Vol.550

神業者たち

この二千十七年に入ってから、かつてこのクニで活動していた神業者たちの霊が、いまも人の世にとどまっているのが、私には、はっきり認識されるようになっています。これは、かつてあの世といわれた場が、この世に重なっているという、私がくり返しお伝えしてきたことを裏づける事象ですが、同時に、明治百五十年のタイミングで、明治の時に開いた扉が、どんな精神的時空であったのかを、人知の側に公開するという天の意志が背景にあるようです。
江戸から明治への移行期に、天理や黒住、金光や大本という日本神界からのメッセージを託されて宗教的活動をはじめた教祖に続き、多くの神業者が、神と信じる存在と共にさまざまな活動をして、そのほとんどはすでにこの世を去っています。これらの活動のなかには、アメリカで成功して日本に逆輸入されているレイキやマクロビのようなものもあり、日本の精神文化の奥深さを示しています。
不思議なことですが、彼ら神業者のほとんどが、神界に引き上げられることなく、この世に留まり、自分が到達した精神的波動の層にいる生きている人間の小宇宙に入る、またはコンタクトするということをはじめています。
これは、明治の日本人が、南朝を正統とし、万世一系の神話を根拠に、半島と大陸に進出しようという物語を希望した結果もたらされたものでした。
わかりやすくいうと、世界の列強と同等の行動原理として、ウシハクという力による支配をする帝国を目指したのです。その結果として、たとえば、出口王仁三郎は、スサノヲ神界による立て替え、立て直しを信じるようになります。いうまでもなく、スサノヲは、天を追放された神格です。この神格が、精神学の立場でいうと、一神教のルーツにあり、やがて、救世主としてこの世をミロクの世にするというストーリーを、すくなくともこの出口王仁三郎の影響下にあった神業者たちは信じていたはずです。この立て替え、立て直しを現実化するために、さまざまな神業をこの世でしましたが、現実は何も起きませんでした。
私は、精神学を学ぶ人間に、人間を使おうとする神と称するものは、ほとんどが偽、または、下級の意識体であるとくり返し、伝えていますが、それでも人間は神霊的な存在の希望通りに動くことが多いのです。要するに、神業者たちの多くは、生涯をかけてはたらいたもののほとんど得るものもなく、死後の世界に移行してしまったというのが現実でした。そして、それもまた仕組みというのが、私に伝えられている現在の姿なのです。
すこし調べてみればわかりますが、この国の神業者たちは、志を同じくしているように見えても、活動を続けるうちに、四分五裂していきました。それは、日本以外の世界の宗教の対立の歴史の再現にほかなりません。
そうして、日本列島全体の活動が、ほぼ、世界と同等なところまで落ちたところで、彼らは死んだのです。
そのため、同じ波動のレベルで生きていたアメリカ人のなかに、こうした日本由来の精神文化を受け入れる人間たちが生じることになりました。つまり、日本をスサノヲ化することが、西洋化することだったのです。
明治維新は、このように、古事記の神話の前段階を再現する方向に時代の扉を開いてしまったのです。その結果として、現在のこの国は、マネーを神のごとく崇める人間が増加し、行く先のわからぬ漂流を続けることとなっています。
明治百五十年に終わらさなければならないのは、この世界を学ぶためのプログラムなのだというのが、いまの私に伝えられていることで、それは同時にウシハク文明の終わりを意味します。
アメリカも中国も、その背後に存在している支配グループも、その行動原理は、力による支配にほかなりません。マネーを独占し続けることで、いまの世界秩序を維持できると信じることがいつまでできるのでしょうか。彼らの幻想に同調する回路を切れば、世界の真実が見えてきます。

二千十七年五月二十五日 積哲夫 記