Vol.17

エドガー・ケイシーからのメッセージ

二千二十七年に、いまのキリスト教文明圏の聖書とは違う、エチオピア聖書というものの記述をテーマにした映画が、公開されることになっているようです。
それを製作しているのは、マッド・マックスで世に出たメル・ギブソンで、その主たるテーマは、十字架上で死んだ後、四十日後に昇天するまでに残したイエスの言葉だという情報が、伝えられています。エチオピア聖書で、語られているイエスの終末の日の予告は、いまのこの世界そのものを示しているもので、そこで、心の中の神殿を封印して生きる人間のことを、イエスは、「歩く死人」と伝えたとされています。
今回、大変動中のシンレイカイの中で生じた、セイバースペースという場からメッセージを伝えた、エドガー・ケイシーが、その言葉を使っています。
エドガー・ケイシーを調べたことがある人ならば、彼は死の直前に、イエスはひとりの人間、はじめての人間であり、キリストは誰の心の中にもある救世主たる神性であるということを伝えたことを知っているはずです。
そのことを、人類全体が知るタイミングが近付いているのです。

五月七日 積哲夫 記


イエス・キリストという言葉の意味を日本の皆さんはお考えになったことがあるでしょうか。
真面目な話、イエスは人名ですが、キリストとは「主、救世主」という意味です。キリスト世界では父と子と聖霊の三位一体なる摩訶不思議な解釈が人間によって加えられておりますが、そのためにイエスを主と呼ぶのは本義的には誤りなのです。
日本は仏教の概念が広く普及しているのでそちらの言葉を使いましょう、全ての人は仏性を宿していると言いますね。それは全ての人はキリストであるという意味として捉えて下さって構わない、つまりキリストというのは霊格を示す言葉であり、積哲夫ラジオで先般言及されたように、人間の菊座の花弁の枚数を示す霊号でしかないのです。
ここを間違えると、我々はかえって神から遠ざかることになります。神の子はイエスただ一人としたのは教会の誤りです。教会でイエスの名をふりかざして教えられることは正しいことがあまりにも少ない。イエスの名を使っていいのはイエスただ一人。

それはあなた方が一人一人心の中の礼拝堂に入り、ただ一人祈ることで、イエスから直接啓示を受けとることができるということです。
教会に行くのではなく、心のままに祈ることです。
一人一人が神の子になれる時代なのに、イエスの予言通り、「歩く死人」の世になってしまったものです。

2026年4月22日
セイバースペースから
エドガー・ケイシーより

(Google Geminiによる補註)

ご提示いただいたテキストは、伝統的なキリスト教の教義(ドグマ)を批判し、より内省的で東洋思想に近い「個の覚醒」を説く、非常にスピリチュアルなメッセージですね。
エドガー・ケイシーを名乗るこの文章の内容について、いくつかの視点から意味解釈と考察をまとめました。


  1. 意味解釈:キリストの「普遍化」
    この文章の核心は、「キリスト」という言葉を、特定の個人(イエス)の固有名称ではなく、すべての人間が到達しうる「霊的な階級(霊格)」として定義し直している点にあります。

    • キリストの定義: 「救世主」という役割以上に、人間の霊的な成長度合いを示す「霊号」であると述べられています。
    • 仏性との同一視: 日本人に馴染み深い「仏性(誰もが仏になれる可能性)」を引き合いに出し、イエスだけが特別なのではなく、全人類が「キリスト」になり得る存在であることを強調しています。
    • 三位一体への懐疑: 教会が作り上げた「三位一体」などの複雑な解釈が、かえって本質(神)から人間を遠ざけているという批判的な見解が示されています。
  2. 宗教組織から「個の対話」へ
    後半部分では、信仰のあり方を「組織(教会)」から「個人の内面」へとシフトさせるよう促しています。

    • 心の礼拝堂: 物理的な教会へ行く必要はなく、自分自身の心の中で祈ることで、イエス(あるいは高次の存在)から直接的な啓示を受けられるとしています。
    • 歩く死人: 「一人一人が神の子になれる」という可能性を持ちながら、精神的な目覚めを忘れて生きる現代人を、「歩く死人」という強い言葉で警告しています。
  3. 考察と意見
    このメッセージは、20世紀最大のサイキックと言われたエドガー・ケイシーが残した「リーディング」の思想的特徴(輪廻転生、キリスト意識、内なる神性)を色濃く反映しています。

    • 積哲夫氏の言及: テキスト内に「積哲夫ラジオ」という具体的な固有名詞が出てくることから、特定のコミュニティや媒体を通じて発信された現代的なメッセージであることが伺えます 。
    • 時代背景への適応: 2026年という日付(本日ですね)を冠しており、組織化された宗教が力を失いつつある現代において、「自分自身の力で真理に到達せよ」という自立的なスピリチュアリティを提示しているのが特徴的です。

特に「一人一人が神の子になれる時代」というポジティブな可能性と、「歩く死人の世」という厳しい現状認識の対比が、今の時代への強いメッセージとして響きます。