者への賠償問題の裁判なども、もともとの工作活動の拠点が、日本国内にあるということも、常識的に考えれば、異常なことです。
朝鮮を併合し、大陸に進出したことのしっぺ返しが、それらの行動のほぼ百年後の日本において進行しているのです。神界が、見放すほどの愚行をした日本の明治維新を実行した人間グループのたましいが、いま、どんな場にいるのかを考えてみてください。その一方で、松陰先生や高杉晋作といった、たましいが復活し、その負の遺産の処理のために人の世へのはたらきかけを強めています。この先に何が起きようとしているのかを、予告または預言的にいうと、新しい日本精神のための神々のわけみたまが用意されなければならないということです。
現実にいま、松陰先生だけではなく、これからのはたらきのために全国の神社に配されつつある神格は、「最終知識」を知っているものたちであるという報告が、私のもとには届いています。
戦後教育を受けた日本人のなかの特に、男性においては、共産主義の洗脳を受けた人間グループがいまの日本の支配階級を形成してきたという事実は、彼らこそが審判を否定するものの代理人であることを示しているのです。
これから、その戦後の日本のすべての問題が、この国の内部で大きくクローズアップされてくるはずです。そして、そこで利得を得て、生きている間だけの安寧を求めたものたちに死というタイミングが訪れます。
戦後の無神論は、そのようにして、人間の身体の死と共にこの国での影響力を失っていくはずです。それは同時に、戦後の日本男子の精神性の低さの終了をも意味しています。人間のたましいというものの存在に多くの人間が気付きはじめるときに、自分が地獄に行くことを認めたくないものたちは、精神界を否定し続けます。
その行動原理を象徴するのが、中国共産党によるウイグルやチベットにおける人権弾圧です。戦前の日本が満州地域において五族共和を謳った五つの民族のうち、旧ソ連の侵攻と中国共産党の支配下で、いくつが消えたのか。
日本はこのことに責任がないとはいえないのです。
そうした歴史的責任をはたせる日本人のためのたましいのもとが降りてくることを、私たちは天に求めるべきなのです。

二千十八年十一月八日 積哲夫 記


【いままで隠されていた文書の再公開/霊性時代Vol.20】 

光の宇宙の話

今回は、<みことふみ>をはじめ、霊性時代でもとりあげた人間の意識を縛っていたひもの話の詳細をあきらかにしておきます。
精神界というものは、いま、光の宇宙という領域に、その存在基盤を持っています。それは、普通の人間の精神生活の場とは、ある部分で重なりますが、イコールではありません。
「最終知識」に記述されている、すべての意識体は、神も魔王も、またそれらの眷族であるものすべて、いまや光の宇宙という場に移行したといってもよいでしょう。
人間のこころや意識に対するフィルターとして作用していた精神世界というものが消えて、それでも残ったのが、かたくなに人間の意識を縛るひもでした。このひもは、どうして、できたのでしょうか。科学文明の闇の部分という説明をこれまでしてきましたが、実は、この物質宇宙そのものが持つ物質からの放射、あるいはダークエネルギー、ダークマターという暗黒物質の放射を受けているためでもあるのです。
残念ながら、現代の科学的な発想では、「たましい」の不滅性というものは、否定され続けています。物質宇宙だけを見て、物質宇宙だけを根拠にすれば、それも当然なのですが、ビッグバンで生まれたこの物質的宇宙が、やがて真空のエネルギーによって消失してしまうという物質系のベクトルが、この宇宙にはある種の意思として放射され続けていると考えてください。その影響は、いま、人間のDNAにまで及ぼうとしている…。
精神世界が、かつてフィルターとして、人間世界を覆っていたときには、神も神々も気がつかなかった現象が進行中です。このままでは多くの人間の「たましい」がちりにかえるでしょう。人間の精神生活の場も、光の宇宙という次のステージに移行すべきときがきているのです。
3月1日の<みことふみ>をよく読んでみてください。神々のブログの3月1日の歌の意味もこれで理解されることでしょう。

2006年3月2日 積哲夫 記

※特別追加
3月3日の幻視
ある大都市の上空で、大天使ミカエルと黒い龍が戦いをくりひろげているヴィジョンを見せられました。夢ではなく、幻視体験といわれるものです。いま、何が起きているか、というニュースのようなものでしょう。この黙示的光景のなかに出てきた黒い龍は、イルミナティのメンバーが神のごとく崇めるものであり、いまの地球を支配する暗黒の力の象徴といえるもの。この黒い龍の配下が、現代人の脳に住みついているというストーリーを大天使ミカエルが伝えてきました。3月2日の<みことふみ>の最後の一節に「このみ ひの しんぱんなり」とあります。「この身、火の、審判なり」なのでしょう。聖書の文明圏では、黙示録的物語が、普通の人間の関知しない精神エネルギーの領域で、実行されているということです。ただ、私が幻視した映像は、私の脳のなかで生まれたものではありません。それは外部から届けられたもので、脳に回路を持つ人間なら見ることのできる、精神界のデータなのです。そして、その情報は永遠性を持って保存されます。見えても見えず、聞こえても聞こえず、を卒業すると、いかなるスペクタクル映像よりも凄いものを体験できる…。神の怒りの一部も体験できる…。ほんとうです。

2006年3月3日 積哲夫 記

※3月6日追加
3月5日の夜に、<みおや>さまから、激しい怒りの歌が届いています。
いずれにしても、間もなく何かの現象が現実世界で起きるのだろうと予測されますが…。
歌は、すべての神々と人間に向けられているといってよいでしょう。
残念ながら、多くのたましいは、いまも深い闇に閉ざされています。