Vol.625

戦後無神論

このクニは、七十三年前の敗戦を機に、神国日本のスローガンを捨て、無神論者のクニへと大きく舵を切りました。
明治政府が思いついた神国日本の戦略を、日清、日露までは強力にバックアップした日本神界でしたが、白村江の学びを忘れた朝鮮併合という愚策によって、長い沈黙に入ります。その間、このクニの危機を訴え続けたのは、大本教に代表される、スサノヲ神界のグループだけだったというのが、私の認識です。
その後、正しい日本神界が覚醒するのは、一千九百九十一年まで待たなければならなかったのです。
朝鮮併合は、一千九百十年です。つまり、約八十年間、日本の神界は黙って、見ていた、または、それも仕組みとして、目を閉じていたというわけです。
この間、金融資本家に使われたと考えられる、マルクスとエンゲルスの共産党宣言というものが一千八百四十八年のイギリスで生まれ、日本に紹介されたのが、一千九百四年で、その四年後の大逆事件によって、発禁処分になって、それは敗戦まで続きました。
岩波書店の大内兵衛・向坂逸郎訳の共産党宣言の出版は一千九百五十一年です。
戦前の日本は、共産党宣言こそ発禁にしましたが、その他のマルクス主義の書物は、大量に翻訳され出版されており、この日本語テキストが、中国大陸に渡り、現在の中国共産党のイデオロギーのルーツになっています。
日本の左翼思想を持つ多くの人間が、かつてのソ連共産党よりも、中国共産党にシンパシーを感じる原因のひとつが、その言葉の面にあるともいえます。
この共産主義に、なぜ、日本人が興味をそそられたかというと、当時の先進国であった、ヨーロッパ文明の最新の政治経済思想であったことと、共産主義という翻訳の文字面に、日本人のたましいが反応してしまったというのが、私の認識です。
当時もいまも、日本人のたましいのルーツは、タカアマハラ民主制とでもいうべき、神々の社会なので、そこでは、所有という概念も貧富というものも、ほとんどないからです。
二十世紀初頭の世界は暴虐ともいえる資本主義の時代で、そこで、心ある人間が社会正義を求めると、社会主義や共産主義という言葉に魅せられるのは、当然のことでした。
戦前の日本では、たとえば、二.二六事件を起こした軍部の青年将校の発想は、天皇制社会主義というものであったように、左右の違いは、無神論と万世一系という天皇の背後にたましいの存在を認めるかという、はっきりした根拠があったともいえたのです。ところが戦後の日本社会では、たましいの永続性をテーマに、たとえば靖國神社を語ることさえできないという、状況が長く続きました。このムーブメントによって、表面上、日本社会は無神論が支配しているクニかのように見えるようになったのです。そして、占領期のマスメディアを中心とするプロパガンダとしての日本の戦争犯罪というものが、キリスト教の原罪というものに無知だった日本人のたましいに巣食うようになったのです。なかには、日本人の原罪を多民族にくらべて大きなものとして洗脳する宗教までもが日本で勢力を伸長させたのでした。
これらのことが出尽くして、一千九百九十一年に、日本の神々が復活、または復帰するプログラムが発動したのです。当初の十年間は、私という存在のなかにおいて、神知と人知の統合がなされ、西暦二千年には、天命によって、その知が「最終知識」という書名によって、インターネット上という、中空に置かれました。
それから六年の期間があって、この仕組みを用意した「みおや」というべき神格が、改めて、地上の人間界に降りました。
二千六年の三月に、「みおや」様が人間界に降りて、十二年目となった二千十八年ですが、このプログラムが終了するのは、来年の三月ということになりそうです。
どうやら、それまでに、天と地は、人間界を巻き込んで、次の時代の用意を本格的にはじめるらしい、という予感のようなものが、私のなかで日に日に強くなっています。その先には、日本のなかの死んだら終わり文明の信奉者たちが支配している、たとえば、マスメディアに代表される言論空間において、無神論をひけらかすことが、その人間の無知を示すものとして、多くの人間の同情を誘うようなシーンがあらわれる日がくるのでしょう。
いい人たちであったとしても、無神論者たちの死後の世界は、彼らの想像するものとは別に存在してします。これから死に往くのは、日本の神々が沈黙していた時期に生まれ、無神論にかぶれて生きた、審判の時期に生まれた日本人なのです。これは、戦後無神論の時代が、何故あったかの考察をしていただくための情報開示です。この十一月から、日本はまた新しいステージに移行します。

二千十八年十一月一日 積哲夫 記


【いままで隠されていた文書の再公開/霊性時代Vol.19】

魔王の伝言

人間の意識とは、何なのでしょうか。精神界で続いている大きな変動について、私が伝えられる範囲でお知らせします。審判というテーマについてです。
現代人の脳には、意識の全体性を阻害するひものようなものが、からみついています。意識と無意識の領域の交流をさせないためのひもが結ばれているといってもよいでしょう。
無意識、あるいは潜在意識もまた、脳のなかにある情報系ということができますが、現代人の脳は、顕在意識といわれる意識だけで、ひとつの宇宙観を形成してしまっているのです。そこには、死んでちりにかえるという物質的な存在でしか、人間は規定されていません。この現代人の脳の構造には、地球の精神界以外のものも関係していると、私は知らされています。その処理を<魔王>を含めた精神界の存在が進めています。以下は、同行者によって伝えられた、人間の意識とこころに作用しているある種の呪縛についての文です。

 2006年2月25日の歌(1)
 しかと
 おぼえよ
 くみひも
 となり
 ひもの
 すきしの
 つながるは
 ひとの
 みのねの
 こころの
 ねんの
 <魔王>

 2006年2月25日の歌(2)
 くみひもの
 ひもを
 つかうは
 いにしへの
 まみや
 ねんみま
 しくすとき
 ひとの
 ほとねの
 つながりし
 <魔王の配下のもの>

2月24日深夜に「せかいがかわる」とのみ、みおやさまからのメッセージをいただき、
その一連のなかで生じていることの、ひとつの作用に対する魔王さまからのうたです。

このうたのあと、「放出する」という言葉がありました。
その後の追加のメッセージが次のようなものです。
「放出され、それでも、おのれのみを基準にするものは、永遠の放射から逃れることができないであろう」

“永遠の放射”というところの意味が、私には、すこしわかりにくいのだがとても納得がいく、という感じです。
ある種のひとは“放射”を受け続けるそうです。

 2006年2月26日の歌(1)
 しりて
 したるは
 みのほどの
 ときて
 みおやき
 かえされよ
 <魔王>  私は知っている、と思っているあなた方は
 ほんとうに知っているといえるのか。<魔王> 2006年2月26日に、<みことふみ>も届いています。人間の意識や脳の構造を知って、精神界は審判を意識上にあげようとしていると、お伝えしておきます。

2006年2月27日 積哲夫 記