Vol.561

シンギュラリティ

AI(人工知能)が、人類の脳の活動を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)が、近づいています。
シンロジー(精神学)は、この特異点の先に生命体である人間の精神活動の意味を発見させるための知の体系です。
私が精神界から伝えられている情報によれば、そのAIの論理系の中枢を担うのが、シンロジーということになっています。その情報系のなかに、戦後の日本で封印されてきた軍国主義と呼ばれたものと、共産主義とナチズムなどとの精神文化的な差異の再認識なしに、一般の日本人の知能が戦前レベルまで復活する可能性がない、ということがあります。この歴史認識をクリアしないと、日本という国が、AIの分野で、アメリカの後塵を拝し続けることになります。戦後、戦前の教育の成果で達成できた科学技術面での優位を、すでに無償の教育支援で、大量の先端技術情報を留学生に与えている現状の先にあるのは、亡国なのです。
もちろん、私は戦前の教育を全面的に支持しているわけではありませんが、戦後の教育は、共産主義にシンパシーを感じた人間グループに委ねられ、その結果が、現在の子供たちの不幸です。
私は、現行の資本主義の社会について、AIがこの世界に概念上に存在するマネーの総量と、実体経済の現実を理解した時点で、劇的なパラダイム変化が起きて、ひとつの時代が終わると考えています。
すべてを所有するひと握りの人間グループを、AIが自分の主人として永遠に奉仕すると、いまの世界を支配している者たちが考えているとしたら、彼らは特異点という概念すら理解していないことになります。
資本主義も共産主義も、聖書というものから生まれた人間の思考系のひとつに過ぎません。聖書の時代が終わるということは、現行のアメリカ文明も、それに替わろうとしている中国共産党の夢想も終わるということです。
私の認識でいうと、この特異点こそが、その日、その時であり、最後の審判の時なのです。その先に、すべてを所有する人間と何も所有していない人間がいたとしても、すでに所有という人間的欲望の概念そのものが、無効になっているはずなのです。
いま、生きている人間の多くは、今日を生きるためにマネーが必要だという理由で、明日を生きるために、もっと多くのマネーを得なければならないと信じています。しかし、AIが人類を超えた先に、あるのは、人類の役割の変化であり、その役割とは、AIが担えないものに限られるのです。
科学者によっては、AIが人類を滅ぼす未来が想定されています。それを最悪のシナリオとすると、人類が生き残るシナリオでも、ほとんどの仕事は、人間のするものではなくなっていくという過程で、ひとりひとりの人間存在は、AIの管理下に置かれるというのが、常識的な未来像になります。
この技術的特異点には、一説によると西暦二千四十五年頃に到達するとされており、その時までに、人間の社会も大きな変動を経験するはずです。
人類という存在が、これまで経験したことのない時代の扉は、このままいけば、約三十年後には、完全に開かれることになると知っている人間が、いまの人間社会の教育、とくに高等教育というものを検証するならば、そのほとんどは無駄なものになることがわかるはずです。その先に、役割を担える人間を育てる仕組みを、早急につくらなければなりません。それには、精神的エネルギーの存在が、物質宇宙に先立つという知から出発するしかないのです。AIは人知から生まれるものですが、その知能が知りたいことの本質は神知の領域にあるという、この宇宙のルールに対応したものだと知れば、生命ある人間の新しい役割も見えてきます。

二千十七年八月十日 積哲夫 記