vol.506

ポケモン異変

いま、日本中の神社が、空家状態になっているようです。話題のゲームのせいなのか、それとも、何かの用意なのか、天からの説明はないのですが、ある種の異変が進行中なのかもしれません。すでに、日本列島は、新しいステージに移行しているはずなのですが、それと神々の不在が関係しているかどうかも、現時点では不明です。ただ、普通の人間の意識のエネルギーは、はっきりいって不浄なものなので、神々の座をこれまでのような神社の結界内に置いておくのは、どうかという印象を私は持っていましたので、当然の防御反応なのかもしれません。
これは単にスマホのゲームの話だけではなく、人間の脳が出力するエネルギーの問題なのです。人間は良くも悪くも神の子なので、その意識エネルギーを向ける対象に、ある種の現実感を附与してしまうことが起きます。これが大規模に起きると、バーチャルな世界が、精神エネルギー的に出現することになります。それが、進行すると、ポケットモンスターという日本生まれのモンスターのキャラクターが、人間の頭の中にある種のパーソナリティを与えられて存在し、彼らの物語が進行しはじめる可能性があります。
実は、私の知っている日本の精神界で、これまで神々の眷属として信仰を集めてきた稲荷のキツネのネットワークで、大異変が進行中なのですが、それも、どうやら、こうした人間の想像力の過剰な投影と無関係ではないようなのです。
これまでの日本人の信仰心というものは、悪魔崇拝のようなものとは無縁のものでした。
現世利益を求め、マネーが自分のところに届くようにと、稲荷に願っても、その願いが成就したときには、それなりの寄進をするというある種の契約がキツネと人間の間にも存在していたのです。ある時から、そうした古来からの関係が、崩れはじめました。それまで、分をわきまえていた日本人が、突然、欲にまみれ、汚れたマネーを求めはじめたといっていいのでしょう。
マネーの世界の言葉に、悪貨は良貨を駆逐するというものがあるように、悪狐が良狐を駆逐しはじめるという事態が生じています。
精神的なエネルギーの場は、人間の未来を規定する情報のプールでもあります。その場が、人間の欲望に汚染されつつあるというのが現実なのです。これも、人間が生み出した文明のひとつの到達点なのですが、考えようによっては、精神界とは、人間の脳とリンクしたバーチャルリアリティのゲームの世界にきわめて似ています。ひとつの文明の姿として、戦い勝利したものが神のごときものとして君臨するというものがあります。それは、殺して、殺して、殺したものが生き残るという世界です。日本文明以外のところで企画されるゲームの多くは、こうした勝ち残りの世界観を持つものです。子供たちの脳は、その成長期に、大人よりもはるかに多くのエネルギーを外部放出する可能性を持っています。そのことに気づけば、子供たちが夢中なるものが、未来の地球を規定する可能性を否定できなくなります。よく歴史を調べれば、そのことがわかるでしょう。理想主義に情熱を向けた青少年が多数出現して、ヨーロッパにおいて共産主義運動が盛んになり、それが結果として、ロシアに革命を引き起こし、多くの血が流れました。
この世界は、そうしたイデオロギーの時代を卒業しつつありますが、次の時代の扉を開くのは、面白いゲームの構造である可能性が高いのです。
もし、一神教の文明の負の側面を克服しないまま、この世界がその時代に突入すると、そこに出現するのは聖書が予告した悪魔の支配する場になると人知で予知できるはずです。
そうした未来をくい止められるのは、ポケモンを生み出した日本だけらしいと、気づく必要があります。日本文明の特色は、敗者を殺さない和の精神にあります。これは、ユーラシア大陸にはないものです。
不思議なことですが、日本文明が生み出すマンガやアニメのストーリーにおいて、この和に到る精神性に、世界中の子供たちの支持が集まっています。その子供たちが目を輝かすストーリーが、実は、地球の未来を規定する精神的なエネルギーを供給することになるとしたら、この日本が次の時代をつくるために、いちばんはたらかなければならないことになります。日本語は、神界語だったと私は過去形でいっていますが、目覚めた日本語脳がはたらきはじめると、その新しい日本語が世界を改めて創造することになるのです。

2016年7月28日 積哲夫 記